2016年12月31日

日記:12/26 - 30

2016/12/26 月

 クリスマスの翌日が月曜日というのも憂鬱な気がするが勤め人じゃないので関係なし。今年最後の試写に出掛けた。グレタ・ガーウィグ、やっぱりかわいい。
 ポコがクリスマス・プレゼントの片方をさっそく壊した。短いロープの先にペンギンの顔のぬいぐるみがついていて、そことロープの結び目の間にはテニスボールくらいのボールが通っていて遊べるものだったけれど、ボールが食い破られていた。どんな力でもってこんなことができるんだろう。こいつに本気で噛みつかれたらぼくなんてひとたまりもないだろうな。ボールの破片を食べる勢いだったので取り外して捨てた。結局そのおもちゃはペンギンの顔からロープが伸びてるだけのものになった。

2016/12/27 火

 年内の最後の仕事を翌日までに仕上げる必要があるので取り組んでいたが結局28日朝までかかってしまった。来年は日をまたぎながら翌朝まで作業をするということのないようにしっかりやりたい。
 で、夜明け頃あるニュースを受け取ることになる。

2016/12/28 水

 キャリー・フィッシャーが亡くなった。心臓発作で倒れてからの容態の続報がなかったのでもしやとは思っていた。思っていたけれど、やはり悲しく、自分で驚くほど空虚を感じる。『スター・ウォーズ』の次回作以降の心配をしている輩が多くてうんざりするし、例によって「(『ローグ・ワン』のように)CGで再現すればいい」などという体温を感じられない発言(うまいこと言ったとでも思っているのだろうか?)が目につき絶望する。そんなふうにコメントすることがぼくにはできない。インターネットでは、特にSNSではひとの死すらも消費される情報と化してしまう。誰もがこぞって右クリックで保存しただけのレイア姫の画像を貼り付けてなにかしたつもりになっている。我慢ならない。いや、それはそのひとたちなりのやり方かもしれないから、否定するのはやめよう。彼女の死に際して他人をやり玉にあげるのもよくない。重要なのは自分自身がどうしたいかを問うことである。ぼくはぼくなりの方法でこの説明しようのない空虚な気持ちと、故人への想いを表現したいと思っている。

2016/12/29 木

 キャリー・フィッシャーの母、デヴィー・レイノルズが亡くなった。なんということだろう。こんなこともあるのかとショックだった。
 1日経って、キャリーの死のショックが思いの外のしかかってきて、異様なほど気だるかった。昨日仕事納めをしたせいもあって疲れがどっと吹き出して、ほとんど一日中寝ていた。驚くほど眠っていた。目が覚める少し前になるといくつか夢を見たような気がする。別に夢はレイア姫とはなんの関係もない、ただの夢っぽい夢だったけれど、日記に夢の内容を書き始めたらおしまいだとどこかで読んだことがあり、確かになと思ったので、書かないでおく。というかどんなだったか忘れた。
 夕方から仕事を納めた妻と合流して買い物をする予定だったが、ひどく寝過ごしたので大慌てで出かけた。新しいバスマットを二枚、大晦日に弟が泊まりにくるので寝具を一式、お正月用のかわいらしい割り箸、それから年越しに組み立てるプラモデル(K-2SO。買うと少しは元気が出た)など。
 とりあえず年越しまでの間レイア姫の絵を描けるだけ描きたい。仕事が終わったこともあって気だるいのかもしれないが、とにかくなにか描けば気は紛れる。今年は本当にたくさん有名なひとが旅立ったが(SWにおいてはR2-D2役のケニー・ベイカーも亡くなった)、ここまで言い知れぬ喪失感を覚えるとは。ひとの死が情報になってしまうのは寂しいけれど、有名なひとの死なら尚更そうなりやすいものだ。ぼくだって実際自分がよく知らない有名人の訃報を単なる情報として聞き流すことは多い。けれど、そのひとたちひとりひとりの訃報に際して、やはり今のぼくのような気持ちになっているひとは確かにいるはずで、有名であろうと身近なひとであろうと、家族であろうと、それはやはり人の死であり、誰かがこの世界から立ち去ってしまうということなのだなあと実感した。当たり前のことなのだけれどね。
 絵を描こうと思ってもどうもぼうっとして時間が過ぎていく。そう簡単にこの空虚は埋まらないかもしれない。

2016/12/30 金

 仕事がないので休めるはずが、何故かまた朝までレイア姫の絵を描いていた。これはもう今までも仕事だからと寝ずに朝までやっていたわけではなく、ぼくがただそうしたいからそうしていただけだということだ。それがわかったなら、改善するのもそこまで難しくないのかもしれない。
 お雑煮やちょっとしたおせち料理のために妻とともに買い物に。食材と新しく食器も買った。これでもう買い物は全部済んだ。あとは越すだけだけれど、やけに慌ただしくて落ち着いて全然一年を振り返ることができない。今年の成果だけでもまとめてみたいのだけれど、ブログをせっせと書いているうちに年が明けてしまいそうな気がする。
 試験的に11月から始めたこの形式の日記は、わりと1日も欠かさずに記録ができるので(後から思い出しながら書くときに何があったか忘れてしまったような日があるにせよ)来年も続けていきたい。まずは来年1年分記録することを目指そう。
 

2016年12月30日

May The Force Be With Our Princess


 ぼくはキャリー・フィッシャーがいない世界をまだ生きたことがない。
 強い影響を受けて生きてきたわけではないのだけれど、やっぱりルーク、レイア、ハンを演じたひとたちは同じ世界にいて当たり前だと思っていたので、これから先いくらSWが続いても彼女はいないんだなあと思うと、ちょっと変な気分だ。この先SWがどのような物語になったとしても彼女は銀河系の運命を知り得ない。
 ぼくはキャストとのグリーティングの機会になど出かけたことはないし、会ったこともなければサインも持っていない。彼女との接点はなにひとつないし、彼女については知らないことのほうが多いけれど、彼女が去ってしまったという事実は、確かにぼくに言いようのない喪失感と空虚な気分をもたらしたと思う。胸にぽっかりとカークーンの大穴のようなものが開いている気分。そこはなにもない宇宙のように暗く、気をつけないとボバ・フェットのように落っこちてしまうかもしれない。気をつけないと、暗闇にのみこまれてしまいそうだ。
 『ローグ・ワン』という映画は、ぼくに希望とはなにかを教えてくれたばかりだった。ほんの少しでも、胸に抱くことができさえすれば、大きな原動力となる計り知れないもの。根拠がなにひとつなくとも、信じて心の支えにすれば強くいられるもの。映画のラスト、レイア・オーガナが一言だけ「希望」と口にして優しげに微笑む。劇中の全ての戦い、全ての犠牲がここに集約され、未来への明るい展望すら感じられるようだ。彼女自身もまた銀河を暗闇から救う「新たなる希望」だということを忘れてはならない。あの映画は第1作目が希望を抱き託す物語だったことを思い出させてくれたと同時に、レイア姫がその中心に立つ人物だったことも思い出させてくれた。
 キャリー・フィッシャーという人物の全てを、レイア姫という役に押し込めようというのでは、決してない。しかし、あんなふうに希望に満ちた役を演じた彼女は、やっぱりぼくにとって温かみと優しさと、知性を感じさせる女性なんだ。ぼくは素直に彼女の笑顔がとても好き。
 こんなにも寒く、冷たい夜が続く日々。時代が暗い方へ暗い方へと進んでいる中で、希望を象徴するような女性が立ち去ってしまったということが、どうしても重くのしかかってくる。この冬は暖冬になるなんていう話もあったけれど、ぼくにとっては思っていたよりも寒い日々になるかもしれない。それでも普通に年は明けて、キャリー・フィッシャーのいない最初の年をぼくは迎えなければならない。
 どうかぼくらの永遠の王女キャリー・フィッシャーとそのお母さんにフォースのご加護があらんことを。平和の惑星オルデラーンのように輝く星になりますように。遺された家族と、キャリーの愛犬ゲイリーが元気でいられますように。

2016年12月26日

日記:12/17 - 25

2016/12/17 土

 この日はあまり印象にない。モレスキンのスケジュール帳も空欄である。『ローグ・ワン』が公開してからの金土日はどうせそのことしか考えていないから、どうせそのことばかり考えていたのだろう。
 さっそく感想をまとめようと試みるも、近頃は「秘密映画館」のシリーズをもう少し違う形に変えていきたいとも思っていて、その不満と『ローグ・ワン』への想いをぶちまけたいという想いとでうんうんと悩んでいた。シリーズのラベルをつけて記事を作っていく形式というか様式がだんだん煩わしくなってきていて、もう少しラフな形にも作れるようにしたい。雑誌上の連載とも違う形にしていきたいし。
 とは言え『ローグ・ワン』に対して思ったことがA4サイズに、しかもイラストと折半されたスペースにおさまるわけもなく(イラストと文章をいかに両立させるかもぼくにとっては課題だ。どちらかといえばあくまで絵に比重は置きたいが、それでいてちゃんと言いたいこと伝えたいことを文章にもしたい)、今後もことあるごとに個別に絵と文を書いていきたいと思う。

2016/12/18 日

 友達と2度目の『ローグ・ワン』へ。初見が3DIMAXっていうのはどうも情報量が多すぎて全体が俯瞰できないので2Dスクリーンで改めて観るといろいろ細部もわかるかなと思ったがそれでもやっぱりまだ全体を見渡せなかった。SWがそこまで好きじゃなかったら、前半はいまひとつだろうなあ。集中力のないひとなら途中で席を立ってしまうのも無理はないかなと思う。映画館で途中退席したり居眠りしたりってのは個人的には信じられないが。ただ、そんなことにいちいち目くじらを立てるよりは、その程度の気軽さで時間つぶしのために1800円払い、気分が乗らなかったら上映時間の3分の1以下の時間で出ていけるひとがいっぱいいるおかげで劇場が成り立っていると思ったほうが、ましな気分になれるかな。映画オタクだけじゃ世の中持たないもの。それに映画館というのは大勢で同じ作品を一緒に観る場であって、そこには本当にたくさんの種類の人間が集まっているので、自分の気に食わないひとがいて当たり前だ。思い通りにならなくて当たり前なんだ。それでもその見知らぬ人たちと時間と作品を共有するのがシアターであって、それはフェイスブックなんかよりよっぽどソーシャルメディアな場なのだと思う。もちろんだからこそ席を立ったり私語を交わすひとも注意するべきなんだけれど、そのひとたちをわざわざ捕まえてお説教する必要を、ぼくはそこまで感じないってわけ。映画館とはそういう場所であって、無菌状態のホームシアターじゃないのさ。
 
2016/12/19 月

 試写で「ラ・ラ・ランド」を観させていただいた。やっぱりミュージカルは良いなあ、と思えるし、これならミュージカルが苦手なひとも楽しめるのではないだろうか。
 とは言えミュージカルが苦手っていうひとの感覚、全然わからないけれどね。突然歌い出すのがダメなのかな?そういう表現形態なのだということから説明しなきゃいけないのだろうか。ゴジラに対して「なんで着ぐるみに皆怯えるのか」とつっこんでいるようなものなんだけれどそれは。

2016/12/20 火

 いろいろと締め切りが重なっていたので家にいた。妻が休みで家にいると、どこか安心して過ごせるのだけれど、ぼくまで休日の気分になってしまうのがまずい。

2016/12/21 水

 レゴのアドベント・カレンダーも残り少ない。こんなに楽しいなら本当に何年も前から遊べばよかった。24日間で組み立て終えたミニ・モデルをどうするのか、ばらして別のものを作るときの部品に使ってしまうか、完成させたまま並べて飾るか、どちらがいいだろうか。ともかく細かくて小さいものの愛らしさを改めて知った。大は小を兼ねるとも言うけれど、小さいものこそ宇宙があると思う。

2016/12/22 木

 最近朝起きると床に黄色い水たまりができていることが多い。りんごジュースを床にこぼしておく趣味はないし、りんごジュースにしては生臭いので、これは犬のおしっこである。何故かおしっこを部屋でするようになってしまった。散歩し足りないのか、なにか不満なのか、病気なのか。7歳にあがってから急におしっこ漏らしになったような気がする。おじいさんなのだろうか。とは言え場所と時間を選んでいるらしいので我慢できず漏らしているというより、している、というように感じる。

2016/12/23 金

 冬休みに入ったばかりの独特の多幸感っていうのはもう味わえないのだろうか。結局こんな時期までばたばたと追われている。天皇陛下誕生日になってクリスマス・イブになろうとしているのにまるでそんな時期だという気配がない。部屋で唯一そういう気配をくれるのはちかちか光るクリスマス・ツリーだけ。
 模様替えのために発生した大量の粗大ゴミを回収してもらうのがイブの朝なので、せっせと処分の準備をした。木製の大きな家具が減るのでだいぶすっきりすると思うと気持ちが良い。古い犬のバギーも処分。広くなった分犬のケージにトイレスペースを増設して、なんとかここでおしっこしてもらうようにする。

2016/12/24 土

 朝からキャリー・フィッシャーが心臓発作で倒れたとのニュース。キャリーにだけは一度サイン会で会ったことがあるという友人がひどく取り乱していた。『ローグ・ワン』で若き日のキャリー・フィッシャーの顔をしたレイア姫が再現されていたことにひっかけて、万が一のことがあってもCGで作れるから大丈夫でしょ、なんていう例の気持ちの悪い優越感に浸るために心ない言葉を口にする連中のために、彼はより一層ショックを受けたし、ぼくもそんなことを言うひとがいるのかとショックだった。同じ映画を好きなはずなのにどうしてこう考えが違ってしまうのか。映画におけるキャラクターしか頭にないから、感情を持って生きている人間がそれを演じているということを忘れて、EP8やEP9の心配ばかりするようなひとは決して少なくないのだ。残念ながら。
 彼女の容態については、一度安定したと報じられたけれど、すぐにそれが間違っているとも話題になった。悪い状態が悪いまま続いていることも安定というのだろうか。それ以降なにも知らせがないけれど、どうか持ち直してほしい。そうしてぼくの頭に浮かぶのは、彼女の愛犬のゲイリーだ。あの子、きっと主人の帰りを待っているだろうなあ。
 最初に同棲を始めて以来ぼくらはクリスマスにはローストチキンを丸々一羽食べることになっている。とは言えまだ3年目で去年は出遅れてチキンが買えなかったので2度目である。今回はとても大きいのを買った。前回はぼくが焼いたので、今回は妻に調理してもらった。お腹の中にぎっしりとお米が詰まった鶏の丸焼きはとてもふたりで食べきれるものではなく、半分ほど食べて明日に取っておくことに。もしかしたら本場でもクリスマスのご馳走は年末にかけて食べていくものなのかもしれないな。いっそこちらで言うところのお節料理すらも兼ねているのかもしれない。クリスマスの恩恵に預かれる国の人々は日本人なんかよりもずっとゆっくり過ごせるし。この国で「ハッピー・ホリデー」という言葉がなかなか浸透しないのは、そもそも祝日じゃない上全然お休みにならないからだろうな。冬至過ぎても普通に働き続けるってよく考えるとすごいことだ。
 夜中にトイレに入っていると、こつんこつんという奇妙な音が聞こえてきたので、出て見てみると、なんとソファに乗った犬がテーブルに前足をかけてチキンの皿に顔を突っ込んでいるではないか。しっかりかけてあったラップまでわざわざ鼻面でめくりあげている。ぼくがあーっと大声を出すと、妻がむっくと布団から飛び起きてきた。妻が激怒したのは言うまでもなく、犬は朝までケージでひとりで寝ることになった。クリスマスの朝に一緒に布団に入れないのは寂しいが、しょうがない。ケージの中でふてくされて寝ている犬を見るに、折檻に効果があるのか、後悔してもらえるのかは謎だけれど、ともかくびっくりした。鶏肉は前にも食卓に残してあったもの(西武の地下で買った美味しいやつ)をぺろっとやられてしまったことがあったので、もっと警戒しておくべきだった。けれどあんな大きなチキンにどこから手をつけていいか彼もよくわからなかったようで、皿の周りに添えてあったジャガイモやニンジンの類が食べられているだけだった。
 犬にはクリスマス・プレゼントのおもちゃを二つ買ってあり、イブに最初のひとつをあげてあったのだけれど、すぐに飽きたね。チキンのほうが興味津々だったわけだ。
 アドベント・カレンダーは全て開け終えた。終わってしまったがとても楽しかった。クリスマスにこういう楽しみ方があるとはね。

2016/12/25 日
 
 さあチキンの続きだ。妻も仕事帰りにパンとチーズと生ハムとりんごサイダーを買ってきてくれた。青い染みがたくさん浮かんだ美味しいチーズで最高だった。買っておいたソーセージも焼いた。そんなわけでいろいろあったので、またチキンはそこまで食べ進まなかった。また明日食べればいいのだ。
 犬には二つ目のプレゼントをあげた。しばらく遊ぶのだがやっぱり飽きて放置。
 クリスマスと言えどサザエさんは相変わらずだったな。妻と長女がお節料理を作っている間、波平は婿と「わしらの仕事はもうないな!」「そうですねえお義父さん!」などとのんきにくつろいでいるのがまた相変わらずであった。
 月曜までのイラストを仕上げて寝た。終わっちゃったなあクリスマス。

2016年12月23日

『ローグ・ワン:スター・ウォーズ・ストーリー』(2016)感想


 昨年のEP7『フォースの覚醒』がニュートラルなSW像を現代的に再解釈して見せた王道的作品だったのに対して、今作『ローグ・ワン』はそのよく知られている英雄譚を裏側から支えるもうひとつの魅力に迫った、まさに根っからの外伝作品と言える。EP7はファンのみならず、SWにそこまで馴染みのないひとも楽しめるようなキャッチーさやポップさが備わった「映画」だったと思うけれど、今作はまるでそれに対するカウンターのごとくこれっぽっちもビギナーに優しいところがなく、徹頭徹尾SWを愛するひとのために作られた「SWユニバース作品」になっている。外伝作品の大前提として本筋を知っている必要はあるだろうから、そのあたりは割り切ってしまっていいと思うし、作る側もある程度割り切っているからこそこれほどまでにおもしろいSW映画になったのだと思う。逆に言えばEP7は多方面に気を使いすぎた作品だったとも言えるが、今作でここまでファン向けに振り切れたのは、EP7で「SWってもともとはこういうものだよね」という普遍的な物語を展開した後だからこそだと思う。

 もちろん世界観の追求だけでなく、外伝としての役割も申し分なく果たしている。時代設定はEP3とEP4の間(正確にはEP4の直前)に位置しており、前日譚であると同時に後日譚でもあるわけだ。EP3に登場した兵器が一線を退いて地味なところで使われていたり、レイア姫の養父であるベイル・オーガナや、モン・モスマがEP3に引き続いて同じ役者が演じているところなど、ところどころにプリクエル世界観の延長が感じられ、新旧三部作の間に本作が挟み込まれることで、両三部作の境界が融和してひとつのシリーズとして繋がってくるようにも感じられる。まさにブリッジとしての役割だね。

