2016年12月31日

日記:12/26 - 30

2016/12/26 月

 クリスマスの翌日が月曜日というのも憂鬱な気がするが勤め人じゃないので関係なし。今年最後の試写に出掛けた。グレタ・ガーウィグ、やっぱりかわいい。
 ポコがクリスマス・プレゼントの片方をさっそく壊した。短いロープの先にペンギンの顔のぬいぐるみがついていて、そことロープの結び目の間にはテニスボールくらいのボールが通っていて遊べるものだったけれど、ボールが食い破られていた。どんな力でもってこんなことができるんだろう。こいつに本気で噛みつかれたらぼくなんてひとたまりもないだろうな。ボールの破片を食べる勢いだったので取り外して捨てた。結局そのおもちゃはペンギンの顔からロープが伸びてるだけのものになった。

2016/12/27 火

 年内の最後の仕事を翌日までに仕上げる必要があるので取り組んでいたが結局28日朝までかかってしまった。来年は日をまたぎながら翌朝まで作業をするということのないようにしっかりやりたい。
 で、夜明け頃あるニュースを受け取ることになる。

2016/12/28 水

 キャリー・フィッシャーが亡くなった。心臓発作で倒れてからの容態の続報がなかったのでもしやとは思っていた。思っていたけれど、やはり悲しく、自分で驚くほど空虚を感じる。『スター・ウォーズ』の次回作以降の心配をしている輩が多くてうんざりするし、例によって「(『ローグ・ワン』のように)CGで再現すればいい」などという体温を感じられない発言(うまいこと言ったとでも思っているのだろうか?)が目につき絶望する。そんなふうにコメントすることがぼくにはできない。インターネットでは、特にSNSではひとの死すらも消費される情報と化してしまう。誰もがこぞって右クリックで保存しただけのレイア姫の画像を貼り付けてなにかしたつもりになっている。我慢ならない。いや、それはそのひとたちなりのやり方かもしれないから、否定するのはやめよう。彼女の死に際して他人をやり玉にあげるのもよくない。重要なのは自分自身がどうしたいかを問うことである。ぼくはぼくなりの方法でこの説明しようのない空虚な気持ちと、故人への想いを表現したいと思っている。

2016/12/29 木

 キャリー・フィッシャーの母、デヴィー・レイノルズが亡くなった。なんということだろう。こんなこともあるのかとショックだった。
 1日経って、キャリーの死のショックが思いの外のしかかってきて、異様なほど気だるかった。昨日仕事納めをしたせいもあって疲れがどっと吹き出して、ほとんど一日中寝ていた。驚くほど眠っていた。目が覚める少し前になるといくつか夢を見たような気がする。別に夢はレイア姫とはなんの関係もない、ただの夢っぽい夢だったけれど、日記に夢の内容を書き始めたらおしまいだとどこかで読んだことがあり、確かになと思ったので、書かないでおく。というかどんなだったか忘れた。
 夕方から仕事を納めた妻と合流して買い物をする予定だったが、ひどく寝過ごしたので大慌てで出かけた。新しいバスマットを二枚、大晦日に弟が泊まりにくるので寝具を一式、お正月用のかわいらしい割り箸、それから年越しに組み立てるプラモデル(K-2SO。買うと少しは元気が出た)など。
 とりあえず年越しまでの間レイア姫の絵を描けるだけ描きたい。仕事が終わったこともあって気だるいのかもしれないが、とにかくなにか描けば気は紛れる。今年は本当にたくさん有名なひとが旅立ったが(SWにおいてはR2-D2役のケニー・ベイカーも亡くなった)、ここまで言い知れぬ喪失感を覚えるとは。ひとの死が情報になってしまうのは寂しいけれど、有名なひとの死なら尚更そうなりやすいものだ。ぼくだって実際自分がよく知らない有名人の訃報を単なる情報として聞き流すことは多い。けれど、そのひとたちひとりひとりの訃報に際して、やはり今のぼくのような気持ちになっているひとは確かにいるはずで、有名であろうと身近なひとであろうと、家族であろうと、それはやはり人の死であり、誰かがこの世界から立ち去ってしまうということなのだなあと実感した。当たり前のことなのだけれどね。
 絵を描こうと思ってもどうもぼうっとして時間が過ぎていく。そう簡単にこの空虚は埋まらないかもしれない。

