2016/08/22

『シン・ゴジラ』(2016)感想


 ゴジラが現れた。しかしSFチックな秘密兵器は無いし、光の巨人も人型兵器も戦闘ロボもいない。あるのは現代科学と知恵、それから膨大な役所的手続きに会議、諸々の物資に姿を変えた税金くらい。本作はその全てを駆使して巨大不明生物(あくまで巨大不明生物。カイジュウという言葉は明らかに意図的に使われていない)、ゴジラを倒すプロジェクト・ドキュメンタリーでもある。そこも同時代人であるぼくたちを引き込む理由だろう。庵野監督の代表作にして今や代名詞でもある『ヱヴァンゲリヲン』シリーズ同様の縦長の明朝体によるテロップの多用もまた、単にエヴァ的であるだけでなく、ドキュメンタリー・タッチのディティールのひとつ(ディティールという言葉もまた本作を表すキーワードのひとつに違いない)。ある目的に向かって皆で力を合わせてプロジェクトを進める感じ、最近だと『オデッセイ』('15)もそうだった。皆で力を合わせてがんばるというのは普遍的な魅力とパワーがあるんだね。
 ドキュメンタリー・タッチに説得力をもたせているのはやはりそれだけ細部までリアルに描いているからだろう。特に今作は政府中枢の視点で物語が進み、その極めて専門的な場での言葉のやり取り、出来事への対応などは、実際の官公庁や政治家達に取材を重ねて徹底して考証しただけあって非常に現実的。そして、そのリアルさはぼくたちが2011年の春にテレビを通して見た光景に自然と重なっていく(青い防災服が象徴的だ)。
 政府中枢の会議や駆け引きがストーリーの中核を成している、という点でぼくは『博士の異常な愛情』('64)や『日本のいちばん長い日』('67、'15)を連想した。なんとなく通じるものはあるのではないかなあと思っていたら、今作のキーパーソンである牧五郎元教授役(写真のみの登場)が67年版『日本のいちばん長い日』の監督岡本喜八であった。第1作『ゴジラ』('54)の直系的コンセプトを持ちながら、日本の未来を決する政治シーンは『日本のいちばん長い日』にも通じる。さらに言えば昨年公開の15年版ではヴェラ・リンの『We'll Meet Again』が印象的に流れるが、この曲は『博士の異常な愛情』のテーマ曲でもある。ここに会議映画(なんか乱暴なくくり方だが)として3作(厳密には4作か)が繋がっていくように感じる。
 音楽と言えば、エヴァでお馴染みの(新劇場版シリーズにおいてはだいぶ重厚感と壮大さを増してきた)鷺巣音楽がゴジラとの融合を果たしていて、それがとても合っている。劇中には伊福部昭のゴジラ音楽原曲も使用されているが、こちらとも自然と合わさっている。ぼくはまったく音楽について鈍感なので、エンドロールのクレジットを見るまで、劇中で流れたお馴染みのゴジラ音楽が過去の原曲使用と思わなかったのだけれど、それくらい自然とはまっていた。
 それで、肝心なゴジラはと言うと、これはもうとても驚く仕掛けがあって多くのひとが騙されてしまうのではないだろうか。ゴジラというキャラクターのデザインが作品に対する知識の有無に関わらずアイコンとしてよく知られていることを逆手に取ったトリックで、これは本作の重要なポイントのひとつなのであえて説明しないでおきたい。ただし、それにも関わらず関連グッズに使われている名称などからその展開が安易に予想できてしまうことが非常にもったいない。もちろん、仕掛けについてわかっている上で観てもインパクトがあるし楽しいと思う。
 ゴジラが最も大きな破壊と絶望をもたらす最高潮のくだりは、音楽の悲壮さも手伝ってこの不遇な生き物の悲痛と怒り、それが体現する自然界の強大さと放射能の恐怖とそれを生んだ人間の愚かさといったものが、その大きく裂けた口から吐き出される放射熱線とともにぼくらの頭に降り注いでくる。それはまさに畏敬の念を抱かずにはいられない姿だ。けれど、同時にゴジラは人類に可能性をもたらす福音(ヱヴァンゲリヲン!)でもあった。長谷川博己演じる矢口蘭堂が人類はゴジラと共存しなくてはならないと考え至るのも、放射能との付き合い方、自然界との付き合い方そのものに通じていくのだと思う。
 ところで、ほんの5年前の大地震がこうしてエンターテインメント作品のテーマに取り込まれる時点まで来てしまった。災害だけではない。携帯電話の進化によりインターネットが完全に人々の生活の一部になり、SNSや動画共有サイトにより報道の形が変わりはじめた様子や、有事法制の整備についてまわる議論というような要素もふんだんに盛り込まれている。まさに今日の日本(というより東京だが)をストレートに描いていて、かつ昨日までのことが史実として感じられるつくりだ。シュテファン・ツヴァイクではないが、まさに歴史とは「昨日の世界」のことだ言える。1954年に水爆の恐怖を体現するゴジラを目撃した人々同様、ぼくたちも歴史の中を生きているのだ。