 ベイルやモスマ以外にも過去の六部作から何人ものキャラクターが登場するが、その中でももっともアイコニックで有名なのはやはりダース・ヴェイダーだろう(C-3POとR2-D2も一応登場するけれどカメオ出演程度)。そのヴェイダーは今回初めてその住まいがお披露目され、入浴シーンまで見せてくれるのだけれど、そのヴェイダー城はどこか見覚えのある溶岩の川の上に建っている。あの惑星がEP3に登場した、ヴェイダーがあんな身体になった舞台であるムスタファーであるかどうかはまだわからないけれど、新しく登場した惑星には必ずテロップで名前とどういう特色を持つ星なのかの説明がある中、この火山の星には無いので、観客がすでに一度見たことのある星なのだろうと思われる。いずれにせよヴェイダーがわざわざ火山の中に住んでるという事実はなかなか胸にずっしり来る。きっと苦痛を忘れないように、そこから負の感情をたくさん引き出してダークサイドの力を追求するため、そして戒めのためにわざわざ住んでるのだろうなあと、ぼくは思う。その印象的なロケーションと、バクタ・タンクの中でうごめく手足と頭髪の無い痛々しい姿は、EP3で起こったことを思い起こさせるし、アナキン・スカイウォーカーはもういないのだと思い知らされもする。なによりすごいと思ったのは、EP3によって悪の権化から悲劇の男に印象が変わってしまったEP4のダース・ヴェイダーを、再び悪の権化に更新しているというところ。EP3の悲劇を思い出させながらも、この男は完全に悪に染まって久しいのだという事実を強くつきつけてきたクライマックスのシーンはそのままEP4の冒頭へと繋がるので、第1作目で初めて姿を見せた暗黒卿の印象を「当初のもの」に戻したと言え、さらにそこに深みすら与えている。この偉大すぎるキャラクターを再定義したのは本当にすごいことだと思う。
 
 惑星の名前と役割がテロップで流れたり、そもそもオープニングタイトルがいつものやつじゃなかったり(もちろんあらすじスクロールもない。だってこの作品自体があらすじスクロールの中で語られたことだからね)、本筋のエピソードでは決して見られない禁じ手が多く観られたのも新鮮だけれど、個人的には全然違和感や抵抗はない。むしろ外伝映画だから柔軟にいろいろなスタイルで良いと思うし、一通りプロローグが描かれたあとにタイトルがどーんと出る流れなどは、SWの枠におさまらないイマドキの映画という感じで良かった。惑星のテロップも、数々のロケーションが次々に登場する中で混乱を招かないようにしていたし、テンポの良さにも一役買っていたと思う。EP7が「映画」であり本作は「SWユニバース作品」だと上で書いたけれど、EP7がメイン・エピソードとして従わなければならないルールがたくさんあったのに対し、本作は外伝で自由がきくので、そのあたりは一般的な「映画」に近いものがあったと思う。

 他作品から登場するのは六部作映画の人物ばかりではない。同じく外伝として展開しているアニメ・シリーズ『反乱者たち』のキャラクターたちも本作にこっそり登場している。『反乱者たち』は本作より4年前の時代で、反乱同盟軍が結成される前のまだばらばらだった反乱者たちが帝国相手に戦いを挑むストーリー。ディズニー移行前に展開されていたやはりアニメ・シリーズの『クローン・ウォーズ』の後日譚でもあり、さらに今では旧設定扱いされてしまった昔のスピンオフ作品からのネタの逆輸入、ラルフ・マクォーリーやジョー・ジョンストンのコンセプト・アートを再利用してその絵画のような雰囲気を随所に取り入れるなど、様々なSWユニバースを包括するスピンオフのショウケースと言えるシリーズだ。特に個人的にはマクォーリー画を意識した線や背景などが興味深く、また最近ではレジェンズ(旧設定の世界観)における超人気キャラ、スローン大提督などの逆輸入によって、膨大なユニバースの特におもしろいところをどんどん映像に取り込んでいく様子が楽しい。
 『ローグ・ワン』では、『反乱者たち』でおなじみの人物の名前が秘密基地のアナウンスで呼ばれていたり、マスコット的ドロイドのチョッパーが画面の端を横切ったり、主人公パーティが乗り込む宇宙船が基地の発着場や集結する艦隊の中に確認できる。時代設定は近いので、少しは『反乱者たち』のキャラクターが絡んだりしないだろうかと前から淡い希望を抱いては「まあ作品の趣が違うし無いだろうな」と思っていたので、まさかここまで登場させてくるとは思わなかった。とてもうれしい。スピンオフ群を包括する『反乱者たち』の要素が絡んでくることによって、いよいよ本作は映画世界とスピンオフ世界をも繋ぎ合わせ、ユニバースを統合してきている。
 
 ぼくは映画としてのSWももちろん好きだけれど、ここまでSWに熱中したのはやはり膨大な設定が世界観に奥行きをつくっているからだった。小説、コミック、ビデオ・ゲーム、アニメーションなどによって展開された拡張世界は、映画を補完するだけでなく、ぼく自身の創作意欲をもかき立てた。思えばぼくは自分の創作意欲が刺激した作品をとことん好きになってきたと思う。たくさんある、それでいてわりと穴のあったりする愛らしい設定の数々は、ぼくに創作の楽しさを教えてくれた。自分でSW世界の住人を創作するのも、あったかもしれない戦いを創作するのも好きだった。だから『ローグ・ワン』を観て、映画として、SWとしておもしろい以上に親近感も湧いた。自分が思い描いていたものが映画になった、というのはちょっとオーバーかもしれないけれど、本筋じゃない、ジェダイもヒーローも出て来ない知られざる物語を映像にすると、こんな感じになるのかと感慨深かった。やっぱりSWはぼくを刺激する。ぼくもなにかを描きたいと思わせてくれる。

 「映像の魔法」って言われて正直ぴんとこないことのほうが多かった。物心ついた頃から『トイ・ストーリー』や『ジュラシック・パーク』があった世代にとって、特撮や特殊効果は驚くべきもの、というよりは当たり前のように楽しめるものという感じが強いと思う。新しいプレイステーションが発売されるたびにグラフィックがリアルになったと騒がれるが、そういうのも別にそこまで感動はなかった。そりゃあ時代を経てどんどん綺麗になっていくのは当然だろうと、そんな可愛げのないことを思ったものだ。そう、ぼくにとってCGは魔法というより、年々綺麗になっていくもの、という感じだった。年々本物に近づいているものという感じ。むしろ進歩しないほうがおかしいという頭だから、全然感動がないわけだ。
 しかし、故人が動いて話すのを新作のスクリーンで観られるとなれば別である。死者を蘇らせるという、人類の禁忌が破られたところでようやくぼくは映像の魔法というものがなんなのか理解した。かつてピーター・カッシングはシャーロック・ホームズを演じた際に「生きて呼吸するホームズ」と評されたらしいが、本作のターキン総督はまさに生きて呼吸するピーター・カッシングだった。よく見ればその表情の動きはどこかアニメーション的で、リアルなゲームのキャラという感じは確かにする。けれど、カメラが引いて初めてターキンの全身が映ったとき、思わず涙が出た。ターキンが、カッシングがそこに立っている。その佇まいを見て、大好きなひとと再会できたかのように思えたのだ。
 このターキン総督を描くにあたって、EP4だけではサンプルが少なかったと思う。EP4には全身が映って歩いたりするシーンはないから、他の作品から動きや佇まいを研究する必要があるし(正確にはこのターキンは丸ごとフルCGではなく、ガイ・ヘンリーという『ハリー・ポッター』シリーズへの出演でも知られる俳優が演じており、顔にCGを重ねているらしい)、顔にしてもEP4以外の作品を参照する必要があったろうと思う。自分のイメージするターキンの顔とは若干違って見えたという意見が希にあるのは、おそらくそのせいだと思う。ハマー作品など(それこそホームズもあったかな?)たくさんの他作品から引用して構成したカッシングなので、EP4のターキンとは違って見えてもおかしくない(もちろん実際にどういうプロセスで作られたのかまだわからないけれど)。でも、キャラクターとしてのターキンよりも、俳優としてのカッシングを追求したのなら、やっぱりそれはすごいことなんじゃないかな。CGの俳優に演技をさせるっていうのは、当のジョージ・ルーカスが繰り返しやりたいと言っていたことだ。ほかでもないSWで映像の魔法を体験できたのはとてもうれしい。ようやく「光と魔法の工房」という意味がわかった。

 土壇場になってかなりの部分が撮り直されたという騒動があって、トラブルも多かったみたいだし、最終的に再編集で今の形になったとは言え、画の中のことについてはやはりギャレス・エドワーズのセンスがものを言っているのではないかなと思う。『GODZILLA ゴジラ』のときにすでにミリタリー描写へのこだわりようは伝わってきたから、今度もSWの世界で軍隊描写にマニアックさを出してくるだろうなと思っていたけれど、想像以上だったと思う。武器の持ち方構え方、ディティールなどもそういうのが好きなひとなんだろうなあと思えたし、その趣味がSW世界を描く上で思いの外親和性が高いのだ。それにミリタリー趣味以上に、SWへの愛が強い人なんだなということがとても伝わってくる。センスだとかよりも、愛が一番重要なのかもしれない。
 今作ではシリーズにおけるアイコニックな超兵器デス・スターがテーマなのだけれど、その存在は自然とぼくらの世界における核兵器と重なってくる。マッツ・ミケルセンの演じるゲイレン・アーソは惑星を丸ごと破壊できるデス・スターのレーザーを開発する科学者で、ロバート・オッペンハイマーを意識していると言われているし、劇中でデス・スターが出力を弱めたレーザーで地表を攻撃すると、まるで原爆のような爆風が上空高く昇っていく。EP4のオルデラーンの破壊は一瞬で済んだけれど、これは一瞬では終わらない。本作では惑星はひとつも破壊されないけれど、地表にある都市や地形がじわじわと破壊されていく様はとても生々しくて恐ろしいし、現実の兵器にも通じる。ギャレス・エドワーズは『GODZILLA ゴジラ』で描ききれなかった核兵器の恐ろしさをも、本作に盛り込んだのかもしれない。スカリフという、モルディブで撮影された美しい海と点在する砂浜が特徴的な惑星で、デス・スターの放ったレーザーが炸裂して海の上に眩い光のドームが浮かび上がるシーンが、どこかビキニ環礁での核実験を彷彿とさせるのは偶然ではないと思う。

 お気に入りのキャラクターはたくさんいる。ベン・メンデルソーン演じる悪役クレニック長官、ディエゴ・ルナ扮するキャシアン・アンドー、ドニー・イェンのチアルート・イムウェ。スカリフ専属のスカリフ・トルーパーも、新鮮だがストームトルーパーの一種だとわかるデザインで好き。過去作からの登場はターキンやヴェイダーはもちろんだが、ドクター・エヴァザンとポンダ・バーバの二人組みの登場もうれしかったし、レイア姫の船ブラッケードランナーの船長であるレイマス・アンティリーズの姿も見られて良かった。このあたりはオタクへのサービスという感じかな。改めてお気に入り度が上がったのは、やっぱりブラッケードランナーの反乱軍兵士たち。白くて大きなヘルメットに襟付きシャツと黒いベストという、EP4の冒頭でばったばったと倒されてしまう名もなきヒーローたちが、実はダース・ヴェイダーの行く手を阻むために、「希望」を紡いでいくためにあれだけ犠牲になっていたとは(「犠牲」もまた本作の重要なテーマだろう)。
 
 第一作、EP4『新たなる希望』をよりドラマチックに深みあるものに補完するだけでなく、SWユニバースとはなんなのか、外伝映画になにができるのかを見せつけてくれた作品になっていると思う。今後も広がり、また深まっていくSW世界の行方が楽しみになった。なによりぼくの創作意欲が燃えてきたのがとてもうれしい。
 本筋エピソードの公開と外伝の公開を交互にやっていくいうのは、もしかすると作品を作品で補強してシリーズを掘り下げるだけでなく、誰でも楽しめる作品と、ファン向けの作品という二本の道を用意することでみんなが楽しめるようにするってことでもあるのかもしれないなあ。

2016年12月17日

日記:12/06 - 16

2016/12/06 火

 犬のポコの誕生日で、今日で7歳となる。犬としてももう折り返しだし、生まれつき腰を悪くする運命にあるコーギーにおいては残されている時間はより少ないと言っていい。とは言えまったく老い衰えている様子はない。脳腫瘍疑惑騒動以降ぴんぴんしている。散歩のときもリードを引っ張る力は前より強い気がする。誕生日なので公園に連れて行ったが死ぬほど寒いので早めに切り上げた。気が狂うような寒さで、ぼくは身体の冷えのせいで憂鬱になった。ポコが道端におとしたうんちを拾うとき、若干ゆげが立っていてとても暖かそうだった。ふところに入れたくなるが思いとどまった。

2016/12/07 水

 寒い中ポコのお誕生日リクエーションに付き合ったせいで妻が風邪をひき、一緒に病院に行った。平日の午前中の病院、待合室は老婆でいっぱいだった。老婆がより上の老婆に席をゆずったり「家庭画報」を読み聞かせたりしていた。妻は発熱してもアプリゲームの「ポケモンGO」をやめない。メタモンって、あんな適当な落書きみたいな見た目だけど、とても洗練されている気がする。波打った輪郭にも無駄がないし、ただでたらめにスライミーなわけではなくちゃんとメタモンとしての形がある。本当になんにでも変身できそうな、柔軟かつニュートラルな形状で説得力すらある。子供の頃からデザインにおいては一番好きなポケモンだったと思う。
 死ぬほど待たされたがインフルエンザではないとわかった妻と食料を買って家に帰ったら昼過ぎで、ぼくも出かけるのをやめて寝ることにした。妻が熱を出しているのだから出かけない理由は十分にある。眠いのだから寝てもいい理由も十分にある。目が覚めたら夕方だった。

2016/12/08 木

 通信アプリの別々のチャット欄で片や歴史好きの友達が真珠湾真珠湾と連呼して、片や音楽好きの友達がジョン・レノンジョン・レノンと連呼していた。AMラジオとFMラジオみたいなふたりから別々の話題を振られ続けてどちらもどうでもよくなった。でも来年こそはハワイに行ってみたい。
 『七人の侍』や『荒野の七人』の遺伝子を受け継ぐ『マグニフィセント・セブン』の試写に行った。やはり西部劇はおもしろい。娯楽として完成されている。銃声が恐ろしくない。イ・ビョンホンってかっこいいんだなあ。もうちょっと英語のできる日本人俳優がいっぱいいれば、ハリウッド映画の東洋人枠を分けてもらえそうな気がするんだけれど。いや、でもあそこはイ・ビョンホンが良い。
 閉店ぎりぎりだったけれど、六本木のレゴストアに初めて行った。先週末から来年の新作セットが先行発売となっていて、SWのYウィング(もちろん『ローグ・ワン』枠)がとても良かったので購入。これで今年のレゴも最後だろう。レゴおさめである。Yウィングはこれまで何度も発売されているけれど、今作は近頃のSWレゴの例に漏れずディティールが細かく出来が良い。それだけなら琴線には触れないけれど、このセットにはミニフィグが5体もついているから魅力的だ。パイロット、名称不明のアストロメク・ドロイド(ドーム状の頭が透明なのでR3系かな。最近はこのあたりの設定もめちゃくちゃだけれど。いずれにせよモブのドロイドは好き。画面のずっと奥の方で黙々と作業しているようなキャラクター)、新キャラでモン・カラマリのラダス提督(サーモン色のモン・カルのイメージをぶっ壊すような、非常に不健康でキモい色をしているが気になるキャラ)、それから氷獣ワンパをずっと知的にしてウーキーっぽくしたような新キャラのモロフ。さらにストームトルーパーが一体ついているというサービスの良さ。見事に脇役(というかほとんどモブ)しか入ってないセット(Yウィングそのものが脇役戦闘機だしね)。こういう地味なグッズがSWの醍醐味だよ。
 Yウィングって、爆撃機なのにボマーじゃなくてスターファイターなんだよなあ。ちなみにこのセットのYウィングはギアをまわすと爆弾(円筒形でかなり露骨な形状)が腹の穴からぽとりぽとりと落っこちる仕掛けがついている(こういうおもちゃのギミックを、この仕掛けは自分で組み立てたんだ、と思えるところがレゴの良いところ)。それを見た妻がかなり不快感を示していたが、確かにきゅうに戦争っぽい。ギャレス・エドワーズのリアルな軍隊描写にこだわる思想がレゴにまで波及しているのだろうか。SWの魚雷とか爆弾って、なんだかよくわからない光る玉ってイメージがあったけれど。
 子供の頃買えなかった大きなセットを買うのはとても楽しくうれしのだけれど、所持パーツが増えるに従って作れるものの幅が広がりそうなところが、逆に説明書通りに組み立てるくらいのことしか思いつかなくなっている。それはそれでいいのだけれど、限られた少ない部品を工夫していろいろ作っていた頃のことが懐かしいな。それも親の知り合いの家から引き取ったお古のレゴだったから、ブロックの角が欠けたり丸くなってしまっていたり、色が焼けていたり、接合部分がすかすかだったりした。お城を作ろうと思ったらもうお城をひとつ作って終わる。宇宙船を作ろうと思ったら宇宙船を一隻作って終わる、そんなかつかつな感じ。でもそのときは、SNSに載せてさまになるような、お洒落でかっこいいやつを作るぞーというような変な構えはなく、思いつくままに部品を組んで想像を膨らませたものだ。一度作り上げて飽きたらまだ破壊する。この破壊がまた楽しい。ぼくが暴力的な少年にならなかったのはきっとレゴブロックが異様なカタルシスを与えてくれたからだろう。宇宙船が墜落してバラバラになり、城が崩落する。ビルディングは核攻撃を受けたかのように一瞬で霧散し、船は大破してカーペットの海に沈没した。レゴはビルド&スクラップの精神を早い段階で教えてくれた。この地上では何度でも、果てしなく破壊と創造が繰り返されていて、それをめちゃくちゃ小さくした縮図がぼくの手の中にあるような気がした。 
 今は、それなりの値段のするモデルを一度組み立てると、その完成した状態をその値段で買ったんだという意識が強くなってなかなか壊したり前から持っている部品とまぜる気になれない。子供の頃は平気で買ったばかりのモデルもすぐばらして所持パーツに加えてたんだけれど。しかし、それは多分子供の頃はそこまでまとまった大きなセットを買えなかったから、あくまでちまちまと部品を補充するために小さなセットを買ってもらっていたから、ていうところもあるのかもしれない。「この部品があれば、家にあるあれと組み合わせて、ああいうのが作れるなあ」みたいなこと考えてレゴを選んでたのかもしれない。それもまた大きなセットに手が届かない子供なりの工夫だったのだろう。『レゴ・ムービー』に出てきた融通の利かないこだわり親父(お仕事社長、ウィル・フェレル演)みたいにはなりたくないから、できれば説明書やシリーズの区切りなどを完全に無視する「雲の上の楽園」的精神を大切にしたいから、あまり深く考えたりこだわったりしないようにしよう。そもそも新しく迎えたモデルを組み立てた状態で飾っていったらスペースがなくなる。レゴの利点とは、何度でもバラバラにして組み直せるところだ。怖がらずにちょうどよさそうなものはバラしてほかのものと組み合わせて、少しずつ子供の頃の感覚を取り戻したい。
 レゴだけでなく、おもちゃって、部屋にちょっとだけあるのがいちばんかっこいいんだろうなあ。そういうの、憧れるけれど、オタクにはどうしたって難しいよね。とは言え、蒐集趣味とミニマルな生活ってのは本当に相性が悪いものなのだろうか。ミニマルな蒐集というのもあるだろうと思う。で、今からミニマルな蒐集にシフトしていくには、少しずつ物を捨てなければならなくなる。以前、ぼくはたくさんコレクションを手放した。捨てるのは嫌だから、趣味の合う人にあげたり。でも、最近また少しずつ当時ほどの量ではないにせよ、コレクションは増えてきている(少なくとも無闇やたらに集めるって感じではなくなったかな)。なんでもかんでも捨てるってのも妙なものだと思う。それを推奨する、いわゆる片付けのプロなんていう人たちは、どうも物質主義的な考えを見下してる印象があって、ぼくは抵抗を覚えちゃう。参考になるところは実践するけれどね。しばらく着てない服は捨てちゃっていいとかなんとか(服をコレクションしているひとからしたらまた釈然としないところもあるだろうな)。
 なんでもほどほどが良いよね。ミニマルはかっこいいかもしれないけれど、そこまで追求しようとは思わない。最小限を追求していったら最後にはなにもない部屋になっちゃうし、そもそもぼくの生きがいや職業そのものはミニマル思想においては削減の対象なんじゃないだろうか。生きて行く上で本来必要ないものが、ぼくに喜びを与えてくれる。まあ、ミニマリストもなにも洞窟で暮らせと言っているわけではないと思うけれど……。余分なものは減らせってことだよね。ほどほどなコレクションを維持したい。