2016/12/30 金

 仕事がないので休めるはずが、何故かまた朝までレイア姫の絵を描いていた。これはもう今までも仕事だからと寝ずに朝までやっていたわけではなく、ぼくがただそうしたいからそうしていただけだということだ。それがわかったなら、改善するのもそこまで難しくないのかもしれない。
 お雑煮やちょっとしたおせち料理のために妻とともに買い物に。食材と新しく食器も買った。これでもう買い物は全部済んだ。あとは越すだけだけれど、やけに慌ただしくて落ち着いて全然一年を振り返ることができない。今年の成果だけでもまとめてみたいのだけれど、ブログをせっせと書いているうちに年が明けてしまいそうな気がする。
 試験的に11月から始めたこの形式の日記は、わりと1日も欠かさずに記録ができるので(後から思い出しながら書くときに何があったか忘れてしまったような日があるにせよ)来年も続けていきたい。まずは来年1年分記録することを目指そう。
 

2016年12月30日

May The Force Be With Our Princess


 ぼくはキャリー・フィッシャーがいない世界をまだ生きたことがない。
 強い影響を受けて生きてきたわけではないのだけれど、やっぱりルーク、レイア、ハンを演じたひとたちは同じ世界にいて当たり前だと思っていたので、これから先いくらSWが続いても彼女はいないんだなあと思うと、ちょっと変な気分だ。この先SWがどのような物語になったとしても彼女は銀河系の運命を知り得ない。
 ぼくはキャストとのグリーティングの機会になど出かけたことはないし、会ったこともなければサインも持っていない。彼女との接点はなにひとつないし、彼女については知らないことのほうが多いけれど、彼女が去ってしまったという事実は、確かにぼくに言いようのない喪失感と空虚な気分をもたらしたと思う。胸にぽっかりとカークーンの大穴のようなものが開いている気分。そこはなにもない宇宙のように暗く、気をつけないとボバ・フェットのように落っこちてしまうかもしれない。気をつけないと、暗闇にのみこまれてしまいそうだ。
 『ローグ・ワン』という映画は、ぼくに希望とはなにかを教えてくれたばかりだった。ほんの少しでも、胸に抱くことができさえすれば、大きな原動力となる計り知れないもの。根拠がなにひとつなくとも、信じて心の支えにすれば強くいられるもの。映画のラスト、レイア・オーガナが一言だけ「希望」と口にして優しげに微笑む。劇中の全ての戦い、全ての犠牲がここに集約され、未来への明るい展望すら感じられるようだ。彼女自身もまた銀河を暗闇から救う「新たなる希望」だということを忘れてはならない。あの映画は第1作目が希望を抱き託す物語だったことを思い出させてくれたと同時に、レイア姫がその中心に立つ人物だったことも思い出させてくれた。
 キャリー・フィッシャーという人物の全てを、レイア姫という役に押し込めようというのでは、決してない。しかし、あんなふうに希望に満ちた役を演じた彼女は、やっぱりぼくにとって温かみと優しさと、知性を感じさせる女性なんだ。ぼくは素直に彼女の笑顔がとても好き。
 こんなにも寒く、冷たい夜が続く日々。時代が暗い方へ暗い方へと進んでいる中で、希望を象徴するような女性が立ち去ってしまったということが、どうしても重くのしかかってくる。この冬は暖冬になるなんていう話もあったけれど、ぼくにとっては思っていたよりも寒い日々になるかもしれない。それでも普通に年は明けて、キャリー・フィッシャーのいない最初の年をぼくは迎えなければならない。
 どうかぼくらの永遠の王女キャリー・フィッシャーとそのお母さんにフォースのご加護があらんことを。平和の惑星オルデラーンのように輝く星になりますように。遺された家族と、キャリーの愛犬ゲイリーが元気でいられますように。

