2016年5月23日

にじんだ宛名


 本当に頭にきちゃうんだよなあ。
 いやね、ぼくは平成一桁の生まれでかなり早い頃からインターネットなんかに触れてるから、言ってみればデジタル・ネイティヴ世代って言えなくもないんだよね。そりゃ、さすがに生まれたときからソーシャル・ネットワークなんてものが世の中に浸透していたわけでは、全然ないのだけれど、まあとにかく電子メールやチャット、メッセンジャー・ソフトにずいぶん慣れ親しんでるわけ。しかし、そういう世代だからこそアナログなものに惹かれるところがあって、これは友達の話なのだけれど、データで音楽を買う時代にせっせとレコードを集めて休日に針をおとしているひとなんかもいるんだな。かく言うぼくも、手紙を書くのがわりと好き。やりとりに手間がかかるところが良いんだよ。
 それで、なにが頭にきちゃったかというとだね、年のわりには筆まめなぼくはちょうど封書で手紙をもらったものだから、返事を書いたのだけれど、切手は常備していないので郵便局に持って行ってそこでお金を払って出そうとしたんだよね。ぼくは元来文字が綺麗に書けるほうではないから、宛名なんかは鉛筆で薄く下書きをしてからLAMYの万年筆を走らせてさ、自分なりに神経使って宛先を書いたわけだよ。へたくそな字なんだけど、しっかり書いている字に見えるだろうと自負しているんだよね。でも、郵便局で起こったことを考えればLAMYで書くべきじゃあなかったなあ。
 郵便局に用事があるときに限って午後の時間はあっというまに過ぎてしまって、いつも足を運ぶのが16時過ぎとかになってしまう。郵便局は17時までなので、もう郵便の受付以外の業務は終わっちゃってるわけ。手紙を出すだけだから、それでもいいんだけれど、こういうぎりぎりの時間に郵便を出しに行くと、表のポストに出してもらったら今日のうちに集荷されますよと言われ、お金を払って切手を貼ってもらった封筒を返してもらって、自分でポストに出すわけよ。
 郵便の受付はいつもおばさんなのだけれど、この日は新人らしい若い女性がひとり入っていて、おばさんにいろいろ低い声で言われながら慣れない手つきで仕事をしていた。普通郵便でお願いしますと言って封筒を渡すと、お姉さんが受け取っておばさんに横からやり方を聞くんだよ。軽量して、82円だって確定するとぼくはお金を払うわけ。同時に向うで封筒に切手を貼ってもらう。このときおばさんとお姉さんのどっちが切手を貼ったのかわからないのだけれど、切手につける水ーーあのスポンジに浸してあるのは水だよね?ーーの量が明らかに多かったみたいで、切手のまわりがずいぶん濡れていたんだよ。それでぼくが神経使ってへたくそなりにがんばって書いた宛名にも少し水気が飛び散ってたわけ。LAMYの万年筆は言うまでもなく水性なのでこれはまずい。表のポストに出してくださいとおばさんが言うのでそうしようとしたけれど、字の一部が濡れてしまっているのが気になってーーこのままポストに放り込んだら中で大変なことになっちゃうんじゃないかしらと心配したんだよね。それで、ちょっと濡れちゃったみたいなので拭き取ってもらえますかと言ったわけ。
 そしたらお姉さんが受け取って、さっきまで慣れない手つきだったのに急にせっせと動いちゃって、ティッシュを取り出してぐいぐい水気のあるところをこするんだよ。そうっとトントンと水気を吸ってくれればよかったのに。そのとき、あっ、と思ったのだけれど、外では口が重くなってしまうぼくなので、声が出なかったんだよね。喉の奥がかさかさ言って、ショックで仕方がなく、さっきまで背中を丸めて机に向かってその宛名を書いていたことや、なによりこの手紙を読んでもらおうとしているひとには、ちゃんとした手紙を出したかったわけ。なにごとも抜かりなくやりたかった。字がへたくそでもだよ。それがさ、目の前でほんの少しの水滴と一緒にインクがこすられちゃって、お姉さん、どうやら切手の周りの濡れしか気にしなかったんだなあ。慣れないなりに仕事を成し遂げた、といったような満足げな笑みでもって、はいどうぞ、とぼくに封筒を返してくれたんだけれど、ぼくは悲しくって悲しくって、怒りたいくらいだったのだけれど、お姉さんはあきらかに不慣れなようだったし、だったらおばさんに文句を言えばいいのかとも思ったけれど、面と向かってクレームつけられるようなタイプではないし(こういうときに妻だったらちゃんと言うべきことを言うんだろうなあ)、文句を言ったところでにじんでしまったものはにじんでしまったのだし、向うだってどうしようもないことなのでなにも言わずに封筒を持って外に出たのさ。
 幸い、濡れてにじんだのは「東京都」の「東」という文字の、真ん中の「田」みたいになっているところで、そこが真っ黒になっちゃっただけなので、これで住所がわからなくなるなんてことはないけれどさ(ぼくは普段から「東京都」を省略せずに書く癖があったのでそれがこの場合良かったのかもしれないけれど)、完璧に出来たと思った宛名が汚れて、テンションが超下がっちゃったんだよね。そしてその苛立ちをどこにぶつければいいのかもわからなくって、いや、切手にあんなに水つけるのが悪いんだけれどさ、そのことにとっさに文句を言えない自分にも苛立ったし、帰り道にLAMYではなくステッドラーのペンにすればよかったなあ、そもそもティッシュだけもらって自分で拭き取ればよかったなあなんてことを考えているお人好しな自分にも、本当に頭にきちゃうんだよなあ。