2016/12/09 金

 ここのところせわしなさすぎてちっとも日記のメモができなかった。これを書いている現在はなんと20日である。いや大変な日々だった。というわけでこの9日の日になにしてたかなんてもはや覚えていない。試写に行って、前日買ったレゴを組み立てたくらいだろうか。12月に入ってからは毎日レゴSWアドベント・カレンダーを開けている。もっと前から毎年やっていればよかった。こんなに楽しいとは思わなかった。とは言えアドベント・カレンダーって別に曜日がついていたりする本物のカレンダーではない、ただ12月に入ってから24日分カウントダウンしていくだけのものなので、過去に発売されたものをいつの年に使ってもいいんだよね。

2016/12/10 土
 
 この日のことも書けるほど覚えていない。おそらく翌週前半までにやらなければならない仕事に取り組んでいたことだろう。金曜日に月曜日までの期限で依頼がくることもたまにあるのだ。そのかわり平日の好きな時間に寝られるけれどね。

2016/12/11 日

 同様に書くこと無し。作業して、サザエさんでも観ていただろう。

2016/12/12 月〜14 水

 かなりハードな日々だった。とてもまともに寝られなかったけれど、唯一の原動力は木曜の深夜に『ローグ・ワン』を観ること。それだけでなんとかがんばれた。来年はあまり真夜中まで仕事をしないでやっていきたい。夜中に送られてきたEメールにまず返事をしないようにしたい。。。正直言って命を削ってまで絵を描きたいとは思わないし、相手が昼もなく夜もなく働き通しなのは立派だけれど、それに合わせてぼくも生活するのはちょっときついものがある。来年はもう一人暮らしみたいな生活リズムをやめたい。
 なんにせよ徹夜明けでそのまま出かけてひとと話すと、ものすごくぼんやりしてしまって本当にいけない。こんなのは人間の生活じゃない。

2016/12/15 木

 『ローグ・ワン』公開は翌日なのだけれど、この日の深夜、日付が変わるときにはもう観られる。前に書いたように電車がなくても歩いて帰れるシアターで観た。非常に出来の悪いコスプレをしたひとが何人かいたが全然お祭りムードではなかったので、静かに観ることができた(映画館が手配したわけでもない、完全な有志なのに場所をとって撮影会を始めちゃう感じ、なんなんだろうね?)。妻いわく、ぼくは途中で何度も何度も身を乗り出して画面に見入っていたらしい。IMAXの大きなスクリーンだから、身を乗り出せばよりよく見えるかのような、景色でも見入るような感覚だった。いやあ良かった良かった。

2016/12/16 金
  
 明け方眠りについて、昼間までよく眠った。『ローグ・ワン』は本当に良かった。良かった良かったと友達と通信アプリでやり取りできてより楽しい。正式な公開日であるこの日は観に行かなかったけれど、ずっとローグ・ワンのことばかり考えていた。なによりも創作意欲が刺激されたのが良かった。創作がしたい。

2016年12月15日

「山と渓谷」2017年1月号



 「山と渓谷」2017年1月号にて、特集「山の新常識2017」の中で登山の安全対策についてのページでカットを複数担当しました。ぼく自身山登りはしませんが、その服装やギアには興味があります。バックパックなど。いろいろ描きたい装備、使いたい色でやらせていただきました。救助活動中のヘリコプターは長野県警仕様。

2016年12月14日

ディスクユニオンのフリーペーパー



 ディスクユニオンのメンバーズ限定フリーペーパー「いますぐ聴いてほしい2016年オールジャンル700」に、4月から毎月絵柄を担当している「集めたくなる栞」の出ている分がずらっと掲載されています。並べてみると綺麗ですね。この8枚に加え、残り4枚(今月分はもう出ているのであと3枚)が揃うとコンプリートです。
 毎月紹介していくべきだったのだけれど、載せそびれているのでまた今度まとめて紹介します。若干順番を忘れかけていたのでこのページ助かりました。
 「オールジャンル700」なので、それはもうたくさんのLP、CD、DVD等が紹介されています。見ているとだんだんCDとか、集めたくなるなあ。デジタル時代だからこそ、形のあるメディアの持つ魅力が際立つと思う。もちろんぼくは蒐集するものを限定したほうがよさそうだけれど。でも、欲しいものはやっぱり欲しい。それでいいと思う。 
 栞12枚のコレクションは、かさばらず場所も取らないからおすすめですよ。

2016年12月8日

日記:11/28 - 12/05

2016/11/28 月

 早朝の番組でデザインを担当したクリスマス・カードがお披露目される。テレビで自分の名前が読まれて音になるのにはまだ慣れないな。
 風邪はこの日がピークだった。幸いにも発熱まで行かなくてよかった。メディケイテッド・ドロップとポカリスエットだけで直した、というとなんだか根性馬鹿っぽいけれど。
 どうしようもなくだるいからかなり寝てしまった。取り掛かっている仕事についてはどれもラフ画を送ってオーケーが出ているので今週は清書版を描き上げるだけ。ところでイラストでも清書という言い方で合っているんだろうか。

2016/11/29 火

 風邪がだいぶマシになったので具合が悪そうな振る舞いで妻の気を引けなくなった。
 『ローグ・ワン』のチケットは木曜の正午から発売されるらしい。しかも最寄りの映画館で深夜にカウントダウン上映をするらしい。チケット争奪みたいなものが苦手なので競争を避けてフツーにのんびりと観たいとは思うものの、やはり気になるし「せっかくなら」という思いが湧いて来たりもする。「みんな」が「にぎやか」そうにしているのが見えてしまい胸をかき乱されるところは、SNSの苦手なところだ。ぼくもついていかなければ、なんてことをまだこの歳になっても思ってしまう。結局のところ自分抜きで人が集まって楽しんでいるということを知るのが嫌なのだ。
 とはいえ、イベントなんかに行ったって別にそこにオタク仲間がいるわけでもなし、基本ひとりで過ごすのだけれど。で、知っているひとと会うわけでもないのなら、自分自身の素直な部分に本当のところを問うと、やはりイベントは行かなくてもいいかなということになる。家で、今頃「みんな」は騒いでるんだろうなあとぼんやりと寂しい思いをするのか、現地に行って「みんな」が楽しんでいる中にいながらもなんとなく寂しい思いをするのか。どちらがいいだろうね。そうして、「みんな」ってなんなのだろう。わりと誰でもある経験だと思うんだけれど、友達がみんな持っているからと理由で玩具を買ってくれと親にせがんだ際に母から「みんなってだれとだれとだれよ!」と言われ、はて、だれとだれとだれなんだろう、と思うあの感じである。なんとなくの疎外感から来る「みんな」なのだ。ましてや今ではその「みんな」はとんでもなく不特定多数である。一体ぼくは誰達から疎外感を覚えているのだろう。楽しそうにやっているところに加わりたくて仕方がないのだ。けれど、実際にその場に行っても結局寂しさを感じてしまうことはわかってる。わかっているけれど、また楽しそうなのを羨ましがる。
 SNSで眺めている範囲がまるで全体のムーブメントであるように見えてしまうのも辛い。なぜだかそう見えてしまう。だから、SWが好きな人たちが盛り上がっているコミュニティの存在を知って、彼らがまるでファンの中心であるかのように感じて、まずい、あそこにいなきゃファンとしてダメでは?とか思っちゃう。あるいは、イラストレーターのひとが仲良くやっているコミュニティがあると知ると、やばい、あそこにいないってことはぼくイラストレーターじゃないんでは、とか思っちゃうわけ。馬鹿らしいことだというのは自分でもよくわかっている。ぼくはちゃんとSWのファンだし、イラストレーターである。文章だって書いている。創作もしている。ぼくは圧倒的に絶対的にぼくを構成しているのだけれど、人が集まっているのを見るとなにかが揺らぐ。ぼくが「個人性」を追求しすぎた結果、「集団」に対してコンプレックスがあるのか。そんなことで悩む暇があるなら自分の世界をもっと深めろと妻は言うし、このことを相談した友達はだいたいみんな呆れた感じで知らんわという具合だから、本当にはたから見たらくだらないことなんだろうなとは思う。こうなってくるとぼくも自分がなにに引っかかってるのかわからなくなる。単にSNSを使う上でよくある感覚なのだろうか。自分が通じてる分野において自分抜きでワイワイやっているひとたちへの嫉妬に尽きるのだろうか。
 他人のことはともかく、夜中の上映に行きたいか行きたくないか、で言えばやっぱりどこかに行きたいというのがある。というか、行かなかったらきっと行きゃよかったなあってなるよね。チケット購入、挑戦だけしてみよう。

2016/11/30 水

 試写で『ネオン・デーモン』を観る。『ドライブ』の監督作で注目されているらしい。真っ暗闇にネオン・カラーというコントラストが好きなひとなのかもしれない。ぼくはキャリー・マリガンもエル・ファニングもあまりタイプじゃないけれど、観終わったらなんとなくエル・ファニング好きのひとが、どこが好きなのかわかったような気がする。なんとなくだけれどね。でもまあ、オーロラ姫って感じではないと思う。

2016/12/01 木

 仕事の打ち合わせに行く前に大急ぎでシネコンのサイトからチケットを買った。普通に買えた。余裕であった。ぼく以外誰もいなかったらどうしよう。
 用事のあとで前から狙っていたモレスキンのバックパックと、来年用の手帳を買った。手帳はいろいろ見て行くうちにどれにしたらいいかわからなくなったので、今年使ってきたモレスキンのウィークリーに決めた。紙の質感やインクの乗り具合は全く気に入らないが、ドラえもんのデザインに負けた。いろいろな手帳を試したいとも思うが、スケジュール管理がメインなので、今使っているもので不便がなければとりあえず同じものでいいかと思った。バックパックとお揃いになるからいいだろう。アイデアや落書き用には、いろいろなノートを使ってみよう。なかなか使い切れずに、新品のノートばかり増えて行くが。
 またしても持ち前の要領の良さでもってウィークデーの後半に作業が詰まってきている。それでも、結婚式の準備でだいぶキャパシティは増えたように思う。ひとつひとつの出来や精度を落とさないようにしなくてはならない。

2016/12/02 金

 結婚式からあっという間に一ヶ月経った。あっという間に感じると同時に、もっと前のような気もしてくる。今月は異様に長く感じたりもした。寒いときは感覚も鈍くなるし時間もゆっくりのような気がする。まるで時計の針が凍りついてしまったように。ぼくの身体にとって冷えは脅威かもしれない。
 試写で観た映画は『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』。ジェイク・ギレンホール主演。西川美和監督作『永い言い訳』に共通する作品で良かった。
 観ている最中から、家族の死が恐ろしくなった。災厄や悲劇はいろいろあるが家族の死は遠くない将来確実に自分に訪れるものだ。ぼくが誰よりも先に逝っちゃわない限り、両親の死に立ち会うのは確実だし、年上の妻も先に発ってしまうことになるかも。恐ろしい。ぼくは残されることに耐えられるだろうか?そうしてそんな家族の誰よりもまず確実に先にいなくなってしまうのは犬だ。このあと10年以内、いや5年から7年くらいの間に彼は寿命を迎える。そんなに先のことではない。彼は来週には7歳になる。確実にその日は近づいている。「もしかしたら」「いつか」ではない。絶対にそのときが来るのだ。次なる大震災や世界大戦よりも先に、確かに間違いなく絶対やってくる。考えるだけでも寂しい。そんなことを考えながら犬の顔をみると、「まだここにいるんだが?」というような目をしている。周囲にも犬や猫を失ったひとが少なくない。みんなどうやって向き合うんだろうか?
 この恐怖と関係しているのか、未来のことを考えるとクラッとする。2020年なんていう西暦を聞くたびにおっかなくなる。その年までぼくは元気だろうか?どうしても今日と変わらず暮らしていると確信できようか。それでいながら、ぼくは将来の自分の仕事について想像を巡らせたりもする(そこに正確な時期や日付は絡んでこないが)。未来は怖くもあり待ち遠しくもある。

2016/12/03 土

 模様替えは本棚として使っている食器棚を分解して運んだが、男性ひとりではもとに戻せない重量だったので弟に来てもらって全て完了させた。これで万事オーケー。部屋もすっきりした。
 弟は大学生なのだけれど、先日ファッション・スナップを撮られるも、全身ユニクロだったのでブランド記入用紙にそう書くほかなかったという話をしてくれて可笑しかった。可笑しい話だと思って笑い流したが後から思えば、すごいと言って欲しかったんだろうか。言ってあげればよかったな。でもそれ以上に同じページに載る子たちが可哀想だなと思ってね。
 12月に入ってからはレゴ・ブロックのアドベントカレンダーを1日ひとマスずつ開けられるので楽しい。三日間SWのなにかしらを組み立てている。あと21日分もある。こんなことなら毎年買えばよかった。来年もやろう。以前は小さい細々としたものがいっぱい入っているだけだと思って興味をひかれなかったんだよなあ。このかわいらしさがわかるまで数年かかったんだ。

2016/12/04 日
 
 この土日は仕事し通しで、特に月曜までに 作るものもあったのでだいぶがんばった。
 描きすぎてちょっと手が痛くなったけれど、そこでふと思ったのは、今の筆圧のままで描き続けていいものだろうかということ。このままこの筆圧で描き続ければ年を取ったときにとんでもない目にあうのでは。できれば生涯現役で描いていきたいのだけれど。ジブリの監督などはほとんど手に力を込めないで描いていると聞く。せっかくなら一生にできるだけたくさん描きたいよね。でも、自然と筆圧かかっちゃうし、それくらい力を入れないと思うように描けないというのもある。それからぼくの場合はやけに肩に力が入っていけない。描きながらも悩んでしまうくらい。
 そういえば結婚式直前に骨格矯正に行って以来、もともとは式に向けて姿勢を良くするために通っていたので、ひと区切りつけてしまっている。夏から二週に一度行っていたが、これで丸1ヶ月行ってない。どうりで身体の調子が悪いと思った。はやく骨を動かしてもらわないといけない。「皆さん式が終わると来なくなるんですよ。。。」とお姉さんが寂しそうに言っていた。ぼくはそんな連中とは違います、ちゃんとこれからは月1ペースで来ますよ!!と言っちゃったものの、いつ行こうか特に思いつかない。

2016/12/05 月

 午前中でとりあえず送るものは送った。徹夜したときは時間の流れが早い。さっきまで早朝だったのが正午となり午後になっている。新しく移った部屋はテレビから遠いのでまたラジオを聴く習慣がつきはじめている。朝昼のラジオっていろいろな話をしているなあ。
 今日は結婚式のアフター・パーティでも弾き語りをしてもらったアニー・ザ・クラムジーも出るクリスマスライブがあるので夜までに少し休んでおかないと、と思ったものの犬の散歩をしたりなんとなくなにかを食べたり、思いついたものを紙に描いて仕事中のフラストレーションを解消しているうちに日も傾き始めてしまった。さらにアニーちゃんへの差し入れにカードを描こうと思って筆を取っていたらもう出かける時間だった。本当はもっと遅くてよかったんだけれど、仕事あがりの妻と早めに渋谷で待ち合わせる予定だった。ロフトでお雑煮用のお椀とニワトリ(酉)の張り子を買った。張り子は破魔矢を加えているアホヅラのやつと、首が赤べこ構造でゆらゆら揺れるアホヅラのやつでとても迷ったが後者は動きがかわいいものの、大きさと色がかわいくないので破魔矢のやつにした。矢をくわえて焦点の合わない目で宙を見つめている。今思ったけれど、これ12年に一度しか飾らないんだよね。
 アニーちゃんのライブはとても楽しかった。こういうのんびり観て聴いてられるのは良いなあ。クリスマス・アルバムは結婚式のときにプレゼントでもらったのでずっと聴いていてお気に入りだったけれど、ライブはより良い。アニーちゃんは、その名の通り堂々とした不器用さがかっこいい。ぼくもうまく描けないところはうまく描けないなりに堂々としよう。
 長谷川町蔵先生と山崎まどか先生にも会えた。まどか先生に、レナ・ダナムの『ありがちな女じゃない』にサインをお願いすればよかった。新しいバックパックに入っていたのに。せっかく会えたけれど、いよいよ眠気で頭がぼうっとしていたからお見苦しいところを見せてしまったかもしれない。ありがちな失敗。
 もちろん帰宅してすぐ寝た。アドベントカレンダーも開けずに。でも、あんなに素敵なクリスマス・ソングを聴いて、毎日アドベントカレンダーを開けられるって、良いクリスマスだなあ。

2016年11月28日

日本テレビ「ZIP!」クリスマス・カード

 日本テレビ系の朝の番組「ZIP!」特製クリスマス・カードをデザインさせていただきました。番組では出演者のみなさんからの直筆メッセージ付きでこのカードを100名さまにプレゼントするそうです。
 また、高解像度のデータをダウンロードして個人で楽しめるようにもなっています。
 詳しくは公式ページにて。


 両面印刷(A4用紙推奨)してふたつ折りして完成です。
 サンタのおもちゃ工場をテーマにしています。工場を開けると、内側が工場内部の様子になっている感じです。内側の、雪に覆われた屋根の部分がメッセージ書き込みスペースです。ぜひお楽しみください!








