2013/03/05

犬への急接近

 ちょっと抜けてる犬のコナちゃんが砂山の向こうに消えてからというもの、実家では犬を飼わなかったし、ぼくも犬から離れた生活をおくっていた。家の周りは田んぼばかりで民家もぽつりぽつりといった具合の地域だけれど、犬を飼っている家は結構あった。もちろんどこも外飼いで、家の前を通るたびに吠え立てる犬ばかりだった上に、ろくに可愛がりもせずただ番犬目的でやたらでかい犬を飼っている家も少なくなかった。で、案の定「どこどこの家の犬が逃げた」というような知らせがまわってくるのだった。散歩から帰って繋ぎ直すところで逃げたとかなんとか。冗談じゃない。熊だか狼だかと戦うための犬種だかなんだかよくわからないが、とにかく馬鹿に大きい犬がその辺をうろうろしていると思うと外にも出られない。近所の牛屋で飼われていたでかい犬は特に毎回逃げ出していたような気がする。あれには本当にうんざりした。
 そうしてある朝小学校に向かって歩いていると、人気の無い(まあどこも人気はないんだけれど)小道で丁度大きな犬と遭遇した。首輪はしているけれどなんにも繋がれていない上に飼い主らしき人も近くにはいない。完全に無線フリー。今じゃ犬種はなんだったかはわからないし、どこで飼われていたのかもわからないけれど、とにかく熊みたいに大きかった。襲われたらひとたまりもなく引き裂かれるだろうなあ、ぼくの人生も短かったなあ、と思う余裕もなくその場で固まっていたが、目だけは合わせまいと他所を向いていた。犬は黙って通り過ぎていった。あれは本当に恐かった。普段から影が薄いぼくの生まれながらの石ころ帽子的な能力が発揮されたのか、あるいはぼくが思っている以上に犬はおとなしく頭が良かったのか、わからないけれど。
 こういうこともあった。上で書いたように犬を飼う家は結構あったわけだが、友達の家からの帰り道、ぼんやり自転車を漕ぎながら家に帰ったらなにをしようかと考えていたら、背後から犬の吠える声が聞こえて来た。振り返ると、ある家の庭から犬が飛び出して来て、その後ろからその犬の名前を呼びながら追いかけて来る飼い主も飛び出して来た。ああ、これはまずい、と思ってペダルを思い切り漕いで逃げようとしたけれど鈍臭いぼくが走る犬から逃げ切れるわけもなく(もうなんか漫画みたい)やがて犬がペダル漕いでる脚のあたりまで追いついて来てとうとうバランスを崩して横転した。 
 犬の名前を呼びながら飼い主が追いついて来て(遅い)犬を捕まえて、ぼくに「大丈夫ですかあ?すいませんねえ」「あ、いえ、大丈夫です」それだけ言葉を交わして飼い主は犬を引っ張って家に戻っていった。正直大丈夫ですかあ?じゃねえよ馬鹿野郎と思った。こういった飼い主達(というかこういうアクシデント)のせいでぼくが犬に歩み寄るのが大幅に遅れたと思う。ティム・バートンがいかに犬好きで自分の映画にやたら犬を出したって、どうしてもぼくはしばらく犬の良さはわからなかった。反対に動物の好みでは猫好きエドワード・ゴーリーの方に同調した。
 恐い思いをしたのはわかるが、実際になにかされたってわけじゃなくない?噛まれたこととかないの?と思う人もいるだろうと思う。もちろん噛まれたこともある。知人の家でやたら吠えるフレンチ・ブルドッグっぽいやつ(実際どうだったかよく覚えてないけれど多分あんな顔のやつ)に足の甲を噛まれた。ただ、あれも今思えば甘噛みだったろうと思うし、噛まれて痛かったというよりは噛まれたこと自体にショックを受けて泣いちゃったんだと思う。
 一旦犬が苦手になってしまった子供に「大丈夫、噛まないよ」「なにもしないよ」という言葉をかけても全然意味がないし、安心などとてもできないと思う。
 中学生のときに一度だけ犬とお近づきになったことがある。夏休みにいつも愛知に遊び行っていたのだが、父の知り合いの陶芸家の先生の家には犬が何匹か飼われていて、その中でも一番若い犬とふれあう機会があった。餌をあげたり散歩したりしているうちに平気で犬を触れるようになったし、ああ、これでぼくも犬が平気になったなと、少しうれしかった。一週間にも満たない滞在期間を終え、少し親密になった犬とお別れした後も、自分は犬への苦手意識を克服したという気になっていろいろ自信もついた。犬と仲良くなれたことで憧れのティム・バートンにも一歩近づいたかもしれない、などと思うこともあった。ただし一時的な話だった。
 翌年の夏も愛知に行った。例の犬と一年ぶりの再会を楽しみにしていたのだけれど、案の定再会した犬にはものすごい勢いで吠え立てられた。あんなに吠えられちゃあとても近づけない。かなりショックだった。
 その後8年間は一切犬との接触はなかった。一昨年、黒ラブラドールの絵を注文されるまでは一切犬の絵を描かなかったし、描く発想もなかった。けれどそのお仕事をもらってからというもの、犬には豊かな表情があるということがわかったし、ぼくは犬の絵も結構そこそこうまく描けることがわかった。お客さんからメールで送られて来た写真だけでそれぞれの犬の個性を引き出してデフォルメして描くことができたし、お客さんに喜んでいただけたことがわかると、一層犬への自信がついた。さらに、去年の暮れに観たアニメ版「フランケンウィニー」はぼくの犬への興味をかき立てたし、その頃から付き合い出した彼女が飼っているコーギーと遊んでからというもの、ぼくは完全に犬への苦手意識を克服することに成功した。ドッグ・ランを縦横無尽に駆け回るいろいろな犬に触ることが出来たし、最近ではまた犬の絵を描かせてもらう機会も得ることができた。いいこと尽くしです。
 近いうちに犬の絵のお仕事のことはここで告知できるでしょう。