2016年12月26日

日記:12/17 - 25

2016/12/17 土

 この日はあまり印象にない。モレスキンのスケジュール帳も空欄である。『ローグ・ワン』が公開してからの金土日はどうせそのことしか考えていないから、どうせそのことばかり考えていたのだろう。
 さっそく感想をまとめようと試みるも、近頃は「秘密映画館」のシリーズをもう少し違う形に変えていきたいとも思っていて、その不満と『ローグ・ワン』への想いをぶちまけたいという想いとでうんうんと悩んでいた。シリーズのラベルをつけて記事を作っていく形式というか様式がだんだん煩わしくなってきていて、もう少しラフな形にも作れるようにしたい。雑誌上の連載とも違う形にしていきたいし。
 とは言え『ローグ・ワン』に対して思ったことがA4サイズに、しかもイラストと折半されたスペースにおさまるわけもなく(イラストと文章をいかに両立させるかもぼくにとっては課題だ。どちらかといえばあくまで絵に比重は置きたいが、それでいてちゃんと言いたいこと伝えたいことを文章にもしたい)、今後もことあるごとに個別に絵と文を書いていきたいと思う。

2016/12/18 日

 友達と2度目の『ローグ・ワン』へ。初見が3DIMAXっていうのはどうも情報量が多すぎて全体が俯瞰できないので2Dスクリーンで改めて観るといろいろ細部もわかるかなと思ったがそれでもやっぱりまだ全体を見渡せなかった。SWがそこまで好きじゃなかったら、前半はいまひとつだろうなあ。集中力のないひとなら途中で席を立ってしまうのも無理はないかなと思う。映画館で途中退席したり居眠りしたりってのは個人的には信じられないが。ただ、そんなことにいちいち目くじらを立てるよりは、その程度の気軽さで時間つぶしのために1800円払い、気分が乗らなかったら上映時間の3分の1以下の時間で出ていけるひとがいっぱいいるおかげで劇場が成り立っていると思ったほうが、ましな気分になれるかな。映画オタクだけじゃ世の中持たないもの。それに映画館というのは大勢で同じ作品を一緒に観る場であって、そこには本当にたくさんの種類の人間が集まっているので、自分の気に食わないひとがいて当たり前だ。思い通りにならなくて当たり前なんだ。それでもその見知らぬ人たちと時間と作品を共有するのがシアターであって、それはフェイスブックなんかよりよっぽどソーシャルメディアな場なのだと思う。もちろんだからこそ席を立ったり私語を交わすひとも注意するべきなんだけれど、そのひとたちをわざわざ捕まえてお説教する必要を、ぼくはそこまで感じないってわけ。映画館とはそういう場所であって、無菌状態のホームシアターじゃないのさ。
 
2016/12/19 月

 試写で「ラ・ラ・ランド」を観させていただいた。やっぱりミュージカルは良いなあ、と思えるし、これならミュージカルが苦手なひとも楽しめるのではないだろうか。
 とは言えミュージカルが苦手っていうひとの感覚、全然わからないけれどね。突然歌い出すのがダメなのかな?そういう表現形態なのだということから説明しなきゃいけないのだろうか。ゴジラに対して「なんで着ぐるみに皆怯えるのか」とつっこんでいるようなものなんだけれどそれは。

2016/12/20 火

 いろいろと締め切りが重なっていたので家にいた。妻が休みで家にいると、どこか安心して過ごせるのだけれど、ぼくまで休日の気分になってしまうのがまずい。

2016/12/21 水

 レゴのアドベント・カレンダーも残り少ない。こんなに楽しいなら本当に何年も前から遊べばよかった。24日間で組み立て終えたミニ・モデルをどうするのか、ばらして別のものを作るときの部品に使ってしまうか、完成させたまま並べて飾るか、どちらがいいだろうか。ともかく細かくて小さいものの愛らしさを改めて知った。大は小を兼ねるとも言うけれど、小さいものこそ宇宙があると思う。

2016/12/22 木

 最近朝起きると床に黄色い水たまりができていることが多い。りんごジュースを床にこぼしておく趣味はないし、りんごジュースにしては生臭いので、これは犬のおしっこである。何故かおしっこを部屋でするようになってしまった。散歩し足りないのか、なにか不満なのか、病気なのか。7歳にあがってから急におしっこ漏らしになったような気がする。おじいさんなのだろうか。とは言え場所と時間を選んでいるらしいので我慢できず漏らしているというより、している、というように感じる。

2016/12/23 金

 冬休みに入ったばかりの独特の多幸感っていうのはもう味わえないのだろうか。結局こんな時期までばたばたと追われている。天皇陛下誕生日になってクリスマス・イブになろうとしているのにまるでそんな時期だという気配がない。部屋で唯一そういう気配をくれるのはちかちか光るクリスマス・ツリーだけ。
 模様替えのために発生した大量の粗大ゴミを回収してもらうのがイブの朝なので、せっせと処分の準備をした。木製の大きな家具が減るのでだいぶすっきりすると思うと気持ちが良い。古い犬のバギーも処分。広くなった分犬のケージにトイレスペースを増設して、なんとかここでおしっこしてもらうようにする。