日記:11/19 - 27

2016/11/19 土

 驚くほど寝ていた。夕食は牡蠣と鱈と海老でお鍋にしてもらった。牡蠣はとても好きだ。たくさん食べた。

2016/11/20 日

 毎年この本格的に寒くなってくる時期に少し憂鬱になる。深夜まで起きていれば尚更。持ち前の冷え性で足先が冷えきって節々が痛い。
 自分のことを正当に評価してくれない人と無理して関わる必要はないよなあと、何度目かわからないが思い至る。ぼくのひどく歪んだ承認欲求はそうした、全く自分を認めてくれない人たちとずいぶん前から無理して接する中で培われたのではないか。いや、自分の性格の欠陥を他人のせいにするのはどうかと思うが、でもそうしてしまうととても楽なんだよね。いずれにせよ「他人」が非常なストレスになっていることは間違いない。認めてくれない人たちを見返してやりたい、などというくだらない動機がつねに奥底にあるような気がする。そんなものを原動力にして良い創作ができるだろうか?負の感情をエネルギーにするやり方ももちろんあるだろうけれど、取るに足らない他人のことを頭のどこかに置いて、そいつに見られることを前提になにかを作るなんて駄目だよね。
 これからはもっと自分の小宇宙を維持することに努めないといけない。

2016/11/21 月

 月曜日になると自分以外の世の中がしっかりと動き出してしまい、置いていかれた気分になる。仕事でまだ本になる前の原稿の束、ゲラを読んでいるのだけれど、その形態上普通の読書のようにははかどらない。
 友達からクリープの存在を教えてもらい、買って来た。この季節になるとココアが飲みたくなる。ココアはお湯で作ることもできるけれど、断然牛乳で作ったほうが美味しい。しかし我が家では妻が常に大量の牛乳と豆乳を飲むため、ぼくも牛乳を決まった量飲むとなると牛乳代がかさんでしまう。妻の牛乳を飲む勢いといったら、キャットウーマンに変貌する直前のミシェル・ファイファーがパックごとミルクをあおって口元から垂らすあのシーンくらいの勢いがある(嘘)。
 クリープは牛乳そのものじゃないし粉ミルクでもないがココアを飲む際の助けとなる。お湯だけで溶かしたココアよりずっと良い。コーヒーにも使える。いいことを聞いた。この手のものにはてんで興味がなかったのでまだまだ知らないことがたくさんある。
 先日の『ファンタスティック・ビースト』鑑賞の影響か、『ハリー・ポッター』をいちから読み返したくなっている。小学生のときよりは時間をかけずに読めるのではないか。実家からハードカバーを取り寄せようか。そのためには本棚のスペースをまた空けなければならない。

2016/11/22 火

 犬のMRI検査をしてから2週間経ったのでまた医療センターに。ホルモン検査の結果も結局異常なしであった。顔の麻痺以外はいたって健康。そうそう、きれいに刈られたお腹の毛はまだ生えず、ピンク色のお腹は妙に暖かくて柔らかく、よく触っている。優しくもむと恍惚とした表情でそのまま寝息を立てたりするからたまらない。
 顔の麻痺についても特発性、突発性であろうと見なされ、様子見ということになり、通院する必要もなくなった。どうやらこの2週間でまぶたも下半分は動くようになったようである。耳もほとんど普通に戻り、口元はまだ反対側に比べると目一杯吊り上がらないようだがだいぶマシになった。改善傾向にあり、これ以上悪化することはまずないだろうと言われた。
 犬のためとはいえ病院に行くというのはどうしても1日仕事になってしまう。帰りに所沢の航空公園に立ち寄り走り回らせた。よく整備され、日当たりもよく、綺麗な公園。うちの近所とは大違いだ。あそこはジメジメした雑木林のようだし、我が物顔のランナーに気を遣って歩かなければならない上、愛犬を過信した身勝手な飼い主がノーリードで犬を放し飼いにさせているかと思えば、公園のど真ん中で思い上がった飼い主たちが一列に並んでいわゆるドイツ式訓練をしたりしていて(中年の女性がヒステリックに叫びながら自分のラブラドールをひっぱたいているのを何度か見かけた)、夜になると子供たちが限られた時間を少しでも楽しもうと不毛な語らいをしている。芝生はろくに手入れされずほとんど野っ原だ。最悪だろう?
 明日は『ファンタスティック・ビースト』の公開なので、感想記事を作ることにした。公開前に観せてもらっているからには、公開のタイミングや上映期間中に作品についてアピールしたいところ。

2016/11/23 水

 実はこのあたりから風邪をひいたり、持ち前の要領の良さで深夜まで仕事をしたりしていたので1日の出来事のメモを付け忘れていた。よく思い出そうとしても特に家で仕事したり本棚の中のフィギュアを並び替えたりしかしていないので特筆することはない。先週いっぱい試写を入れていたから今週はセーブしておいてよかった。寒すぎてとても出かける気になれない。
 本の装画の準備とか、雑誌のカット、ある映画への宣伝用のコメントを書いたりした。この映画への一言コメントというのは初めてだったのだけれどちょっと難しかった。絵無しで純粋に言葉だけとは、ちょっと恥ずかしいところがある。

2016/11/24 木

 朝から雪が降った。完全に風邪を引いた。鼻と喉から来ている。何もする気にならないが描くものはいくつかあった。犬も丸まって寝ているだけで動く気がないらしい。例によって足先が冷えきっている。あとはなんだったかな。寒かった以外のことを覚えてない。
 そう、実家の母に電話をして、部屋に残してある『ハリー・ポッター』のハードカバーを送ってもらうよう頼んだのだった。ついでにティム・バートンの新作についても話してあげた。最近のバートン映画にはテレンス・スタンプが出るんだよと教えたら、まだ生きてるの!と驚いていた。ひどい。わからないでもないが。
 思えばバートン映画には銀河共和国の議長がふたりとも出てるんだなあ。

2016/11/25 金

 妻に『ファンタスティック・ビースト』を観て欲しかったから、一緒に映画館に行こうと思っていた。あわよくば映画館のそばにあるトイザらスでのブラックフライデーのセールでSWのトイを見ようとも思っていたが、結局家にいることにした。ぼくは風邪がひどくなってきたし、毎週のようにおもちゃを買ってもいられない。どこかで止めなければきりがない。もともとは特に好きなキャラクターだけ、特に昔のものをどこかで見つけたら、という方針だった。投げ売り目当てに出かけてもいられない。SNSの普及は外国人の風習を隣人のそれのように感じるほど身近なものにしたかもしれない。去年もこの季節にアメリカのオタクのにいちゃんたちが特価のフィギュアをインスラグラムで自慢するのを羨ましがったものだ。以前はこの国でもあったらいいのにと思ったものだが、いざ身近なところでそのセールが始まってみると、そもそもの感謝祭もすっ飛ばして軽薄すぎるという感想を抱くばかりだった。商売のためによその祝日をも盗んでくるのはぼくらの得意とするところだ。そのくせホリデーであるはずの期間も働き続けるのだから奇妙だね。
 出かけないかわりに、予ねてから考えていた大幅な模様替えをやってみた。寝室とぼくの書斎(書斎だってさ。アトリエよりはマシだな)をそっくり入れ替えるのだ。妻曰く、ぼくはもっと奥まった部屋で仕事するべきなんだとか。要するにテレビから離れた部屋がいいというわけ。ぼくもそう思う。
 この小さい部屋の中で引っ越し作業をして実感したのは、ぼくが部屋に大してかなり大きい家具を持っているということ。部屋が古いのだからしょうがない。まだ日本人が土手の斜面に掘った穴みたいなところで生活していた時代において、最先端だったような部屋と言えばいいだろうか。とにかく狭い。ぼくの持つ二大家具、仕事に使っているカリモクの学習机と、本棚やコレクション陳列用に使っているカリモクの食器棚は、この部屋においてまるでイウォーク族のツリーハウスに宇宙船を運び込んだかのような異彩を放っている。特に本棚として使っている食器棚の方は上部と下部に分解できるとは言え上に乗っている棚のほうはガラス戸が三枚ついて背も高いのでぼくひとりで下に降ろすは無理で、妻と一緒に降ろしても今度は運んで移動先の部屋で持ち上げて再度組み立てるということができなかった。なので今新しくぼくの仕事部屋となったこの部屋でそれは二つに分解されたまま置かれている。これはこれでも良いがやはりアンバランスな印象。友達か弟を呼ぶ必要がある。
 そのほかは特に問題なし。せっかくなので机を窓辺に置いたが、外の冷気がひんやりと入ってきてとても寒い。だが頭上にエアコンがある。

2016/11/26 土

 この日は妻とどこかへ出かけようと思っていたのだけれど、ぼくの風邪の具合からにぎやかなところにわざわざ出ずに近場に兼ねてから必要だったものを買い行くことにしようということになり、池袋へ(十分にぎやかなんだけれどね)。
 来年の手帳と欲しかったバックパックをチェックして、犬の散歩用にヴァンズのスニーカーを買った。昨日の模様替えにともなって必要になったラグも買った。少し前から切れてしまった蛍光灯も4本買った。ダイニングの灯りはしばらくたった一本の、それも弱々しくなった蛍光灯で照らされていたのだから、気分も暗くなるというものだ。取り替えて見たら恐ろしいほど明るくなった。目がつぶれそうだ。
 夜はレゴ・ブロックを組み立てた。友人に不要になったレゴを大量にもらって一年以上経つが、いくつも製品モデルを組めるはずがなかなか暇がなくてまだまだ組み立てられるものが残っている。だから最近は説明書を見ながら製品モデルを組むので精一杯で、子供の頃のように衝動と思いつきで組み立てたりして遊ぶことはなくなった。映画『レゴ・ムービー』はそんな、つまらない大人的行為をも肯定してくれたからうれしかった。けれど、たまには製品モデルをばらしてなにか思うものを作りたい。ほんとはなんでも作れそうなのに、気力が湧かない、技術が追いつかないというのはもどかしい。

2016/11/27 日

 風邪の具合はと言えば発熱がないのが救い。今がピークかもしれない。雨で余計に冷える。だが新しい仕事部屋はラグも敷いてあって暖房も効くから助かる。週明けに必要なラフを描きあげた。J・K・ローリング本人が書いた魔法界の設定を読む。ファンタビの舞台である北アメリカ魔法界の歴史から、その魔法学校イルヴァーモーニーの創立についてまで本当に丁寧に書かれている。やはりローリング女史は設定好きだ。創作のもっとも楽しい部分を思いのままって感じ。楽しそうだ。彼女のようなひとがひとりでせっせとこれを書いていると思うと、それだけで素敵だ。
 ぼくの思った通り、非魔法族の戦争に魔法族も参戦しているらしい。第一次大戦ではアメリカの魔法使いたちも参戦し、同盟国民を救い、敵国の魔法使いを倒したようだ。あくまで現実世界の中に魔法の世界がある。これが魅力。

2016年11月24日

『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』(2016)感想


  スクリーンの上ではどんな生き物でも生み出せる時代になって久しいので、今更摩訶不思議な幻獣(ファンタスティック・ビースト)たちの姿に新鮮さはあまりないのだけれど、そのぶん人物のディティールや人間模様が魅力的だったと思う。狂騒の20年代と魔法ワールドの融合も、『ハリー・ポッター』シリーズと言えばイギリス、というイメージが良い意味で壊されて視野やイメージがぐんと広がった。
 これまでの映画シリーズは原作の少なくない場面や人物が省略されてしまっているので、映画だけでハリポタ世界を観てきた人にとって世界観を理解するのがやや難しいのではないかという懸念がある。でも本作はそんなひとにも超おすすめ。むしろこちらのほうが魔法界のルールを理解する上で入門向けではないかとさえ思う。ストーリーに原作が無く、脚本を原作者J・K・ローリング女史が書いていることを考えれば、これはシリーズで初の映画が原典である作品と言える。
とにかくユニバースの広がりを感じられたのがうれしいのでストーリーよりもその方面について書くと、イギリス魔法界とアメリカ魔法界の違いがおもしろかった。まず断っておくと、「魔法界」と言っても別次元の世界があるわけではない。魔法を使う魔法族が、そうではないぼくらのような普通の人間から隠れて社会を築いているというのが、このシリーズの世界の基盤となる。だから全ては現実世界のことであり、魔法族と普通の人間が、後者が前者の存在を知らないとは言え、一応は同じこの現実世界で共存していると言える。この、決して現実逃避的な別世界を舞台にしているわけではないところが、ハリポタ世界のいちばんの魅力だとぼくは思っている。
ぼくらの世界ではイギリスは階級社会とされていて、アメリカ社会はそれに比べればずっと開放的というのが一般的なイメージだけれど、おもしろいのは、魔法社会側ではこれが逆転していること。アメリカ魔法社会はイギリスのそれに比べてはるかに遅れていて、排他的であることが劇中でも語られる。魔法の中心地がイギリスであることを考えれば自然かもしれない。ハリポタで描かれたイギリス魔法界では魔法族とマグルが結婚してその子供が魔法学校に通ったり、魔法大臣がマグルの英国首相とコンタクトを取っていたりと(まあ首相をやめる際にその人の記憶は消されちゃうみたいだが)干渉を避けながらもある程度マグルとの距離は近かったのだけれど、アメリカではずいぶん勝手が違うらしい。イギリスで非魔法族に対して使われていたマグルという呼び名に対し、アメリカではそれを「ノー・マジ」とかなり否定を含んだ調子で呼んでいて、イギリスのように両者の結婚などはもちろん接触も許されていないようだ。そんなアメリカ式の魔法界に、イギリスから来た魔法使いニュートと、ハリポタを通してイギリス魔法界しか知らなかった観客が同じ目線で驚くという構図。
 途中で同じ連盟に加盟している魔法文明の代表者たちが世界中から集まるシーンがあるのだけれど、お馴染みのイギリスはもちろん、アジア方面の魔法界代表者たちがいるのも印象的。今後、中国や日本の魔法界が断片的にも描かれることがあるだろうか、と考えるととても楽しみ。ちなみに日本の魔法学校は硫黄島にあるらしい(戦時中も通常授業だろうか)。
 魔法社会が世界中の国や地域に存在するという世界観の広がりを考えたとき、やはりこのシリーズにおける魔法界はマグルの世界に含まれたいち要素のように感じられる(場合によっては両者は表裏一体のようにも捉えられるけれど)。イギリスやアメリカ、日本といった国やその名前はマグル由来だし、他にもマグル側の世界からの影響はいろいろなところにある。上で書いたことに戻るけれど、魔法の世界がある、というよりは魔法が使える一部の人たちが集まって、独自の社会を形成しているというニュアンスのほうが近いような気がする。だからぼくはマグル側の世界を単に「人間界」と呼称するのは適切じゃないと思っている。もちろんわかりやすさを優先すればそうなるんだけれどね。
 で、なにに思い至ったかというと、子供の頃は思いもしなかったことだけれど、魔法社会側とマグル世界における史実上の関わりだね。魔女狩りの時代にマグルによって火あぶりにされた魔女がいたりと(本作ではマグル側で起こった反魔法族の運動が鍵のひとつとなっている。初期のダーズリー一家から愛嬌を取り去ってより暴力的にした感じかな)一応はマグル側の歴史に魔法界側の片鱗が見られることもあるのだけれど、ではマグル側の歴史的なイベントが魔法界に影響したことはあったのだろうか?たとえば、そう、二回あった世界大戦とか。世界中の国が巻き込まれてどちらかの陣営に加わって戦っていた時代、ではそれぞれの国の魔法社会はどうなっていたのか。20年代という時代設定上、本作では最初の世界大戦のことが話題にあがる。マグル(ノー・マジ)として初めて主人公のひとりとなったジェイコブ・コワルフスキー(ダン・フォグラー)は第一次世界大戦帰りという設定だが、彼の「戦争には行ったか?」という問いにニュートは「東欧でドラゴンと戦った」と答える。これは単にマグルの戦争とは関係なく、ニュートが個人的にその頃ドラゴンと戦っていたということだと捉えることもできるけれど、もし、イギリスの敵国の魔法使いがそのドラゴンを放っていたとしたら?魔法社会がマグル社会に呼応して戦争をするとはちょっと考えづらいところがあるけれど、マグル側の世界が時代の流れや文化的な面等で少なからず魔法界に影響を与えることを思うと、魔法界側でも外国の魔法社会と揉めて、やはり裏側で魔法文明による世界大戦をやっていたのではないか、という解釈もできる。世界観の可能性の広がりはぼくような設定マニア(当のJ・K・ローリングも設定好きだと思う)にとんでもない餌を与えてしまった。まさかハリポタ・ワールドがここまで広がるとはね。SWも目じゃないくらいの拡張世界が期待できるし、なにより自分でこうして考察できることがうれしい。
 ハリーがホグワーツ校で使っていた教科書というインワールドな設定で出版された『幻の動物とその生息地』という本は子供の頃買ってもらって持っていた。これは魔法動物の図鑑のような本で、ハリポタ本編にも登場する動物をはじめたくさんの生き物について解説しているもの。ハリー、ロン、ハーマイオニーによるメモという設定で手書きのメモがページのあちこちに書き込まれているという芸の細かさには驚いたものだ。隅々まであの世界のアイテムのように感じられて子供の頃はとてもうれしかった。で、その著者が今回の映画の主人公ニュート・スキャマンダー(という設定。書いているのは原作者ローリングである)なのだが、この名前が妙にかっこよく感じられてハリポタのメインキャラクターたちと同じくらい強い印象とともにぼくの頭に残っていたものだ。名前の著作だけで、どんな人物なのかは全然わからないのにね。インターネットに触れる前の子供時代は、だいぶ情報が少なかったから本棚に並ぶ背表紙の中で一際異彩を放つニュートの名前からいろいろなイメージを湧かせていたのを覚えている。そうして、このたびそのニュートの姿をスクリーンで観ることになったから変に感慨深い。そもそもあの教科書とその著者の設定だけで映画を一本作ったということに驚いたけれどね。
 エディ・レッドメイン扮するニュート・スキャマンダーは、スマートで洒落っ気があり、あの教科書の堅い文章を書いた人物とは思えないほど少年っぽさがあった。グリフィンドール寮やスリザリン寮に比べたらだいぶ平凡な寮ハッフルパフ(ひどい話だが映画版でしか触れていないうちの妻は寮がグリフィンドールとスリザリンとレイブンクローの三つだと思っていたらしい)出身の人物が主人公であることに加えて、そのサイドキックが魔法使いではない、魔法界の存在すら知らなかった平凡なノー・マジであるジェイコブというのが新しい。しかもとても良いキャラ。ハリポタ本編は魔法学校を舞台にして魔法界側を主に描いてきたが、本作ではニューヨークというノー・マジの都市を舞台に、ノー・マジの相棒を迎えて冒険することで、魔法族とマグルの共存というテーマが強調されているように思う。ハリーの物語が、意地悪な叔母一家に代表されるマグルの世界から逃れて理想的な世界に旅立つ話であったのに対し、ニュートの旅はマグルの世界を含めた文字通りの世界中を巡る話なんだね。これはどこか、ハリポタ世代だった読者や観客の成長に合わせているようにすら感じられる。ぼくは好きな作品とすぐ個人的な結びつきを考えてしまう方だから、余計にそう思う。
 ハリポタでは、魔法族のみの家系からなる「純血」と、両親のどちらかがマグルだったり、家系のどこかでマグルと交わっている「マグル生まれ」(蔑称「穢れた血」)なんていう生まれを巡った争いが描かれたりした。魔法省を牛耳った闇の魔法使いヴォルデモートとその配下が職員や市民たちの生まれを調べて純血かマグル生まれかに分類して恐怖政治を敷く様子は、さながら歪んだ優生学に基づいた人種政策を進めるファシストのようだった。
 自分とは異なった者を恐れ、憎み、軽蔑するといった人間の暗黒面はハリポタにおいて実は重要なテーマと言える。ハリーは魔法学校に入学するまでマグルの叔母一家から自分たちとは違うという理由でひどい仕打ちを受けてきた。ヴォルデモートもまた同じ憎しみに晒されながら成長し、ついには闇の帝王となってマグルに復讐しようとする。「純血」、「穢れた血」、それから魔法族の血筋でありながら魔力を持たずに生まれた「スクイブ」といった魔法界に横たわる血統問題は物語の重要な要素として繰り返し登場してきた。そしてその血統問題の源流には魔法族とマグルの隔たりがある。新シリーズの第1章となる本作ファンタビは、魔法使いとただの平凡な人間という決定的に違うふたりを引き合わせることで、永久のテーマである魔法族とマグルの関係について、ルーモスの呪文のごとく光で照らし出しているように思った。今後の作品でどれだけこのことが掘り下げられるだろうか、楽しみである。
 ところで、やっぱりいちばんの魔法は夕食を準備する魔法だと思う。空中でシュトゥルーデルが作られて食卓に着地するときに焼きあがった状態になり、ロウソクに火が灯って夕食の支度が整った光景はアリソン・スドルのキュートな笑みも手伝って、実に多幸感溢れるシーンだった。思えばホグワーツも料理が並ぶ大広間のシーンは幸せいっぱいだったなあ。これこそ魔法って感じしない?
 そうそう、あまり情報を入れずに観たものだから、悪役の正体(正体というより役者)にびっくらこいたんだけれど、あれは知らずに観て正解だった。このご時世どこまで情報を入れずにいるかはむしろ難しいのだけれど、ああいうことで純粋に驚けるのは幸福なことだね。公式側が一切宣伝していないところもおもしろい。この感想文は基本的に核心部分を避けるので、これについてはまた今度書こうかな。それまでは彼のことを「例の俳優」とか「出演していたと言ってはいけないあの人」と呼ぶことにしましょう。