 

営業報告:SPUR映画レビュー第4回


 「SPUR」7月号の「銀幕リポート」は、ドーナル・グリーソン、オスカー・アイザック、アリシア・ヴィキャンデル主演、アレックス・ガーランド監督の人工知能もの『エクス・マキナ』について描いています。
 昨年末『スター・ウォーズ:フォースの覚醒』で新しいヒーロー&ヴィランを演じたオスカー・アイザックとドーナル・グリーソン共演で、それとは全然違うふたりのキャラクターも興味深いですが、人工知能の存在を証明するためのテスト「チューリング・テスト」がテーマでもあるので、『イミテーション・ゲーム』(2014)と合わせて観たい作品。

2016年5月20日

かあいそうなブロントサウルス


 最近仕事で恐竜を描く機会があったのでーーというよりぼくが恐竜を描きたかったので描かせてもらったのだけれど、久しぶりに恐竜について少しリサーチした。
 未だになかなか種類を覚えられず、ティラノサウルスとかブラキオサウルスとかトリケラトプスくらいの定番中の定番しか名前が出てこないのだけれど、なにかもっと別に定番のやつがいたような気がしてならなかった。玩具の恐竜には必ずラインナップされているような、わかりやすい形で、大きくて緑色のやつ。そこでひとつ思い出したのが、故郷の運動公園に鎮座していた恐竜像のことだ。ぼくがまだ幼稚園に入ったかどうかというくらいの古い記憶なのだけれど、父とよくその公園に行って恐竜像で遊んだのを印象強く覚えている。ペンキで塗ったような嘘っぽい緑色、お腹は黄色、眼や口の塗りも雑でいかにも遊具といった出来だが、本物らしいという意味でのリアルさとはまた別の迫力を持っていた。確かお腹の中が空洞になっていて入ることができ、そこから滑り台になっている尻尾の上に出られる造りだったはずだ。遊んだといってもそこにはどこか恐怖心のようなものもあって、中に入るのはともかく、外から見たその恐竜は子供にとってはやはり巨大だったし、大きく開いた口の中は真っ赤に塗られ白く細かいギザギザの歯が生えており、ぎょろっとした黄色い眼なんかがうつろに空を見つめているのはとても怖かった。さらに父が「夜になると歩いてどこかに行く」などというお決まりの怖がらせ文句を言ったりするので、"大きな遊具はとても楽しい"けれど、"恐竜はとても怖い"という相反する感情が同時に沸き起こって妙な気持ちになったものだ。今でもぼくには"巨大なオブジェに対して恐怖と興味が同時に沸く妙な気持ち"が残っている。
 その恐竜像との思い出には、巨大で恐ろしい恐竜に対し幼いぼくが勇気と怒りでもって思い切り蹴ったら足をくじいたというアホな漫画みたいな話があるのだけれど、それはともかくとして、重要なのはその恐竜の種類だ。ずんぐりした身体に長い首、象のように大きく太い脚。今もぼくの中で恐竜のイメージとして残っているのはこの恐竜の姿だろう。ティラノサウルスでもトリケラトプスでもない、首が長いといってもブラキオサウルスとは全然違う。あの恐竜はなんなのだろう?公園の遊具ということもあり明確な種類はなく、なんとなくのイメージとしての恐竜に過ぎないのだろうか。玩具にもよくあるデザインだからそうなのかもしれない。けれど、多少のデフォルメがあるにしてもモデルくらいいるはずだ。定番の恐竜の姿としてここまで世の中に溢れているのだから。そうして、ぼくはその地元にある公園の名前をグーグルの検索欄に入力し、後ろに「恐竜」と付け加えて検索したのだった。
 趣味というのは本当にいろいろあって、世の中には日本全国の恐竜型遊具のある公園について記録しているひともいるようだ。各所の名称と所在地、なんの種類のどんな恐竜遊具が設置されているかということが書かれたリストの中に、ぼくの思い出の公園の名前もあり、それによれば幼く純真な瑞丸少年を怖がらせたあの恐竜はアパトサウルスという種類だったらしい。では、そのアパトサウルスというのはどんなやつなのだろうか?このことを調べると意外なことがわかった。