2016/12/24 土

 朝からキャリー・フィッシャーが心臓発作で倒れたとのニュース。キャリーにだけは一度サイン会で会ったことがあるという友人がひどく取り乱していた。『ローグ・ワン』で若き日のキャリー・フィッシャーの顔をしたレイア姫が再現されていたことにひっかけて、万が一のことがあってもCGで作れるから大丈夫でしょ、なんていう例の気持ちの悪い優越感に浸るために心ない言葉を口にする連中のために、彼はより一層ショックを受けたし、ぼくもそんなことを言うひとがいるのかとショックだった。同じ映画を好きなはずなのにどうしてこう考えが違ってしまうのか。映画におけるキャラクターしか頭にないから、感情を持って生きている人間がそれを演じているということを忘れて、EP8やEP9の心配ばかりするようなひとは決して少なくないのだ。残念ながら。
 彼女の容態については、一度安定したと報じられたけれど、すぐにそれが間違っているとも話題になった。悪い状態が悪いまま続いていることも安定というのだろうか。それ以降なにも知らせがないけれど、どうか持ち直してほしい。そうしてぼくの頭に浮かぶのは、彼女の愛犬のゲイリーだ。あの子、きっと主人の帰りを待っているだろうなあ。
 最初に同棲を始めて以来ぼくらはクリスマスにはローストチキンを丸々一羽食べることになっている。とは言えまだ3年目で去年は出遅れてチキンが買えなかったので2度目である。今回はとても大きいのを買った。前回はぼくが焼いたので、今回は妻に調理してもらった。お腹の中にぎっしりとお米が詰まった鶏の丸焼きはとてもふたりで食べきれるものではなく、半分ほど食べて明日に取っておくことに。もしかしたら本場でもクリスマスのご馳走は年末にかけて食べていくものなのかもしれないな。いっそこちらで言うところのお節料理すらも兼ねているのかもしれない。クリスマスの恩恵に預かれる国の人々は日本人なんかよりもずっとゆっくり過ごせるし。この国で「ハッピー・ホリデー」という言葉がなかなか浸透しないのは、そもそも祝日じゃない上全然お休みにならないからだろうな。冬至過ぎても普通に働き続けるってよく考えるとすごいことだ。
 夜中にトイレに入っていると、こつんこつんという奇妙な音が聞こえてきたので、出て見てみると、なんとソファに乗った犬がテーブルに前足をかけてチキンの皿に顔を突っ込んでいるではないか。しっかりかけてあったラップまでわざわざ鼻面でめくりあげている。ぼくがあーっと大声を出すと、妻がむっくと布団から飛び起きてきた。妻が激怒したのは言うまでもなく、犬は朝までケージでひとりで寝ることになった。クリスマスの朝に一緒に布団に入れないのは寂しいが、しょうがない。ケージの中でふてくされて寝ている犬を見るに、折檻に効果があるのか、後悔してもらえるのかは謎だけれど、ともかくびっくりした。鶏肉は前にも食卓に残してあったもの(西武の地下で買った美味しいやつ)をぺろっとやられてしまったことがあったので、もっと警戒しておくべきだった。けれどあんな大きなチキンにどこから手をつけていいか彼もよくわからなかったようで、皿の周りに添えてあったジャガイモやニンジンの類が食べられているだけだった。
 犬にはクリスマス・プレゼントのおもちゃを二つ買ってあり、イブに最初のひとつをあげてあったのだけれど、すぐに飽きたね。チキンのほうが興味津々だったわけだ。
 アドベント・カレンダーは全て開け終えた。終わってしまったがとても楽しかった。クリスマスにこういう楽しみ方があるとはね。

2016/12/25 日
 
 さあチキンの続きだ。妻も仕事帰りにパンとチーズと生ハムとりんごサイダーを買ってきてくれた。青い染みがたくさん浮かんだ美味しいチーズで最高だった。買っておいたソーセージも焼いた。そんなわけでいろいろあったので、またチキンはそこまで食べ進まなかった。また明日食べればいいのだ。
 犬には二つ目のプレゼントをあげた。しばらく遊ぶのだがやっぱり飽きて放置。
 クリスマスと言えどサザエさんは相変わらずだったな。妻と長女がお節料理を作っている間、波平は婿と「わしらの仕事はもうないな!」「そうですねえお義父さん!」などとのんきにくつろいでいるのがまた相変わらずであった。
 月曜までのイラストを仕上げて寝た。終わっちゃったなあクリスマス。