2016年11月22日

SPUR 2017年1月号


 本日発売のSPUR 2017年1月号(集英社)の連載「銀幕リポート」ではマッテオ・ガローネ監督、サルマ・ハエック、ヴァンサン・カッセルら主演の『五日物語 - 3つの王国と3人の女 - 』を紹介しています。
 とにかく美術が素晴らしい作品で、基本的に中世の世界観でありながら衣装や小道具が新鮮で、不思議な動物の造形も楽しい(そういう意味ではこちらも「ファンタスティック・ビースト(幻獣)」ものと言える)。特に17世紀なのに20世紀初頭風の潜水服が出てくるところはセンス・オブ・ワンダーって感じ。
 ヨーロッパでの最初の民話集、おとぎ話の元祖である「ペンタメロン(五日物語)」をベースにしているだけあって、そのストーリーには妙な説得力と普遍性があって、やっぱりフェアリー・テイルは偉大だなあと改めて思った。散々見て来た気がするようでいて、新鮮さを感じるようなもの、ぼくも描けるようになりたい。
 11月25日(金)公開!

2016年11月21日

怪獣コーギラ現る


 出現したシーンなのか、破壊の限りを尽くして帰るところなのか。まあ、現れたところだろうな。最初のゴジラも日が暮れてから来たし(着ぐるみや模型のディティールとかをごまかすためなのかな)。夜の闇と一緒にやってくるところが怖いんだな。
 なにをやりたいかというと風景を描けるようになりたいのだ。ぼくのより大きな野望のためにはロケーションを描く力は欠かせない。

GINZA 12月号



 GINZA最新12月号の特集「ニッポンコスメの底力!」の扉に、日本製コスメを20個ほど描いています。単色(和的なモスグリーン)で統一。単色で彩色するときはどの部分を塗りどこを塗らないかを考えるのが楽しいです。
 周囲にまわりこんでいるブランド名もぼくの手書きです。
 これも日本製だったのか!と改めて知るものもあり、ためになりました。この手のアイテムは描いていて楽しいから個人的にも描こう。

2016年11月20日

帝国宇宙軍兵士


  旧三部作でおなじみの黒い制服に黒い大きな傘状ヘルメットをかぶった宇宙軍兵士の姿が『ローグ・ワン』予告編にも登場。なかなかかっこいい構図だったので絵にした。後ろからよく見るとヘルメットのラインがかなりカーブしてるなあと思った。
 スクリーンに映ってるのは新たに登場するジェダという惑星(ジェダイとゆかりがあるとか)の荒涼とした地表と思われる。ここに映ってるということは標的にされてるってことだから(EP4でレイア姫の故郷オルデランが破壊されるとき、同じスクリーンにオルデランが映されていた)試験的に破壊されちゃうんだろうか。
 実際に惑星を破壊するスーパーレーザーを発射するのは、より特殊な装備に身を包んだデス・スター・ガンナーたちなんだけれど、一応攻撃のプロセスに関与しているこの兵士、なにを思っているだろうな。EP6の削除されたシーンに、皇帝から戦いが行われている惑星エンドアを破壊しろと命じられた指揮官のモフ・ジャジャーロッドが、地上にはまだ味方がいるからいくらなんでも無茶だと渋るというのがある。あのシーンがあると無いとでは、ジャジャーロッドというキャラクターへの評価ががらっと変わるし、旧三部作では一切同情の余地がない、完全な悪として描かれる帝国軍側の心境も垣間見得て良いと思うんだけれど、まあテンポがあるからね。そんな削除シーンがあったことを知ってから、EP6を観てみたら皇帝が件の命令を下した次の瞬間には誰一人躊躇せずスーパーレーザーをぶっ放していてちょっと寂しかった(そのシーンでの標的はエンドアではなく反乱軍の宇宙船なのだけれど)。
 だから、ギャレス・エドワーズ監督が善悪の存在しない現実的な戦争の実情を描くことに意欲を見せていたのを見て、『ローグ・ワン』では帝国軍側の葛藤なども描かれるんじゃないかなあと思う。というか是非描いて欲しい。惑星をひとつ、住んでいる大勢のひともろとも吹き飛ばしてしまう、というのはとんでもないストレスを覚えることだろう。邪悪な思想の中心にいるヴェイダーやターキン、クレニックといった高官たちには一切良心の呵責がないにしても、いち兵士、いち砲手たちにはなにか思うところがあってもいいんじゃないだろうか。予告編からもジェダの地上に帝国軍が多少駐留しているっぽいことはわかるので、当然破壊するのであれば地上の味方も犠牲になる。そんなことを思うとこの宇宙軍兵士の後ろ姿も違って見える、かも。
 本編を見たら、フツーに冷酷なやつかもしんない。


2016年11月19日

日記:11/14 - 11/18

2016/11/14 月

 ダックスフンドが様々な飼い主の元を巡っていく映画『トッド・ソロンズの子犬物語』の試写に。観ているあいだ中早く帰って犬に会いたくなる内容。夜は雨がしとしと降って非常に寒い。大きな満月だったようだが見る余裕もなかった。新しい依頼がきたのでひと安心。気づいたら今週は平日五日間試写に行く予定になっていたので、仕事は主に夜に。だいたいいつもそうだけどね。日が昇ってる間はどうも集中できないらしい。明るい間に活動するのは気持ちがいいけれど。
 間違えてポテトチップスのコンソメ味を買ってしまった。どうもコンソメは舌が痛くなる。

2016/11/15 火

 『スター・ウォーズ』シリーズの出演者の人生に迫るドキュメンタリー映画『エルストリー1976』の試写へ。基本的に一作目(1977)の出演者についてだけれど、二作目『帝国の逆襲』(1980)からはボバ・フェット役のジェレミー・ブロックも登場。マサッシ・テンプル・ガードのフィギュアが欲しくなった。
 歩行喫煙者には本当にうんざりする。犬の散歩をしていたらすれ違いざまに火のついたままの煙草を投げ捨てられ(投げる先を見もしない)危うく犬に当たるところだった。その場で暴力にうったえたくなるレベルだけれど、咄嗟に殴りかからないかわりに十分注意して歩かなければならない。十分に距離を取って、警戒して歩かなければならない。悲しいことだが自分や犬を守るためには仕方がない。ぼくは大人になって間もない身だが、こうも世の中の大人たちがルールを守っていないとは思わなかった。子供の頃、大人とは無条件で尊敬できる対象だったのに。煙草を捨てた彼も、あのまま家に変えれば誰かの息子であり夫であり父親であるということを考えると余計にやり切れない。自分となんら変わらない普通の人間であり、火のついた煙草を路上に捨てるという行為が彼らにとって日常的な習慣でなんら不自然なところはないのだ。まあ、なんにせよ彼らがぼくと一切関係ないところで苦しんで生きることを願う。
 家に帰れば今度はテレビだ。近頃テレビの音が耳について仕方がない。夜は番組もCMもキンキンとやかましくて参る。国産TVドラマの「ユーモラスなシーン」は寒くてこちらが恥ずかしくなる。どうもいろいろなことに対して神経質というか過敏になっている。妻や友人からも指摘される。なぜだろうか?

2016/11/16 水

 『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』の試写に。大きな映画館で行われる試写は特別感があってわくわくする。10年以上前に買ったホグワーツ校指定教科書(という設定の本)『幻の動物とその生息地』をバッグに入れておいた(映画のタイトルは原題はこの本と同じ。邦題も本と同じにしてほしかったな)。インワールドな小道具としてこの本はお気に入りだったが、子供の頃本棚を眺めるたびにそこで異彩を放っていた「ニュート・スキャマンダー」という名前から、どんな人物だろうかと想像を巡らせていただけあって今回の映画化は興味深い。この本が直接の原作というわけではないが、映画で描かれる冒険を通してスキャマンダーが魔法動物のデータを収集してまとめたのがこの本ということになる。ハグリッドがこの本を読んでいるとは思えない。
 家では仕事をしているのだけれど、どうもぼうっと座っていることが多い気がする。冷えるのでココアの粉を買ってきてホットミルクに溶かして飲んだ。ますますぼうっとした。
 妻が言うにはぼくの留守中にマンションを不審な男がうろついていたらしい。越してたときから玄関扉に二つも鍵がついていたから治安にはもともと期待していないが、心配。昨日書いた歩行喫煙者たちもそうだけれど、近所の住民は別としても家の周りを歩く連中のガラが悪すぎる。彼らを一掃できるほどの独裁者になるか、別のところに引っ越すかしたい。

2016/11/17 木

 09年頃にピクシヴでメッセージのやりとりをして以来2度ほど展示会を訪ねたことがあるくまおり純さんの個展の初日なので、マーベルの新作『ドクター・ストレンジ』の試写の前に中野ブロードウェイに行った。会うのは5年ぶりで、前回も同じ場所。時期もほとんど同じ。久しぶりだったし、何度も会っているわけではなかったけれどすぐにわかってもらえてうれしい。初日と最終日くらい在廊されないのではと勝手に思い込んでいたのだけれど、明日も在廊ということだったので、それでは妻とまた来ようと思った。アクリル画なのに発光しているように見えるくらい、光の使い方が素晴らしい。メイクイーンもいちご大福も驚くほど光っているし、木漏れ日の具合もデジタル画のように鮮やか。やはり実在の作品としての原画、絵画の力は圧倒的である。目の前の仕事で精一杯だとつい忘れがちだけれど、ぼくもやはり原画としての完成度をどこかで維持しないとなあと思う。
 中野ブロードウェイには旧ケナー社のSWフィギュアが比較的安価で売られているので興奮する。しかし持ち合わせがないので明日来たときに買ってみよう。
 『ドクター・ストレンジ』はアメコミやバンドデシネを読んでいると時折遭遇する「きもい画」をこれでもかと詰め込んだようなところが印象的だった。アメコミ映画は不思議と直接の原作本を読んでいなくとも、ああ、ここはきっとコミックに同じ画があるんだなと思うくらい、コミック本を読んでいる気分になるシーンが登場する。アメコミにありがちな画っていうのもどこかで頭に残っているんだろうな。とても楽しめた。
 今週はずっと試写続きで、帰ってくると疲れてしばらくぼうっとしがちだったけれど、さすがに週も終わりなので終わらずに残っているものを仕上げる。結局朝までかかってしまった。結婚式が終わってからというもの寝っぱなしだからこのあたりで調整しなければならないと思っていたんだよ。
 
2016/11/18 金

 最近犬が散歩中にするウンチの量が大変である。一度の散歩で5回ほどする。袋がいっぱいである。これだけたくさんのウンチを持ち歩いているという事実、可笑しくてたまらない。犬と暮らし始めた頃はまだまだぼくもペットはペットであって家族というほどではないだろうと思っていたのだけれど、どうだろうか。家族じゃないやつのウンチをこんなにたくさん毎日毎日丁寧に拾うか?結論、犬は家族である。このことは先日MRI検査を大金払って受けたときにも書いたね。お金の問題じゃないけれど、それだけ世話をしている以上家族の構成員以外の何者でもないってことさ。
 何通かメールを済ませてから(例によってメール一通書き上げるのに時間がかかりすぎている。丁寧なのはいいことだろうけれど、ちょっとしたメールを神経質に推敲し続けることにもはや疲れた)妻とともにバスで中野に向かう。子供の頃は平気だったがどうも最近バス酔いしやすいような気がする。
 くまおり純さんと、妻と3人でやはり犬の話で盛り上がる。展示されている作品の中でも犬が描かれた絵は際立っている(ように感じる。ぼくが犬に夢中だから)。ちょっとしたら帰るつもりだったけれど、純さんも早めに帰るとのことだったので、思い切ってお茶に誘ってみると快諾してくれた。場所をカフェに移してやはり3人で犬の話をした。もちろん絵の話も。年々変化して上達しているらしいぼくの絵を褒めてくれてとてもうれしい。絵に関する悩みについても、初めてメールの返事をもらったときと同様に苦しむ必要はないのだと気づかせてくれる。いや、ぼくも心の底ではわかっていたのかもしれない。ひとから言われて(それも憧れの)、やっぱりそうだよなと思い少し勇気が出た。自信を持つ勇気だ。自信を持たないことは周りに対しても不誠実と言えよう。なによりとにかく描いてみようという気持ちになれた。どこか懐かしい感じもする。やっぱりひとと絵の話をしないとダメだ。特に尊敬する相手とは話さなければならない。
 それで、なぜぼくはその会話の中で「足の指の爪は怖くて触れない」という話を熱弁したんだろうな。ぼくがひどい冷え性で足の指と指がまったく開かないほど足先が冷えきっているという話からそうなった。足に限らずぼくは手の爪も嫌いだ。少しでも伸ばしたらひっくりかえってしまいそうな、なにかの拍子にはがれてしまいそうな感じがして半ば強迫的に深爪をする。奇妙なチップが体の末端にたくさん貼り付いているのが気持ち悪いのだろう、足の指の爪は手に比べると小さいので、危なっかしく、今にも取れてしまいそうで怖い、という話をした。もちろんふたりともぽかんである。我ながら頭のおかしい話をしたものだ。少しでもユニークに、変わっていると思われたいがために奇妙な癖や体質を少し大げさに、自慢げに話すデザイン学生みたいだ。忘れてください。
 ところでブロードウェイで目当てのフィギュアはちゃんと手に入れた。思い描いたこと全部実現した日になった。夜は帰って来てから家の近所でバーガーを食べた。お気に入りの店で普段バーガーはないが、この日曜まで限定でバーガーを食べさせてくれるらしい。ルートビアが飲めるお店で、ぼくはここで初めてこの飲み物を飲んだ。ルートビアを頼むのはいつも妻で、ぼくは決まってドクターペッパーを注文する。
 

2016年11月15日

毎度お馴染みの変装して潜入


 いやあ、予告編で観たときにマヌケでとても良い画だと思った。予告編は最近も新しいものが出たけれど(さらに少しずつ違ったインターナショナル版があるのでとても追いきれない)、どうも良いところを見せすぎな感じがする。この作品に限ったことではないが、だんだん予告編が本編ダイジェストになってきている。公式MAD動画とでも言おうか。ふたを開けたら予告編以上のものが無かったという不幸な結末も少なくない。思えばEP1の予告編でダース・モールの双刃のライトセイバーがいきなりお披露目されていたときも見せすぎであったような気がする。もちろん話題を呼んだり期待値を高めたりしたのだろうけれど、予告編が派手なほど本編でのサプライズは薄れる。昨年のEP7も最初のティーザーでもうカイロ・レンの十字型ライトセイバーが出ていたし。『ローグ・ワン』の最新予告編にはデス・スターのスーパーレーザーに関する映像が出てくるんだけれど、ああいうのは本編で初めて観たかったなあ。
 ところで左側の人物、メキシコ出身のディエゴ・ルナ演じるキャシアン・アンドアがかっこいい。SWのモブキャラ的雰囲気いっぱいの彼がメイン・キャラクターであることが、本作がそもそも今まではモブキャラだったような人物が活躍する作品であることを思い出させる。ディエゴ・ルナもかっこいいが、ボーディー・ルックというキャラクターを演じるリズ・アーメッドというひともかっこいい(どちらもヒゲのひと)。アーメッドはロンドン郊外の生まれでオックスフォード大出身。このふたりは渋いヴィジュアルも良いのだが、その名前がそのままSW世界に登場しそうな感じがする。ディエゴ・ルナ、リズ・アーメッド。最初にそう思っちゃうと役名と役者名がごっちゃになる。

2016年11月14日

日記:11/9 - 13

2016/11/9 水

 若い女性が野生の狼に恋して欲情してしまうドイツ映画『WILD ワイルド わたしの中の獣』の試写へ。映画を観ている間にアメリカ大統領選の結果が出る。悪い冗談みたいなことになって気が滅入る。嫌な世の中。良い世の中がいつかといえば、わからないけれど。こういうときは『スター・ウォーズ』を観るに限る。
 映画の狼は、大きな犬のようで可愛かったな。特に女性と生活をし始めるともう我が家での犬の仕草と比べずにいられなかった。
 犬は検査のあとあのまま妻の実家に預けたままだったので、寒い夜だが犬は不在。散歩に行かなくていいので机に向かってじっくり仕事した。