 当然ながら遊具の恐竜はデフォルメされた姿なので、ちゃんとした復元画ではだいぶイメージと違う姿をしていたのだけれど、ともかく首が長く巨体なのが特徴の竜脚類で、ブラキオサウルスなどもこの仲間である。しかし釈然としないなあ。アパトサウルスだなんて、悪いけれどぼくが恐竜の種類に疎いことを差し引いても全然親しみのない名前だ。遊具や玩具のモチーフによく使われているなら、もっと聞き覚えのある名前でもよさそうなのに。この疑問はわりとすぐ解決した。アパトサウルスはかつてブロントサウルスと呼ばれていて、このブロントサウルスという名称にはぼくもピンときた。頭の奥の奥の方でパチンとなにかスイッチが入るような感覚。ブロントサウルス。確かにこの名前には覚えがある。『ドラえもん』などでよく耳にしたんじゃなかったっけ。
 19世紀の終わり頃、アメリカ人古生物学者オスニエル・チャールズ・マーシュは発見した化石を新しくブロントサウルスと名づけたが、後になってそれよりも前に見つけて命名していたアパトサウルスの骨と同種だということがわかり、先に発表されていたアパトサウルスに名称が統一された。それでもその後長い間ブロントサウルスという名前とイメージはポップ・カルチャーに根強い人気を持ち続けることになる。1925年に公開された映画『ロスト・ワールド』ではウィリス・オブライエンによるストップモーションによるブロントサウルスが暴れまわり、1933年のシカゴ万博では石油会社シンクレアによる恐竜庭園に巨大なブロントサウルス像が展示されて人々を圧倒した(シンクレア社のロゴマークにも小さくブロントサウルスがあしらわれている)。とっくに学問の上ではブロントサウルスの名は無効化されてアパトサウルスの名前しか残っていないはずなのにも関わらずだ。日本でも昭和時代にかけてブロントサウルスはそのヴィジュアルと「雷竜」というかっけえ名前によって定番の人気恐竜の地位を得た。しかし、70年代になってからは新しい研究結果等によりブロントサウルスとアパトサウルスの完全な統一化と、ブロントサウルスの存在抹消がなされ、図鑑や博物館、その他メディアから姿を消すことになってしまう(とは言えぼくも名前に覚えがあるくらいなので、完全に抹消が済んだのは最近なんじゃないかなあ)。『ドラえもん』の大長編第一作『のび太の恐竜』にもブロントサウルスという名が出てくるシーンがあるが、新しい版ではアパトサウルスに修正されてしまっているらしい(我が家にある藤子・F・不二雄全集では"あえて"一切修正をせず昔のまま収録しているのでブロントのままだった)。昭和の恐竜好きのひとりとして、F先生もブロントサウルスには思い入れがあったのではないだろうか。ともかく、こうしてかの恐竜は姿を消してしまった。かあいそうなブロントサウルス。
しかし、またここでどんでん返しが起こる。去る2015年、やっぱりブロントサウルスはアパトサウルスとは別種らしい、という最新の研究結果が発表されたのだ。「ブロントサウルスはいなかった」とされていたことすら知らなかったぼくには二重に驚きである。なんでもブロントサウルスとアパトサウルスの間には別種であると言える違いが多くあったとか。正式にブロントサウルスが復帰したわけではないけれど、復活する日が期待されているらしい。ぼくは人気者だったにも関わらずその存在を否定されて消されてしまったこの恐竜が、その不遇さゆえに好きになった。図鑑に帰ってくるのがまだまだ先になっても構わないし、それが残念ながら実現せずとも、「幻の恐竜」「かあいそうな恐竜」としてのブロントサウルスに想いを馳せたいと思った。