2016年12月23日

『ローグ・ワン:スター・ウォーズ・ストーリー』(2016)感想


 昨年のEP7『フォースの覚醒』がニュートラルなSW像を現代的に再解釈して見せた王道的作品だったのに対して、今作『ローグ・ワン』はそのよく知られている英雄譚を裏側から支えるもうひとつの魅力に迫った、まさに根っからの外伝作品と言える。EP7はファンのみならず、SWにそこまで馴染みのないひとも楽しめるようなキャッチーさやポップさが備わった「映画」だったと思うけれど、今作はまるでそれに対するカウンターのごとくこれっぽっちもビギナーに優しいところがなく、徹頭徹尾SWを愛するひとのために作られた「SWユニバース作品」になっている。外伝作品の大前提として本筋を知っている必要はあるだろうから、そのあたりは割り切ってしまっていいと思うし、作る側もある程度割り切っているからこそこれほどまでにおもしろいSW映画になったのだと思う。逆に言えばEP7は多方面に気を使いすぎた作品だったとも言えるが、今作でここまでファン向けに振り切れたのは、EP7で「SWってもともとはこういうものだよね」という普遍的な物語を展開した後だからこそだと思う。

 もちろん世界観の追求だけでなく、外伝としての役割も申し分なく果たしている。時代設定はEP3とEP4の間(正確にはEP4の直前)に位置しており、前日譚であると同時に後日譚でもあるわけだ。EP3に登場した兵器が一線を退いて地味なところで使われていたり、レイア姫の養父であるベイル・オーガナや、モン・モスマがEP3に引き続いて同じ役者が演じているところなど、ところどころにプリクエル世界観の延長が感じられ、新旧三部作の間に本作が挟み込まれることで、両三部作の境界が融和してひとつのシリーズとして繋がってくるようにも感じられる。まさにブリッジとしての役割だね。

 ベイルやモスマ以外にも過去の六部作から何人ものキャラクターが登場するが、その中でももっともアイコニックで有名なのはやはりダース・ヴェイダーだろう(C-3POとR2-D2も一応登場するけれどカメオ出演程度)。そのヴェイダーは今回初めてその住まいがお披露目され、入浴シーンまで見せてくれるのだけれど、そのヴェイダー城はどこか見覚えのある溶岩の川の上に建っている。あの惑星がEP3に登場した、ヴェイダーがあんな身体になった舞台であるムスタファーであるかどうかはまだわからないけれど、新しく登場した惑星には必ずテロップで名前とどういう特色を持つ星なのかの説明がある中、この火山の星には無いので、観客がすでに一度見たことのある星なのだろうと思われる。いずれにせよヴェイダーがわざわざ火山の中に住んでるという事実はなかなか胸にずっしり来る。きっと苦痛を忘れないように、そこから負の感情をたくさん引き出してダークサイドの力を追求するため、そして戒めのためにわざわざ住んでるのだろうなあと、ぼくは思う。その印象的なロケーションと、バクタ・タンクの中でうごめく手足と頭髪の無い痛々しい姿は、EP3で起こったことを思い起こさせるし、アナキン・スカイウォーカーはもういないのだと思い知らされもする。なによりすごいと思ったのは、EP3によって悪の権化から悲劇の男に印象が変わってしまったEP4のダース・ヴェイダーを、再び悪の権化に更新しているというところ。EP3の悲劇を思い出させながらも、この男は完全に悪に染まって久しいのだという事実を強くつきつけてきたクライマックスのシーンはそのままEP4の冒頭へと繋がるので、第1作目で初めて姿を見せた暗黒卿の印象を「当初のもの」に戻したと言え、さらにそこに深みすら与えている。この偉大すぎるキャラクターを再定義したのは本当にすごいことだと思う。
 