2016/11/10 木

 今週は月、水、木、金と試写を入れていていっぱい観るぞと思っていたのだが、今朝はまんまと寝過ごしてしまった。要予約ではないので別の日に行けばいいのだけれど、あらかじめ立てていた予定が狂うのはやはりショック。それにしても朝は寒すぎて身体が動かなかった。
 Eメールが不具合を起こしていて受信はするのに送信はできない状況が半日続く。返信が滞ったが決して無視を決め込んでいたわけではありません。動作状況は送信中のままストップし送信ボタンを押し直してもその分送信中の容量が増えていくだけ。いろいろ調べたが検索結果に出るのは震災よりも前の頃に書かれた、今のバージョンではない環境での対応策ばかり(バージョンが違うと画面のレイアウトも違うから非常にわかりづらい)。できることはしたが改善されずお手上げなのでアカウントを一度メーラーから削除してサインインし直した。直った。
 こういうときに身近に頼れるひとがいないのは辛い。コンピューターに詳しいギーク連中は LINEグループに何人かいるけれど、往々にしてコンピューターに詳しいひとはPCユーザーでMacなど使わない。思えば実家で初めてコンピューターを迎えて触りだした頃から頼れる相手などほとんどいなかった。ぼくの両親はデジタルに縁がなかったし、その時点で我が家でいちばんコンピューターに対する知識を持っていたのは12歳のぼくだった。多少聞けるひとに聞いていたこともあったけれど、ほとんどの場合不具合が起こるたびにひとりで苦しんでいた。そういうときだけはパソコンと向き合う仕事をしている父親を持つ子たちが羨ましかったものだ。さぞ頼りになっただろうな。自転車のパンクとかは直せなさそうだけれど。
 妻が実家まで犬を引き取りに向かったのだが、雨がひどくなったのでそのまま泊まってくることに。だから夜はひとり。寒い中散歩に行かなくていいかわりにもふもふの毛並にも触れない。

2016/11/11 金

 雨のせいもあって一段と冷えてきた。送った請求書にミスがあったので書き直して送り直す。すでに消費税を足した額にさらに消費税を足すという欲深く思われそうな間違い。
 夜はティム・バートン監督の新作『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』に。一時に比べればバートン熱はかなり冷めていたんだけれど、これが最高だった。また感想を書くので詳しくは触れないけれど、とにかく良かった。KKKに支持された男が大統領になる世の中でも(自分の国が彼にすり寄ろうとしていても)、バートンの新作と『スター・ウォーズ』の新作が観られるだけで希望は感じられる。
 犬が家に戻ってきたのでベッドの上でじゃれ合う。あまりにもぼくが犬になりきって唸りながら暴れると、犬の方がひく。週末までの仕事は済んだからのんびりした週末がおくれそう。

2016/11/12 土

 友達とケバブ祭りとかいうのに出かけようと話していたが、仕事になったらしいので昼まで寝る。少しレゴを組み立てる(少し?)。いっそ夕方から夜の分の犬の散歩に出かけたらあとが楽だということで(最近とても寒い)犬が存分に走れる大きな公園まで行く。写真を撮ろうと思ったけれど、あっという間に真っ暗になってしまった。夕食の際にアマゾン・プライムでティム・バートンの前作『ビッグ・アイズ』を観る。昨夜の『ミス・ペレグリン』が相当気に入ったんだろうな、あの新鮮さへの伏線みたいなものを前作に求めたんだ。見逃していたから良い機会でもあった。『ビッグ・アイズ』は新鮮どころの話ではなく、この調子で非ファンタジー映画もどんどん撮ってほしいと思った。新境地だって言ってるひともいたような気がするけれど、でも、そこに「到達した」というよりも、今まで撮ってなかったってだけのようにも思う(『エド・ウッド』は近い作品だね)。だって彼は天才だもの。なんでも撮れちゃうんだよ。

2016/11/13 日

 結婚式が終わってからというもの本当によく眠っている。日曜だから別に後ろめたくない。夕方から明け方まで仕事していた友達と、昨日行く予定だったケバブ祭りに行く。久しぶりに新宿の歩行者天国を歩く。連日の寒さを考えて厚着したらこれが今日は少し暖かい。大久保病院の前の広場にケバブの屋台が並んでいるが、購入は現金ではなくチケット制。100円単位の券をスタッフから買って使う。とりあえず10枚買う。ケバブはだいたい700円くらい。思っていたより高い。上京したての頃、秋葉原のトラック屋台で食べたのは500円だったからそのイメージしかなかった。ましてやこういうイベントなんだからもう少し安くてもいいのにな。もちろんボリュームもあって美味しかった。美味しかったというか、ケバブの味だった。ひとつ食べて終わりじゃ味気ないので、もうひとつ食べようということになって、追加で券を買って今度はバゲットサンドのケバブを食べた。友達はビーフにしたけど、ぼくは一つ目同様チキンにした。チキンだけど、ダチョウの肉だとか言ってたな。よくわからない。さすがに続けて二つ食べたらお腹いっぱいになった。二つで十分ですよ!

2016年11月13日

宇宙兵士なのにチョッキ


 『ローグ・ワン』の影響か、この反乱軍フリート兵士が最近お気に入り。ヘルメットも印象的だが宇宙兵士なのにチョッキというところがかわいい。一作目の撮影時にはこの独特のヘルメットはとても頭の上には乗らず、ズレたりぽろんと脱げ落ちてしまったらしい。今回旧三部作以来の久しぶりの登場なので、そのあたり改善されていそう。
 初めてEP4を観たときに、このポールの先についた見張り台が印象的だった。まず思ったのは、どうやって降りるの?後で知ったところによると、ポールが地中に収納されていってゴンドラが地面に降りるという設定らしい。この中で地上を見下ろしながら1日中ぼうっとしていてもいいかもな。読書したっていい。高いところは苦手だし、平和なときに限るけれど。

2016年11月12日

『ハドソン川の奇跡』(2016)


 事故の直後から物語は始まり、聴取に対する機長の証言や回想を通して事故の経緯が描かれていく、その時系列の並び替えの工夫がとても効果的で、この有名すぎる上にまだ記憶に新しい、結果の知れている出来事が違う側面から浮かび上がってくる。
 事故時の刻一刻と変化していく緊迫とした状況を味わっていない人々からの追及に普通なら苛立ちを覚えてしまうかもしれないけれど、その厳しい追及をしてくる彼らも、サリー機長同様に自分たちの仕事に忠実なだけ。そのことをよく理解している機長は相手の立場もよく尊重した上で、自分の決断が正しいということを証明しようとする。その様子も気持ちが良いんだけれど、飛行機が不時着水した際の人々の行動の速さにも心打たれる。機長はじめ乗務員の行動も迅速だし(乗務員は機長と副機長のほかに客室乗務員3名のみ)、近くにいた通勤フェリーもすぐに駆けつけた(なんと着水の4分後!)。みんなが懸命に他人を助けるために動いているあの感じ。生きたパイロットが飛行機を操縦することの価値すらも感じられた。ほかのあらゆる仕事についても。だからなのかな、事故の緊迫感は恐ろしかったけれど、なぜか観終えたあとには飛行機に乗りたくなっていたんだよね。
 前作『アメリカン・スナイパー』(2014)に続くノンフィクションものなのだけれど、この調子でノンフィクション・シリーズが続くのかな。『アメリカン〜』の後だから余計に今作の希望に満ちた感じが際立つ。もちろんあちらも良い作品だったと思う。
 それにしても映画を撮るペースがはやい。あとトム・ハンクスの顔がとても卵みたいだった。

2016年11月11日

「不機嫌な長男・長女 無責任な末っ子たち」挿絵



 ディスカヴァー・トゥエンティワン刊「不機嫌な長男・長女 無責任な末っ子たち」(五百田達成著)に表紙含め挿絵を描きました。およそ40点近く描いたのでぜひご覧ください。主なカットはひとコマ漫画調となっています。
 長子、中間子、末っ子、一人っ子と四種類のきょうだい型による性格診断、きょうだい型の取扱説明書のような内容となっています。

2016年11月8日

日記:11/3 - 8

2016/11/3 木

 2日の結婚式は19時のアフターパーティお開きをもって終了。一年前に式場を予約して以来つねに「準備をしないとまずいぞ」という声が頭上から降ってくる日々だったけれど、それももう終わり。一年ぶりにそのプレッシャーのない日々が戻るというわけ。19時半くらいに最後まで粘っていた友人たち(壁にプロジェクターで映し出していた『ジェダイの帰還』をクライマックスまでみんなで観た)を見送って、さっそく片付けに入る。途中披露宴のあいだ中座のために食べていなかった魚料理を改めて用意してもらう。みんなから好評だったというだけあってとても美味しい。持ち込んだ飾り等は半分を配送、半分をそのまま持ち帰りにした。ぼくらの帰りに合わせたかのように雨が降り始める。雨の中荷物をくくりつけた台車を引きながら地下鉄で帰った。その様子はとても数時間前までパーティの主役だったふたりとは思えないほどくたびれていたはずだ。
 翌日3日はほとんど寝て過ごした。ベッドの位置を、枕が窓際にくるように動かしたので昼のあいだ入ってくる日差しは気持ちがよい。

2016/11/4 金

 式にも来てくれた友人ふたりと、新宿までVR体験に行った。彼ら同士は式の日が初対面だったけれど、共通の話題が結構あったので意気投合したらしい。同じテーブルにして良かった。『スター・ウォーズ』が好きならそれだけで十分だ。もちろん同じものが好きだからといって必ずしも仲良くなれるとは限らないが、この場合うまくいったみたい。
 初めてVRのヘッドセットをつけたが思っていたよりも外の光が入ってきて画面への没入感が今ひとつ削がれる。でもおもしろかった。瓦礫にはさまれたままゴジラが東京駅を破壊するのを見ていることしかできないプレイヤーという、救いようのないシチュエーション。だんだんゴジラがこちらに近寄って来てその巨大さが際立ち、踏み潰されるか、口からの放射熱線で焼かれるかして終わるのだろうか、と思っていたら、なんとゴジラが歩くことで宙にまきあげられた岩のひとつに潰されて終わった。救いがない。
 それからは特に目的がなかったので三人で御苑へ行った。思えば妻と最初に出かけたときも御苑に来た。今くらいの時期に。御苑にはペットだったのが逃げ出して野生化したインコが受け入れられた上で生息していることを知った。「カミツキガメと違ってインコはかわいいからオッケー」ってことではないと思うが、実害が少ないからこういう扱いになるのだろうか。
 散策を終えてからは久しぶりに秋葉原に行って、それから上野まで歩いた。適当にお店を覗いて、歩くだけだったけれど、話題がたくさんあるので楽しい時間だった。

2016/11/5 土・6 日

 とりあえず家の片付けをしなければ通常の生活には戻れない。もとから狭い部屋だ、工作をしたりして材料や道具を広げるともはや足の踏み場もない。夏以降ずっとこんな感じだったので、一気に一通り処分。式の準備のためだけにあったような物は、もはや他に使い道も見当たらないので捨てる。物置と化していたテーブルの天板が久しぶりに現れる。
 家で改めて片付けをしていてふと思ったが、非常にお祭りの後のような寂しさがあった。

2016/11/7 月

 メリル・ストリープがうそみたいに音痴な演技をする映画『マダム・フローレンス!』の試写に行く。思い切り外した歌がたくさん流れるのだけれど、音感の良いひとってこういうの聴いてられるのだろうか。『ブルックリン』でシアーシャ・ローナンに意地悪する雑貨屋のおばさん、ブリッド・ブレナンが優しいお手伝いさん役だった。大きな眼で頬骨の高い、綺麗なひとである。もっと出演作観たいな。

2016/11/8 火

 実は9月の終わりあたりから犬が顔面神経麻痺っぽくて、獣医からは脳腫瘍の可能性も否定できないと言われていた。それを聞かされた日は結婚式の準備も大詰めにさしかかろうというのに、妻とふたりでお通夜のようなテンションであった。当の犬はもちろんそんなことも知らずけろっとしていた。それよりも前から気になるところがあったので最初は近所の獣医に診てもらっていたが、そのお医者はどうも触診も適当だし犬をまじまじと見つめては首をかしげるだけで全然頼りにならないから、前住んでいたところでかかっていた獣医に診てもらって、ようやく顔面神経麻痺だということがわかったという次第。適当な診察よりはちょっと大げさなことを言われるくらいの方がいいので(だいたい後で診てもらった方の獣医さんは触診の手つきや観察の眼差しが違うのだ)、顔が麻痺していて脳腫瘍かもしれないというならMRI検査などをして前進させようということになり、この8日の火曜の朝から設備のある専門の病院までよいしょよいしょと連れて行った。
 いろいろな犬がいて、皆優しそうな顔をしていた。診察室の方からは苛立った猫の唸り声がずっと聞こえていた。獣医さんの診察がはじまり、退屈そうなコーギーのあちこちを触る。やはり触診の手つきが違うぜ。全身くまなくなにかを探すように触っていく。MRI等の検査のためには全身麻酔をかけなければいけないので、そのリスクについてご了承ください。あとお金。結構かかります。大丈夫、ペット保険があるから大した額にはならないはず、とぼくと妻はたかをくくった。お金についてたかをくくるのがぼくらの悪い癖だ。出された見積書を見てぎょっとする。保険負担額は1万とちょっと。請求額は15万くらい。ふぁっ? 実は1日の保険負担額の限度がそのくらいなんだって。じゃあもっと高額な手術なんかをするときはどうするんだろう。そういうときも一回につき一万いくらしか引かれないの?ふぁあ。しかし、じゃあやめておきますというわけにもいかない。原因やどういう症状なのかがよくわからないまま不安な日々をおくるくらいならはっきりさせたほうがいいに決まっている。結婚式終わったばかりで財布がだいぶ軽くなっているところにこの出費はだいぶ厳しいのだけれど、もし自分の親きょうだい、あるいは子供が同じようなことになったら、迷っている暇はないはずで、それは一緒に暮らしている以上犬に対しても同じ姿勢を取るべきである。ぼくがこんなふうに考えるようになるとはね。さあ、先生、お金は払うから存分に調べてくれ!
 犬を預け(去勢手術のときもそうだったが、獣医が犬をかかえてそのまま奥の方へ姿を消してしまうときはちょっと恐ろしくなるものだ。もし麻酔から覚めなかったら?これが最後になってしまう)、夕方頃また引き取りにくることにして、近いのでいったん妻の実家へ向かう。本は持って来ていたけれど、こんなことなら多少絵を描く道具があってもよかったな。しばらく読書していたが飽きたので昼寝に切り替えた。途中で新しい仕事のことで電話がくる。式の準備のため半月くらいは連載以外に新規の依頼を受けないようにしていたので、そのまま仕事が減っていったらまずいなと不安だったのだけれど、こうやってまた仕事がもらえるのはうれしい。いずれにせよ作業は家に戻らないとできないので、犬を迎えに行く時間まで眠る。
 病院から電話を受けた妻が嬉々として起こしにくる。犬は普通に目覚めているので迎えに来るようにという電話だった。エアバギーを押して徒歩で病院に向かう。とても冷え込んでいた。冬の夕方である。スタッフが抱きかかえて連れて来た犬は、もうすっかり目も覚めて本調子のようだ。検査のために首の後ろの毛がきれいに四角く刈り取られて格好悪くなっていて、抱きかかえてお腹を見たら、お腹もそっくりごっそりと毛が刈られている。超音波検査のためである。お前はこんなに乳首があったのかい。犬の毛の生えてない皮膚の奇妙な感触といったら。寒そうだから帰ったら服を着せてやりたい。
 検査の結果、特になにも異常がなかった。安心を買ったというやつ。でも顔が半分麻痺しているのは事実。こういうのは原因がわからず、だんだん治ってしまうものも多いとか。とりあえず血液検査をするので2週間後また来るようとのことだった。
 帰り道、麻酔でぐっすり寝ていたからか(?)犬はぴんぴんしていてどこまでも前のめりでずんずんと歩いていく勢いだった。
 最初の適当な診察をした獣医に負担させたいくらいである。

2016年11月3日

結婚式


 11月2日に無事結婚式を挙げました。時期が近づくにつれてお仕事の進行を待ってもらったり、新規ご依頼の受付を一時停止させていただいたりと、いろいろご迷惑をおかけしましたが、おかげさまで良い式&パーティになったかと思います。お越しいただいたゲストのみなさん、ご協力いただいた方々、どうもありがとうございました。
 今週から通常営業でやっております。

 パーティを主催するのって、初めてのことでしたが、大変でありながらも楽しいですね。その場にいる全員が自分たちのために集めってくれている、自分たちと話したり写真を撮ったりするのを目的に来てくれていると思うと、なんだか不思議な感じ。ほとんど一年がかりの準備(半分は余裕ぶっこいてなにもしてないかもしれませんが)は大変で、結局前日までなにか作っている感じだったけれど、当日はとても楽しかったです。翌日の朝はあっけなくやってきて、なんだか祭りの後といった感じが寂しいくらいだった。
 準備に追われている間ははやく済ませてのんびりした生活をしたいと思っていたのに、いざ終わってみると、明日からなにをしたらいいんだ?なんて思ってしまうくらい、ずっと準備していたんだな。式場を予約するよりも前の生活ってどんな感じだったっけ?いやいや、仕事をするのみです。
 なにはともあれみんなに夫婦になったよということをこういう形で報告できてよかった。

 写真は専用のTumblrページを作ってアップしていく予定です。

「Mizmaru & MutsumiWedding Ceremony」:

 今はとりあえずメイキングの様子を一通り載せて、やっと当日の写真を貼り始めたところです。ゲストのみなさんからお送りいただいた写真も載せています。ほかにも持っているよという方はいつでもいいのでメールでお送りくださいませ。一通り手持ちをアップしたら、時系列関係なく集まったものから貼ります。当日はカメラマンさんにもついてもらってたくさん撮ってもらっており、アルバム本以外にもデータがいただけるので、それも追々載せていきます。たくさんのひとと写真を撮っており、また会場の様子を写した写真にはみなさんの顔も写り込んでいますがはっきり写っているものは基本的になにか絵を描き加えて隠しますね。

以下、何枚かピックアップ。


当然のように愛犬参加型の式だった。



 自作イラスト・オーナメント。


『グランド・ブダペスト・ホテル』のキーアイテム、メンドルのケーキ箱のパロディ。


ケーキトップはドロイド。
という具合に、作品と趣味をふんだんに盛り込んだものになりました。
詳しくは専用ページにて!