2016年5月8日

ブックユニオン限定「集めたくなる栞」第二弾


 ブックユニオン各店で新刊書籍1000円以上購入毎にもらえる「集めたくなる栞」。ぼくは先月から本のジャンルをテーマに描いてますが、第二弾となる5月分テーマは「MAGAZINE」です。雑誌読書も小説とはちがう楽しさがありますね。



 先月の第一弾は「MYSTERY」でした。小説とそのほかのジャンルを取り混ぜることでできるだけバラエティに富んだシリーズにしたつもりです。
 栞として使っていただくのはもちろん、カードのような感覚で集めてもらってもうれしいです。
 目指せ12種コンプリート!

2016年5月5日

アドベンチャーの国へ


 TOKYO MXで初めて観て以来、ペンデルトン・ウォードによるアニメ『アドベンチャー・タイム』がお気に入り。クセの強い露悪的なカートゥーン作品は子供のころから好きだったけれど、それらとはまた一線を画す魅力を備えていて、なによりそのキャラクター造形やそれを表現する線がとても良い。言い知れぬ不安定な可愛らしさは絵柄だけでなくストーリーにも生きていて、まあ観てもらえればわかると思うのだけれど、頭がおかしいとしか言いようがないのだ。観るたびに「これ作ったひと大丈夫かな」と思うくらい。
 なんにでも目と口がついて手足が生えていたりという、あらゆる物を擬人化する発想も個人的にはとても好きで、非常に単純なことなのだけれどその単純さにかえって親しみを持てるんだろうなあ(ぼくもなんにでも目と口をつけるのが好きなのだが、美術学校のころ講師から「幼稚」と一蹴されたのは今でも覚えている。幼稚で結構だよね?)。まるで子供が夢想したような生き物が次々登場しているのを見ると、なんだか「自由にキャラクターを創造する」ことの楽しさを思い出す。
 一体どういう世界観かなんて、考えるだけナンセンスなのだけれど、作者によれば核戦争(マッシュルーム戦争と呼ばれる。きのこ雲のことかな?)で文明が一度崩壊して、魔法が復活した世界なのだそう。
 登場人物たちが音楽好きで時折楽器を持ち寄って(とにかくなにか音を発する物を使うことも)セッションしたり作詞して過ごしたりするくだりがあるのも趣味が良いなあと思う。

2016年5月4日

Happy STARWARS DAY !!


