2016年9月8日

『X-MEN:アポカリプス』(2016)感想


 舞台が1983年という時点ですぐに『ジェダイの帰還』の公開年であると連想しなかったのは、我ながらまったく不覚の至りだった。劇中ではジュビリーやジーンたち、若いミュータントたちが上映中の『スター・ウォーズ』完結篇(まさか33年経っても結局完結していないとは思いもしないだろうな)を観に行くが、鑑賞後にジュビリーが前作『帝国の逆襲』('80)に比べるといまひとつだったと漏らす。それを受けたジーン・グレイの発言はイラスト記事にある通り。ジーンの発言そのものはイウォークもジャバ・ザ・ハットも大好きなぼくにとってはいただけないものの、X-MEN映画の前シリーズ三作目『ファイナル・ディシジョン』('06)に対するブライアン・シンガーなりの皮肉だったり、あるいは本作『アポカリプス』そのものに対する開き直りとも取れる。いずれにせよ、このくだりの時点で観客であるぼくの気分もなんとなくジュビリーたちにシンクロしはじめていた。どうしたって前作『フューチャー&パスト』('14)と同じもの、あるいはそれ以上を期待しちゃうよね。しょうがない。病気みたいなものだ。
 三部作の中間作として『帝国の逆襲』が名作であるように、『フューチャー&パスト』も全体の真ん中に位置したジョイントしての役割を果たし、そのトリッキーな展開にはとても驚かされ、とても楽しかった。だから同じテンションのものを期待しがちなのだが、そこは『ジェダイ〜』に『帝国〜』を期待したジュビリーと同じ「過ち」というやつだ。あくまで「転」は中間に位置する作品の役割であって完結篇の役割ではない。最終章に求められるのはもっとストレートな展開と、大団円だろうと思う。このことを考慮すると、本作は本作なりの色があったなあと思えてくる。ただ、とにかくぼくは『F&P』が好きすぎたんだな。こればかりはしょうがない。
 それから思い描いていたのと少し違ったのは、時代感だろうか。新シリーズではこれまで60年代、70年代と魅力的で同時に不穏な時代を再現してきた。それぞれの時代の色彩、ヒストリカル・イベント(キューバ危機やベトナム戦争は大きな要素だった)が物語を補強していたのだが、今回はそれがちょっと薄い。『ジェダイ〜』と、あとは『パックマン』のゲームくらいだろうか。ジュビリーのファッションもそれっぽいが、彼女はいつの時代もああいう格好のような気もする。ブライアン・シンガーが別に80年代に思い入れがないとか?アポカリプス降臨というストーリー上、史実的事件は特に必要ないのだけれどね。
スタン・リーのシーンは、スタン・リーであることを生かしていてとても良かった。彼のトレードマークであるサングラスがこういうふうに効果的に使われるとは、想像もしなかった。