2016年10月29日

SPUR映画レビュー第9回


 遅くなりましたが、SPUR最新号ではスパイ小説の巨匠ジョン・ル・カレ原作、スザンナ・ホワイト監督、ユアン・マクレガー主演の『我らが背きし者』を紹介しています。
 ル・カレ作品は薄暗い部屋で書類を調べたり尋問したりというイメージが強いですが、本作はジェームズ・ボンド並みに国境を跨いで動き続ける逃避行ものです。ユアン・マクレガーが安定的なのに対して共演のステラン・スカルスガルドのアクの強さが効いています。ル・カレ原作といえばアマゾン・プライムのオリジナル・ドラマ「ナイトマネジャー」もおもしろかった。トム・ヒドルストン主演でゴージャス感が強く、オープニング・ロールのヴィジュアル・センスも007的。トムヒは次期ボンドとしても名前が上がっているけれど、もうこれをトムヒ版007としちゃってもいいくらい。いろいろな側面があってル・カレの世界は奥深い。

前号では児童文学のレジェンド、ロアルド・ダール原作、スピルバーグ監督、マーク・ライアンス主演のファンタジー、『BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』を取り上げました。ダールの本といえばチョコレート工場のやつくらいしか読んだことないのだけれど、観ていて、ああ、ダールっぽいなと感じられちゃうのが不思議。本作は字幕もダール小説の邦訳感が出ているので、原作ファンは楽しめるのでは。バートンの『チャーリーとチョコレート工場』にもあの独特の、シャレの効いた字幕欲しかったなあ。
 あと、これを観てつくづく思ったのは、アメリカ人が描くロンドンは本当に可愛らしいなということ。外からの目は大事だね。
 ぼくがドラマ「ダウントン・アビー」でいちばん美人だなと思ってるペネロープ・ウィルトンが英国女王役で、そのまわりを例によってコーギー犬が駆け回っている様子は大変微笑ましい。

 前々号ではサミュエル・ベンシェトリ監督の『アスファルト』について描きました。フランスの団地もので、どんより曇り空の下団地に暮らす人々を描く。外からの灰色の色彩に対して登場人物たちそれぞれの個性の色彩が際立っている印象。イザベル・ユペールかわいい。

2016年10月14日

ファッションイラストレーション・ファイル



 更新が遅れましたが、先月末に出た玄光社「ファッションイラストレーション・ファイル 2016」にて、巻頭特集「注目の作家9人」のうちのひとりに入れていただきました。映画レビューが丸ごと読めるレイアウトになっています。「秘密映画館」自体が出版物に載ったのは初めてですね。うちの犬もちゃっかり写真に写ってます(犬猫飼ってるひとがやりがちなプロフィール写真……)。


2016年10月2日

Star Wars Fan Consept : First Order Guard


 『ジェダイの帰還』(EP6)で初めて登場した皇帝パルパティーンの衛兵、ロイヤル・ガード。『クローンの攻撃』(EP2)でまだ議長だったパルパティーンのオフィスにすでに姿を見せており、『シスの復讐』(EP3)では皇帝になったばかりの彼を襲撃したヨーダによってあっけなく倒される(当時はてっきり戦うところが見られると思ったのだけれど、壁に頭をぶつけられただけで倒れて動かなくなった)。
 『フォースの覚醒』(EP7)でお馴染み、帝国の後継政権たるファースト・オーダーにも赤い衛兵がいたらいいなと思い創作した。
 最高指導者スノークの衛兵たちの姿は、かつての皇帝のロイヤル・ガードの様式を踏襲していた。共和国時代から帝国時代にかけてロイヤル・ガードの姿は変わらなかったが、ファースト・オーダー・ガードはその伝統的なデザインを引き継ぎながら、ファースト・オーダー・トルーパーたちと同じ現代的な特徴を兼ね備えていた。オーダー・ガードはストームトルーパーのエリートたちが採用され、平均よりも高い身長も要求された。主な装備は帝国時代のロイヤル・ガードが使っていた棒状の格闘武器、フォースパイクの進歩型とブラスター・ライフル。儀仗的と言えど彼らは優れた兵士たちであり、その派手なローブの下には恐怖政治の理想を体現した戦士がいるのだ。しかし、最高指導者への謁見を一方的に要求するカイロ・レンは、融通のきかない彼らに対しフォースの力を行使することが多く、そういう場合には赤い衛兵はやはり黙って立っている飾りでしかなかった。

 

 ファースト・オーダー版のロイヤル・ガードを創作したところで、それなら衛兵におけるキャプテン・ファズマのようなやつもいるのではないかと考えた。
 ファースト・オーダー・ガード・コマンダーはオーダー・ガードの指揮官であり、最高指導者スノークの警護長である。優れたストームトルーパーから採用されるオーダー・ガードの中でも、特に優秀かつ有能な者がコマンダーとなり、最高指導者の安全を保障した。しかし、やはりスノークのより個人的な配下であるレン騎士団の戦士たちの前では単に特別なストームトルーパーでしかなかった。

 EP7にも登場したファースト・オーダーの旗が赤である以上、オーダーのカラーは赤で、その中心かつ頂点にいるスノークの周囲もまた赤い衛兵がいるだろうなと思った。ジョージ・ルーカスは、帝国は白や黒、灰色という暗い色彩で統一されているが、皇帝の周りにだけは力を象徴する赤を配置して効果的な差し色とした。帝国から多くの特徴を継承したファースト・オーダーもまたそうであって自然だろうと思うんだけれど、どうだろうか。
 ローブをスマートにしたかった。ヘルメットもファースト・オーダー的な形で、かつロイヤル・ガードの特徴も残せたと思う。目の部分はEP7にも登場したスノートルーパーと同じ細いスリットに(本当にこれ前見えるんでしょうか)。なによりファースト・オーダーのちょっとダサい感じ(褒めてる)が出せたかな……。名前が悩みどころだった。帝国も皇帝もいないので「ロイヤル」は使えないし、「レッド・ガード」もあくまで通称で正式名称じゃない感じがする。オーダー・ガードでいいんじゃないでしょうかね。

2016年9月30日

『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』ノート(4)


 ティーザーに初めてクレニックが姿を見せたとき、白い制服ということでスローン大提督の代替キャラだと言う反応が多かったような気もするけれど、白い上着に黒いズボンというのは、やっぱり保安局だよなあ。ちなみにその後ディズニーXDのアニメ・シリーズ『反乱者たち』の新シーズンからスローン大提督そのひとが登場することになり(動いてしゃべるスローンが観られるようになったのはとても感慨深いのだけれど、それはまた別の機会に語るとして)、彼が正史入りを果たしたことから、クレニックが正史におけるスローンの代替であるという説は完全に潰された。
さて、帝国保安局(ISB)だ。彼らの主な任務は市民や軍人たちが皇帝に忠実かどうかを監視すること。諜報機関と秘密警察のような性格を併せ持つISBは各地で活発化していた反乱運動に目を光らせるとともに、身内である高官たちも絶え間なく監視していた。EP4のとき、デス・スターにISBのメンバーがある程度派遣されていたが、その真の目的は超兵器の指揮権を握ったことにより力を持ちすぎてしまったターキン総督の監視だった。ターキンはデス・スターによって皇帝をも凌駕する影響力を持ち始めており、それが君主の疑念を買ったのだ。このように白く冷たい制服に身を包んだISB将校たちは身内を見張ることも多く、敵だけなく、味方からも恐れられる存在だったのだ。実に嫌な仕事だね。
 ISBだけでなく、そのライバル機関である帝国情報部の人間もまた白い制服に黒いズボンを着用している。ISBに比べてこちらは作品内での影がだいぶ薄い。設定上でもライバル関係でありながら保安局のほうが情報部より規模を上回っていたとか。とにかく白服はこれらの機関の制服であるというわけだ。
 かりにクレニックが保安局の司令官だったとして、デス・スターと保安局の関係、その機密の重要性などから建造中の要塞で幅をきかせていても変ではない。劇中でクレニックは失脚、あるいはヒーローたちに殺されるかして、ISBの影響力が一旦薄れたところで、あのウィルハフ・ターキンが要塞における権限を掌握する、という形でEP4に繋がっていくのではないだろうか。
 わりといい線行っていると思ったのだけれど、よせばいいのにウーキーペディアなど見てしまい、そこに「クレニックは先進兵器研究部門の長官」などと書いてあってがっくり。「保安局のものに似た白い制服」とまで書いてあるから辛い。本当だろうか?それじゃこれまでのシリーズにおける白い制服との関連性が無いじゃないか。保安局の白い制服を使ってきたと思ったからこそスピンオフ作品として好印象を抱いたのに……。
 ま、まあ、あと2ヶ月半で真相は明らかになるのだから、ああだこうだ言っても仕方が無い。昨年のEP7考察の際にも書いたように、ぼくの考察が見当はずれだったとしても、あとでその見当はずれの予想を読み返すことが楽しかったりもするだろう。というよりそのためにやっているのだ。全然平気、平気だよ。

2016年9月26日

『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』ノート(3)


 まさかこの中にデス・スターの設計図が積まれているということは……ないか。
 たとえば『新たなる希望』でレイア姫は設計図をデータとして「受信」するわけで、すると今作の戦士たちは一体どういう形でそれを「盗んだ」のか気になる。そもそもの設計図がどういう形状だったのかも、今作で初めて明かされるだろう。ぼくらが知っているのは、レイア姫がR2-D2の頭部に差し込むデーターカードのようなものや、ヤヴィンIVの秘密基地でドドンナ将軍がブリーフィングの際にパイロットたちに示す映像(デス・スターのクレーターの位置が実物と違う)、『クローンの攻撃』でドゥークー伯爵がジオノシースから持ち出すホロデータ・パッドくらいのものだ。重要度からしてむやみにネットワーク化されておらず、あえてアナログの形で管理されている可能性もあるし、建造中に参照されるはずの設計図の保管場所をわざわざ定期的に変えていたかもしれない。そうすると、カーゴ・ウォーカーでよいしょよいしょと運んでいても変ではない……なんてことを考えてみたけれど、どうだろうか。
 初代デス・スターの設計図がこれほど重要視されているのに比べて、『ジェダイの帰還』では第二デス・スターの情報はかなりすんなり扱われているよね。あれは皇帝がわざと漏洩させたもので、さらにそれを巡ってボサン・スパイをはじめとする大勢の味方が犠牲になったという言及もあったけれど。さらに昨年の『フォースの覚醒』では設計図とか情報戦とかいうものは一切触れられず、いきなりスターキラー基地の全容がレジスタンスの作戦室に映し出される。一応、グレッグ・グランバーグ演じるスナップ・ウェクスリーが偵察して得た情報を、脱走兵であるフィンが補足するわけだけれど、どうしてあんなに簡単なのか(きっと『ローグ・ワン』を観たあとはより一層スターキラー情報の軽さが際立つだろうな)。
 胴体をちょっとアレンジすることでAT-ATの派生版はいくらでも創作できそう。

2016年9月24日

『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』ノート(2)


 だいぶスローペースでの更新になるけれど、とりあえずメイン・キャラを。マッツ・ミケルセンの役名は「Galen Erso」で、てっきり「ギャレン」かと思われていたが、公式プレスによれば「ゲイリン」だそう(今後表記がブレる可能性もあるけれど)。モン・モスマを加えたのは、彼女がいるだけで途端に旧三部作感とスピンオフ感が増すだけでなく、演じているジュネビーブ・オライリーが、登場シーンは削除されているものの『シスの復讐』(EP3)からの続投だから、特に描いておきたかった。こうして新シリーズがプリクエル三部作の世界観と繋がってくるのは個人的にはうれしいところだ。
 旧三部作からは、最新の予告編においてその後ろ姿だけで多くのファンを興奮させたダース・ヴェイダー(声は旧作同様ジェームズ・アール・ジョーンズ)も登場する上、デス・スターの指揮官となるウィルハフ・ターキンの登場の噂(フルCGによる故ピーター・カッシングの再現?)もある。ただ、オーソン・クレニックの立場と重複する恐れもあるのでそこまで多く登場しないような気もする。
 また、フォレスト・ウィテカー演じるソウ・ゲレラはアニメ・シリーズ『クローン・ウォーズ』にも登場している(フォレスト・ウィテカーとは程遠いヴィジュアルだが)。このキャラクターはスピンオフ作品では大変珍しいことにジョージ・ルーカス本人によって生み出され、チェ・ゲバラをイメージしているとか。今作への登場はそんな特別な誕生背景が影響しているのかもしれない。プリクエルだけでなく、『クローン・ウォーズ』ともリンクするところに、ユニバースの広がりを感じる。
 初めてSWのメイン・キャラクターとなったアジア人として、ドニー・イェンを応援したいところだ。盲目の棒術使いといういかにも東洋的な設定な上、自身にはフォースの素質がないものの、ジェダイとフォースを信仰しているという点は興味深い。ジェダイが登場せず、普通の人々が持てる物だけで戦う今作において、彼らの目にこれまでぼくたちにとって主人公でしかなかったジェダイという存在が、どのように映っているのか。
 こうして描いていて思ったのはヒゲが多いってところ。ちょっとむさい(かっこいいけれど)おじさんたちに囲まれているせいでフェリシティ・ジョーンズがとても際立っちゃうね。


2016年9月19日

"Kylo Ren in Bacta"

STAR WARS FAN CONCEPT: 
"Kylo Ren in Bacta"

 ILMアートチャレンジへの出品作の数々を見てちょっと悔しくなったので、自分なりにファン・コンセプトを描いていこうと思い立った。もとはと言えばコンセプト・アートの仕事に憧れてイラストレーターを志したところもある。まったくそれらしい参考作品を作れていないのが現状だが、日頃抱えているこの言い知れぬフラストレーションはそういうところにあったのかもしれない。とりあえず描けば誰かの視界には入る(描かなければいつまでも頭の中のアイデアのままで形にならない)、ということは覚えたので、思いついたものはどんどん描きましょう。絵の幅も広がるだろうし……。
 バクタ液は『スター・ウォーズ』世界に登場する万能治療液。『帝国の逆襲』(EP5)では氷獣ワンパに襲われて負傷したルークがバクタ液いっぱいのタンク、バクタ・タンクに浸かって治療を受けるシーンがあり、まあこの絵もそれを参考にしているわけです。バクタはクリーム状のものから注射するタイプ、顔にパックするもの(実際にEP5では顔に傷を負ったルークが顔面に白いバクタ・パックをする場面が撮影だけされてお蔵入りに)などいろいろな形があり、銀河中で使用され、重宝されている。バクタをめぐる戦いや、バクタが不足することで惨事が起こる話などがレジェンド・シリーズにあったような。
 これがなんの船の中なのかまでは考えていない。

2016年9月16日

『ゴーストバスターズ』(2016)



 友人から「『ジャングル・ブック』と『ゴーストバスターズ』の新作は旧作の方(『ジャングル・ブック』に関してはアニメ版)を観てからのほうがいいのか」と聞かれてちょっと悩んだ。
 『ジャングル・ブック』はあとから昔のアニメを観て、その映像の違いを楽しむのも有りだろうし、『ゴーストバスターズ』だって予断無しで観ても楽しいかもしれない。ぼくはどちらも観たことがない彼を非常に恵まれていると思った。「初見の特権」があるからだ。別に韻を踏んでるわけじゃあないのだが、予備知識無しで初めて観たときの衝撃や興奮というのは予備知識無しで初めて観たときにしか味わえない。それはとても尊いもので何人たりとも侵せない特権だ。これだけかつての名作の続編やリメイク作が量産されるところまで来てしまった現代において、当の名作がまだ未見であるということがいかに幸運なことか。『スター・ウォーズ』が未見のひとがうらやましいくらいだ(というのは嘘ななんだ。これだけ積み重ねてきた自分とSWの関係はやはり何物にも代えがたいので)。
 件の友人には「オリジナルを未見のままでも楽しめるけれど、余裕があれば旧作を観といてもいい」と伝えたものの、『ゴーストバスターズ』に関してはまだ少し考えてしまうところがあった。オリジナル作のキャストたちによるカメオ出演である。
 正直とてもカメオとは言えないレベルで際立っていた。ひとりひとり丁寧に見せ場があって、特にビル・マーレイはもはや立派な出演者のひとりである(あれは別格だろうけれど)。で、気になったのはこれをオリジナル未見のひとが観たらどう感じるだろうかというところ。いちいち名も無いタクシー運転手のおじさんにカメラが寄って、ほかの観客が喜びの声をあげたりしていたら、困惑するのではないか(さすがに察するだろうけれど)。本来はもっとさりげない、本当にカメオな登場の方が初見のひとも違和感なく観れるし、ファンは見つけてこっそり喜ぶってことができるから、いいんじゃないかなあと思っちゃうわけだ。カメオ出演だと思わなければいいのかな(ここは土曜の夜のコントに現れたゲストのようなものだと思うのが作品のルーツにも合う)。ともかく初見のひとがあれをどう感じるのかなあと、気になったのよ。
 カメオの是非はそれくらいにして、その登場の仕方は全員ベストでしたね。ここぞというところで現れるのが小憎い。個人的にはアニー・ポッツ目当てだったので、まだかまだかとスクリーンに眼を見張らせていた。ダン・エンクロイドもシガニー・ウィーバーもハマっていたし、アニー・ハドソンも良い役どころだった。故ハロルド・ライミスまでいるのがなんとも(ちなみにオリジナル・キャストの中では一番最初に登場する)。引退してしまったリック・モラニスを除いてちゃんと全員揃ってるところがうれしい。ただ、その圧倒的な存在感ゆえに上で書いたようなことが懸念されちゃうんだけれどね。
 ケイト・マッキノン扮するホルツマン博士はオリジナルでライミスが演じたイーゴンのに相当する、バスターズの装備を開発するポジションなのだけれど、そのヴィジュアルがアニメ・シリーズのイーゴンを意識しているところがマニアックだったな。アニメのイーゴンの髪型、これどうなってんの?て思っていたけれど、実写化するとああなるのね。
 そういったところからも、シリーズへの愛に溢れていたし、今日の映像技術によって再解釈もしてくれる作品になっていたと思う。3D環境で鑑賞すると、まるでディズニーランドのホーンテッド・マンションのような、幽霊アトラクション気分が味わえるし(冒頭が幽霊屋敷で始まるのもその感覚にぴったり)、「半透明で発光するゴースト」というのは3D映像との親和性が高い。新しい映画体験ができるとともに、改めて旧作の良さも際立つという感じ。一作目を久しぶりに観たら、やっぱりアニー・ポッツが可愛かった。