 5月4日は「スター・ウォーズの日」。理由にはもう触れないとして、まあぼくにとっては普段と何ら変わらない日。毎日がそうなんだからね。
 特にイベントにも出かけず、記念イラストを描いたりもしていないので(SWのイラストなら年がら年中描いてるわけで)、昨年「美術手帖」12月号に寄稿したイラストコラムの内容を改めてこの機会に。スカイウォーカー家の血筋がたどった道のりをイラストで追っていく内容。


 アナキン坊やのシルエットの演出は『ファントム・メナス』公開当時のポスターからの引用。お母さんとアナキンの構図がなかなか気に入っている。そういえば少年アナキンを演じたジェイク・ロイド、いろいろ大変らしい。


 銀河いちのお騒がせカップル。銀河にも週刊文春があったらふたりの関係はとっくに皆の知るところだったんじゃないだろうか。ちなみに初めて劇場で観たSWは『クローンの攻撃』なのでいろいろ思い入れも強い。このふたりの衣装も好き。


 かなり詰め込んだカット。ダース・ヴェイダーはアニメ「反乱者たち」のデザインを参考にした。ラルフ・マクォーリーがコンセプト・アートに描いたようなつり上がった眼や高い頰が特徴のスタイリッシュさが好き。赤ちゃん双子は本作公開後にハズブロから発売されたアクション・フィギュア(オビ=ワンがルークを、ベイル・オーガナがレイアを抱いているもの)を参考にした。今見ると棺の中のパドメはミレーの絵画『オフィーリア』に近いものを感じるのだけれど、影響があるんだろうか?


 旧三部作パートはもうアイコン化されているので非常に描きやすかった。いかに普遍的なSWのイメージに立ち返って表現するかを考えたつもり。レイアを抱いてターザンするルークはやっぱり勇気の象徴だよね(実際撮影現場でも命がけのシーンだったとか)。このあと三作目の『ジェダイの帰還』でも同じようにレイアを抱いてターザンするシーンがあるけれど、そのときのルークは自信と余裕に満ち溢れていて、彼の成長の度合いがわかる。ひとつのアクションでひとりの人間の成長が演出されているのがおもしろい。
 『帝国の逆襲』での対決はもはや説明不要だろう。ヴェイダーくらいアイコンと化したキャラクターはどこまで崩すのか、どういうデフォルメができるだろうか、ということを考えるのが非常に楽しい。おそらくかなり崩してもダース・ヴェイダーに見えるのだろうけれど、崩した上でも本来の暗黒卿の特徴が備わっていないといけないのが悩みどころ。長身の巨漢であり圧倒的な威圧感とパワーを持つ、絶対的な悪(少なくともこの時点では)。ぼくは大抵の場合ヴェイダーを、細部を省略したシルエット主体で描いている。大きな影のように見えるところが個人的にいちばんの特徴だと思うからだ。
 

 マスクを取ったヴェイダーというのは子供ながらに恐ろしくもあったし、怖いもの見たさのような感覚を呼び起こす不思議な魅力があった。DVDから最新ブルーレイではこの素顔を演じたセバスチャン・ショウの眉毛が削除されている(『シスの復讐』でアナキンの眉は頭髪もろとも焼けてしまう)。ぼくはあの眉毛がちょっと好きだったのでこっそり復活させてみた。『特別篇』やソフト化で加えられた修正は、良いものもあれば余計なものもある。まあ、個人の思い入れによるのだけれどね。

 というように、シリーズを一本の線でつないでみた次第。細部はともかく、おおまかなシリーズのあらすじとしても機能しているのではないかと思う。絵もとても気に入っていて、SWを描く仕事ができてとても楽しかった。
 個人的にはオリジナル三部作、プリクエル三部作といった区分けをせずにひとまとめにひとつのサーガと捉えるのが好きかな。プリクエルも完結から10年、『ファントム・メナス』に関してはもう17年前の作品である。もう十分SWの一部として板についてきたと思うし(古典になりつつある)、時間の経過によりまた違った魅力も見えてくることだろう。今後新たに生まれるエピソードも含めて、あとでまたシリーズを振り返って一望したらなにが見えてくるだろうか?