2016年9月11日

『スーサイド・スクワッド』(2016)感想


 バットマンの敵が魅力的なのは、宇宙からやってきた異星人だとか、チートパワーを持つ超能力者、ミュータント、北欧神話の神様などとは全然関係なく、基本的に(一概に言えないものの)マフィアやギャング、知能犯、殺人鬼、怪盗、科学者、精神異常者などといった普通の生身の人間だっていうところ。ラーズ・アル・グールやベインといった特殊なやつもいるけれど、もっとも有名なメイン・ヴィランの面々を思い浮かべれば、その趣向が超人揃いのマーベル・コミックとは違うことが明白だろう。そもそも、当のバットマンも財力と知能に支えられた、普通の人間というところがいちばんの魅力と言えるだろう。そうして、同時に彼もまた彼の宿敵たちと一歩間違えれば同類だというところがおもしろい。
 ジョーカーとハーレイ・クイン。まあ簡単に言ってしまえばアンパンマンで言うところのバイキンマンとドキンちゃんみたいなものなのだが、この狂気のカップルが実写映画で再現されるのは個人的に感慨深い。カートゥーン・アーティストのブルース・ティムによって生み出され、その完成度によりアニメーション・シリーズから原作のコミックに逆輸入されたという異色のキャラクター。なによりハーレイのキャラクター性、造形が優れているのは、わりと最近創作されたにも関わらず、あたかも昔からバットマン・コミックに登場していたかのような風格があるところだ。60年代のアダム・ウェスト主演のTVドラマ・シリーズに、シーザー・ロメロが演じるジョーカーの傍に彼女の姿がないことが逆に不思議なくらい。それだけゴッサム・シティの世界観にぴったり馴染むキャラクターだったのだ。
 本作でヴィジュアル的にふたりのツーショットが観られたのには満足で、有名なアートワークなどの構図を丁寧に丁寧に作り込んでいた印象。しかし、その分キャラの中身にやや違和感を覚えた。ストーリーや敵はともかく、とにかくジョーカーとハーレイの描き方には、いろいろ思うところが出てきてしまう。好きだからね。ジョーカーに性的なイメージを持ってくるのも、ハーレイが他人を説教するのも、ありかもしれないけれど、ぼくはあまり好きじゃない。そしてなにより、ハーレイがジョーカーに首ったけなのは当然だが、ジョーカーの方もやや気があるのがちょっとね。実際ジョーカーがハーレイのことを本当はどう思っているかはわからないほうがいいと思う。マーク・ハミルが声を当てるアニメやビデオ・ゲームのジョーカーはハーレイに優しくしたり、と思ったら高いところから突き落としたり、厄介者邪魔者扱いしたり、罵倒したり、良い具合に本心がよくわからない。あの関係がとても良いのだ。その方がジョーカーらしい。そもそも、道化王子が本当に愛している唯一の相手はバットマンでは、と考えてしまうのはぼくだけだろうか?
 ハーレイのデザインについては好みでしかないから文句を言ったって仕方がないけれど、ぼくはコミックやゲームにおいて、彼女がどんどん道化の格好から離れて、道化の頭巾を意識した(?)ツインテールヘアで際どい服装をしたお姉ちゃんになっていったのが結構不満だったので(なんか、グレたアヴリル・ラヴィーンって感じ)、その流れの延長にある今回のデザインはどうしてもね。
 それで、ハーレイのかわりに魅力を感じたのはカレン・フクハラ扮する女侍、カタナ。名前がストレートすぎるものの、ジャパナイズ・キャラには珍しくわりとリアルな特攻服風の衣装が好感を持てるし、ぼくはもともとパーティにひとりだけいるアジア人ががんばるというやつが好きなので(ドラマ『ウォーキング・デッド』のグレンとかが記憶に新しい)、応援したくなっちゃう。唯一のアジア人にして、さらに唯一自分から決死隊に志願した、悪党ではない戦士と来れば応援しないわけがない(「全員悪党!」という宣伝文句に物申したい)。
 シンプルな日の丸お面のデザインも斬新だけれど(日の丸のデザイン性に依るところが大きいが)、あの切れ長な目穴によって彼女の瞳が際立っていることに、観ていて気づいた。瞳の動きによっては白目の面積が広くなって、それがお面の穴から覗いているのでまるでコミックのキャラクターの目のように見えるところがなんともかわいい。それも含めて、向こうの人が好きそうな日本性を体現しているんだな。好き。
 なんだか愛憎入り混じってしまったけれど、やっぱりジョーカーが高笑いしながら暴力を見せつけるシーンにはテンションがあがるし、ジョーカーと、まだ精神科医ハーリーン・クインゼル博士だったときのハーレイがカウンセリングを通じて出会うシーンも観られたのはファンとして素直にうれしかった。コミックの映画化において、なにが正解かはわからない。コミックとしての魅力と映画としての完成度を両立させるのは難しいだろうけれど、どちらかが疎かになってしまってもよくない。ひとつだけ確かなのは、原作すら様々な姿形を持っている作品の映画版となれば、それは神話のようにいろいろな異なるスタイルを持って当然ということだ。この映画もまた、ジョーカーとハーレイを描いたひとつの例と言えるのではないだろうか。さらに、また違ったふたりの可能性にも思いを馳せることができる。
 DCはDCの道を行けばいいのだから、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の真似などしなくてもいい!

2016年9月8日

『X-MEN:アポカリプス』(2016)感想


 舞台が1983年という時点ですぐに『ジェダイの帰還』の公開年であると連想しなかったのは、我ながらまったく不覚の至りだった。劇中ではジュビリーやジーンたち、若いミュータントたちが上映中の『スター・ウォーズ』完結篇(まさか33年経っても結局完結していないとは思いもしないだろうな)を観に行くが、鑑賞後にジュビリーが前作『帝国の逆襲』('80)に比べるといまひとつだったと漏らす。それを受けたジーン・グレイの発言はイラスト記事にある通り。ジーンの発言そのものはイウォークもジャバ・ザ・ハットも大好きなぼくにとってはいただけないものの、X-MEN映画の前シリーズ三作目『ファイナル・ディシジョン』('06)に対するブライアン・シンガーなりの皮肉だったり、あるいは本作『アポカリプス』そのものに対する開き直りとも取れる。いずれにせよ、このくだりの時点で観客であるぼくの気分もなんとなくジュビリーたちにシンクロしはじめていた。どうしたって前作『フューチャー&パスト』('14)と同じもの、あるいはそれ以上を期待しちゃうよね。しょうがない。病気みたいなものだ。
 三部作の中間作として『帝国の逆襲』が名作であるように、『フューチャー&パスト』も全体の真ん中に位置したジョイントしての役割を果たし、そのトリッキーな展開にはとても驚かされ、とても楽しかった。だから同じテンションのものを期待しがちなのだが、そこは『ジェダイ〜』に『帝国〜』を期待したジュビリーと同じ「過ち」というやつだ。あくまで「転」は中間に位置する作品の役割であって完結篇の役割ではない。最終章に求められるのはもっとストレートな展開と、大団円だろうと思う。このことを考慮すると、本作は本作なりの色があったなあと思えてくる。ただ、とにかくぼくは『F&P』が好きすぎたんだな。こればかりはしょうがない。
 それから思い描いていたのと少し違ったのは、時代感だろうか。新シリーズではこれまで60年代、70年代と魅力的で同時に不穏な時代を再現してきた。それぞれの時代の色彩、ヒストリカル・イベント(キューバ危機やベトナム戦争は大きな要素だった)が物語を補強していたのだが、今回はそれがちょっと薄い。『ジェダイ〜』と、あとは『パックマン』のゲームくらいだろうか。ジュビリーのファッションもそれっぽいが、彼女はいつの時代もああいう格好のような気もする。ブライアン・シンガーが別に80年代に思い入れがないとか?アポカリプス降臨というストーリー上、史実的事件は特に必要ないのだけれどね。
スタン・リーのシーンは、スタン・リーであることを生かしていてとても良かった。彼のトレードマークであるサングラスがこういうふうに効果的に使われるとは、想像もしなかった。

2016年9月1日

『 FRAPBOIS × MIZMARU LIVE PAINTING』


 9月10日(土)に原宿・表参道・青山一帯で開催される『VOGUE JAPAN FASHION'S NIGHT OUT 2016』では、コラボ中のFRAPBOIS青山店にてライブペインティングを行います。お買い上げいただいたお客さまのショップバッグに簡単なドローイングもさせていただきます。ドリンクもサービスしていただけるそうです。ぜひお越しください。 

『 FRAPBOIS × MIZMARU LIVE PAINTING』 
期間:2016年9月10日(土)18:00~21:00 
場所:FRAPBOIS青山店 東京都港区南青山5-3-10 フロムファーストG 
TEL:03-5464-9198

2016年8月28日

小説を読んで思うこと

 控えめに言って、本はわりと読みます。しかし、最近我慢ならないことがある。
 フィクションに既存の企業、銘柄、商品名、ブランド、人名、サービス名等といった固有名詞が出てくること自体、ぼくはまったく抵抗がなく、それどころか「コカ・コーラ」や「マクドナルド」や「グーグル」が出てきたほうが物語が身近に感じられるし、なんというか文章の中に生活が見えてくるから好きだ。たとえばアメリカ文学を読めばだいたい「コカ・コーラ」や「カッツ・デリカテッセン」、「ナショナル・ビスケット」といったものが登場する。もっと馴染みのないものが出てきたときには、これはなんなのだろう?と興味が湧いて、調べてみたりすることで作品が歴史の一部に感じられるというものだ(一般的な読書から少々飛躍していることは否めないが)。
 これに対しての批判的な意見と言えば、たとえば当世の流行りものを取り入れると作品がすぐ古びてしまうだとか、後世のひとに伝わりづらいだとか、そういうのがあるらしい。古びてしまう問題に対しては、「作品が書かれた当時を知る資料」としての価値がつくだろうと思うし、後世のひとがポカンとするのではないかという問題に対しては、そんなに未来のひとが読む本なら注釈や解説がついたりするから平気だろうと思う。谷崎潤一郎の小説に「円タク」というものが出てきても特に注釈などなかったけれど。まあ要するに物語を紐解く上で当時のひとにとって身近だった固有名詞がちょっと挟まってるくらい大した問題じゃないということ。そもそも「コカ・コーラ」や「マクドナルド」や「グーグル」が人々から忘れ去られるほど先の時代の人々に読まれる際のことを心配するのは、正直言って杞憂だよね。
 という具合に、ぼくは既存固有名詞の挿入は好きだ。ではなにが我慢ならないのか?これは固有名詞を使う使わない以前の問題というか、そのひとの文章表現、手法の問題になってしまうのだけれど、通信における会話についてだ。
 現代を描く作品には当然現代の生活様式が反映されるので、登場人物たちはタッチパネル式の携帯電話(小説の文中で「スマホ」と俗称で書かれていることにまず抵抗を感じる)を使って、通信アプリケーション「LINE」を使って交信したりする。上で書いてきたようにそれは全然問題ない。それくらい現代人の生活に浸透しているし(もちろん使っていないひとも大勢いるけれど)、近い将来インターネットが姿を変えたとき、あるいはとても古いものになってしまったときにはレトロ・テックとして新鮮さが出るだろうし、ちょっとしたSF感だってあるかもしれない。まあ、10年後に「LINE」という名称を見たときに、たとえば今の感覚で00年代の小説を読んで「mixi」とかが出てきたときに感じるやるせなさと同じものを覚える可能性はあるので、MSNメッセンジャーからスカイプ、imessage、LINEといった似たようなツールをひとまとめに「メッセンジャー・アプリ」とかなんとか、そういうふうに呼んだほうがニュートラルで無難な気もするけれどね。

 さて、本を読んでいると登場人物たちがLINEで交信を始めたとしよう。
 A子の「スマホ」が振動して画面上にLINEの通知が浮かび上がる。交際中のB太郎からだ。
「ようA子、今度の土曜日、映画を見に行こうぜ」
「いいわよB太郎。あたしゴーストバスターズが観たいんだけれど」
「はん?あんなオバンだけのゴーストバスターズなんかゴーストバスターズじゃないぜ」
「オバンですって?彼女たちは最高にクールな存在よ」
「なんでもかんでも主人公を女にしやがってからに俺の子供の頃の夢を奪わないでくれよ」
「ちょっと、聞き捨てならないわね。逆に言えば今までなんでもかんでも主人公はオジサンか小僧だったじゃないの。主人公が男だったときにはなんの疑問も湧かないくせに」
「ぐぬぬ」

 といったような微笑ましいやり取りがなされ、結局その土曜にふたりは『ゴーストバスターズ』を観に行って、B太郎もケイト・マッキノンのかっこよさに痺れて考えを改めるのであった。と、重要なのはそこじゃなくって、会話の部分。これは一応LINEでなされている会話として進んでいるが、アプリについてよく知らないひとにはこのままではちょっと不親切ではないだろうか?「画面上にLINEの通知が浮かび上がる」とあるが、通知が浮かび上がったらなんだというのだ?通知が浮かび上がってから会話に発展するまでのプロセスが謎だ。LINEでの会話描写について、こういうふうに書かれている本は多い。これがぼくの我慢ならないことだ。なんの断りもなく「LINEによる会話」とされている会話が急に始まって、終わる。この通信アプリが廃れてしまった時代に読まれるときのことを気にするとかいうレベルの話ではない。同時代人であっても同じアプリを使うひとじゃないといまいちピンと来ないのではないか。ましてや会話中に「スタンプ」なるものが入れられることもあって、こればかりはもうLINE利用者じゃないと伝わらないんじゃないかと思う。
 まだあるんだ。これはLINEだけに限った話ではなく、電話による会話、電子メールによる会話描写にも当てはまるのだけれど、全てのセリフが面と向かっての会話のときと同様「」で囲まれているのが気になって仕方がない。通信による会話であるという区別がまったくなされていないのだ。別に全てのセリフが「」で囲まれていても、前後にそれが電話による会話であること、メールによるやり取りであること、 ラインによるものであることがわかるように書かれていればいいのだけれど、それがいまいちわからない場合もよくある。いや、さすがにぼくもちょっとは考えることができるので「ああ、メールでのやり取りなんだな」くらいのことは思うのだけれど、一瞬「ん?」と前のページに戻ってなにか見落としてるものがないか文字を追ってしまう。「そうとわかるならいいじゃないか」とも思われるかもしれないけれど、それでいいんだろうか?説明不足というか、読者の多くも自分と同じようにLINEを使っているからこれくらいわかるだろうというような、早まった一般化とでも言うようなものを感じずにいられないのだ。もちろんそのひとの表現手法があるので、間違っている、と言うつもりは全然ない。ぼくが読んでいて微妙な気持ちになるというだけのこと。
 著者のひとが、どこを省略し、どこを丁寧に書いたかという話に尽きるんだけれどね。
 ぼくが気にしすぎなだけだろうか。

2016年8月26日

“The Another Rescue"


“The Another Rescue” 
- STAR WARS : THE FORCE AWAKENS [2015]

 実際にないシーンの妄想なので、『フォースの覚醒』タイトルをキャプションしていいのかどうかよくわからないけれど、まあいいでしょう。
 最高指導者から「カイロ・レンを連れて脱出しろ」と直々に命じられたからには、ハックス将軍自ら救出に向かうはず。『シスの復讐』('05)で火山惑星ムスタファーまで四肢を無くして大火傷したアナキンを助け出しに行った皇帝の図と、なんとなく重なる(皇帝の方は大事な所有物を回収に行ったという感が強いが)。
ハズブロ社製6インチ・フィギュアのスノートルーパーがお気に入りなので、見ながら描いた。フィギュアはこの上ない資料になる。ハックスのフィギュアも持っているので細部はもちろん、立体でとらえることにより正しい形状が把握でき、それだけで絵に説得力が出る気がする。と、フィギュア購入を正当化してみる。でも、絵に描きたいと思ったキャラクターは、立体を持っていたほうがいいと思う。
 アダム・ドライバーの素顔付きのカイロ・レンを持っていないので、欲しいのだけれど、今年ロンドンで開催されたスター・ウォーズ・セレブレーション・ヨーロッパで限定販売されたそう。素顔とマスク、ヴェイダーおじいちゃんの溶けたマスク、ファースト・オーダー軍旗といったものが付属。どうにかこれ手に入れられないかなあ。

2016年8月22日

『シン・ゴジラ』(2016)感想


 ゴジラが現れた。しかしSFチックな秘密兵器は無いし、光の巨人も人型兵器も戦闘ロボもいない。あるのは現代科学と知恵、それから膨大な役所的手続きに会議、諸々の物資に姿を変えた税金くらい。本作はその全てを駆使して巨大不明生物(あくまで巨大不明生物。カイジュウという言葉は明らかに意図的に使われていない)、ゴジラを倒すプロジェクト・ドキュメンタリーでもある。そこも同時代人であるぼくたちを引き込む理由だろう。庵野監督の代表作にして今や代名詞でもある『ヱヴァンゲリヲン』シリーズ同様の縦長の明朝体によるテロップの多用もまた、単にエヴァ的であるだけでなく、ドキュメンタリー・タッチのディティールのひとつ(ディティールという言葉もまた本作を表すキーワードのひとつに違いない)。ある目的に向かって皆で力を合わせてプロジェクトを進める感じ、最近だと『オデッセイ』('15)もそうだった。皆で力を合わせてがんばるというのは普遍的な魅力とパワーがあるんだね。
 ドキュメンタリー・タッチに説得力をもたせているのはやはりそれだけ細部までリアルに描いているからだろう。特に今作は政府中枢の視点で物語が進み、その極めて専門的な場での言葉のやり取り、出来事への対応などは、実際の官公庁や政治家達に取材を重ねて徹底して考証しただけあって非常に現実的。そして、そのリアルさはぼくたちが2011年の春にテレビを通して見た光景に自然と重なっていく(青い防災服が象徴的だ)。
 政府中枢の会議や駆け引きがストーリーの中核を成している、という点でぼくは『博士の異常な愛情』('64)や『日本のいちばん長い日』('67、'15)を連想した。なんとなく通じるものはあるのではないかなあと思っていたら、今作のキーパーソンである牧五郎元教授役(写真のみの登場)が67年版『日本のいちばん長い日』の監督岡本喜八であった。第1作『ゴジラ』('54)の直系的コンセプトを持ちながら、日本の未来を決する政治シーンは『日本のいちばん長い日』にも通じる。さらに言えば昨年公開の15年版ではヴェラ・リンの『We'll Meet Again』が印象的に流れるが、この曲は『博士の異常な愛情』のテーマ曲でもある。ここに会議映画(なんか乱暴なくくり方だが)として3作(厳密には4作か)が繋がっていくように感じる。
 音楽と言えば、エヴァでお馴染みの(新劇場版シリーズにおいてはだいぶ重厚感と壮大さを増してきた)鷺巣音楽がゴジラとの融合を果たしていて、それがとても合っている。劇中には伊福部昭のゴジラ音楽原曲も使用されているが、こちらとも自然と合わさっている。ぼくはまったく音楽について鈍感なので、エンドロールのクレジットを見るまで、劇中で流れたお馴染みのゴジラ音楽が過去の原曲使用と思わなかったのだけれど、それくらい自然とはまっていた。
 それで、肝心なゴジラはと言うと、これはもうとても驚く仕掛けがあって多くのひとが騙されてしまうのではないだろうか。ゴジラというキャラクターのデザインが作品に対する知識の有無に関わらずアイコンとしてよく知られていることを逆手に取ったトリックで、これは本作の重要なポイントのひとつなのであえて説明しないでおきたい。ただし、それにも関わらず関連グッズに使われている名称などからその展開が安易に予想できてしまうことが非常にもったいない。もちろん、仕掛けについてわかっている上で観てもインパクトがあるし楽しいと思う。
 ゴジラが最も大きな破壊と絶望をもたらす最高潮のくだりは、音楽の悲壮さも手伝ってこの不遇な生き物の悲痛と怒り、それが体現する自然界の強大さと放射能の恐怖とそれを生んだ人間の愚かさといったものが、その大きく裂けた口から吐き出される放射熱線とともにぼくらの頭に降り注いでくる。それはまさに畏敬の念を抱かずにはいられない姿だ。けれど、同時にゴジラは人類に可能性をもたらす福音(ヱヴァンゲリヲン!)でもあった。長谷川博己演じる矢口蘭堂が人類はゴジラと共存しなくてはならないと考え至るのも、放射能との付き合い方、自然界との付き合い方そのものに通じていくのだと思う。
 ところで、ほんの5年前の大地震がこうしてエンターテインメント作品のテーマに取り込まれる時点まで来てしまった。災害だけではない。携帯電話の進化によりインターネットが完全に人々の生活の一部になり、SNSや動画共有サイトにより報道の形が変わりはじめた様子や、有事法制の整備についてまわる議論というような要素もふんだんに盛り込まれている。まさに今日の日本(というより東京だが)をストレートに描いていて、かつ昨日までのことが史実として感じられるつくりだ。シュテファン・ツヴァイクではないが、まさに歴史とは「昨日の世界」のことだ言える。1954年に水爆の恐怖を体現するゴジラを目撃した人々同様、ぼくたちも歴史の中を生きているのだ。