 惑星の名前と役割がテロップで流れたり、そもそもオープニングタイトルがいつものやつじゃなかったり(もちろんあらすじスクロールもない。だってこの作品自体があらすじスクロールの中で語られたことだからね)、本筋のエピソードでは決して見られない禁じ手が多く観られたのも新鮮だけれど、個人的には全然違和感や抵抗はない。むしろ外伝映画だから柔軟にいろいろなスタイルで良いと思うし、一通りプロローグが描かれたあとにタイトルがどーんと出る流れなどは、SWの枠におさまらないイマドキの映画という感じで良かった。惑星のテロップも、数々のロケーションが次々に登場する中で混乱を招かないようにしていたし、テンポの良さにも一役買っていたと思う。EP7が「映画」であり本作は「SWユニバース作品」だと上で書いたけれど、EP7がメイン・エピソードとして従わなければならないルールがたくさんあったのに対し、本作は外伝で自由がきくので、そのあたりは一般的な「映画」に近いものがあったと思う。

 他作品から登場するのは六部作映画の人物ばかりではない。同じく外伝として展開しているアニメ・シリーズ『反乱者たち』のキャラクターたちも本作にこっそり登場している。『反乱者たち』は本作より4年前の時代で、反乱同盟軍が結成される前のまだばらばらだった反乱者たちが帝国相手に戦いを挑むストーリー。ディズニー移行前に展開されていたやはりアニメ・シリーズの『クローン・ウォーズ』の後日譚でもあり、さらに今では旧設定扱いされてしまった昔のスピンオフ作品からのネタの逆輸入、ラルフ・マクォーリーやジョー・ジョンストンのコンセプト・アートを再利用してその絵画のような雰囲気を随所に取り入れるなど、様々なSWユニバースを包括するスピンオフのショウケースと言えるシリーズだ。特に個人的にはマクォーリー画を意識した線や背景などが興味深く、また最近ではレジェンズ(旧設定の世界観)における超人気キャラ、スローン大提督などの逆輸入によって、膨大なユニバースの特におもしろいところをどんどん映像に取り込んでいく様子が楽しい。
 『ローグ・ワン』では、『反乱者たち』でおなじみの人物の名前が秘密基地のアナウンスで呼ばれていたり、マスコット的ドロイドのチョッパーが画面の端を横切ったり、主人公パーティが乗り込む宇宙船が基地の発着場や集結する艦隊の中に確認できる。時代設定は近いので、少しは『反乱者たち』のキャラクターが絡んだりしないだろうかと前から淡い希望を抱いては「まあ作品の趣が違うし無いだろうな」と思っていたので、まさかここまで登場させてくるとは思わなかった。とてもうれしい。スピンオフ群を包括する『反乱者たち』の要素が絡んでくることによって、いよいよ本作は映画世界とスピンオフ世界をも繋ぎ合わせ、ユニバースを統合してきている。
 
 ぼくは映画としてのSWももちろん好きだけれど、ここまでSWに熱中したのはやはり膨大な設定が世界観に奥行きをつくっているからだった。小説、コミック、ビデオ・ゲーム、アニメーションなどによって展開された拡張世界は、映画を補完するだけでなく、ぼく自身の創作意欲をもかき立てた。思えばぼくは自分の創作意欲が刺激した作品をとことん好きになってきたと思う。たくさんある、それでいてわりと穴のあったりする愛らしい設定の数々は、ぼくに創作の楽しさを教えてくれた。自分でSW世界の住人を創作するのも、あったかもしれない戦いを創作するのも好きだった。だから『ローグ・ワン』を観て、映画として、SWとしておもしろい以上に親近感も湧いた。自分が思い描いていたものが映画になった、というのはちょっとオーバーかもしれないけれど、本筋じゃない、ジェダイもヒーローも出て来ない知られざる物語を映像にすると、こんな感じになるのかと感慨深かった。やっぱりSWはぼくを刺激する。ぼくもなにかを描きたいと思わせてくれる。

 「映像の魔法」って言われて正直ぴんとこないことのほうが多かった。物心ついた頃から『トイ・ストーリー』や『ジュラシック・パーク』があった世代にとって、特撮や特殊効果は驚くべきもの、というよりは当たり前のように楽しめるものという感じが強いと思う。新しいプレイステーションが発売されるたびにグラフィックがリアルになったと騒がれるが、そういうのも別にそこまで感動はなかった。そりゃあ時代を経てどんどん綺麗になっていくのは当然だろうと、そんな可愛げのないことを思ったものだ。そう、ぼくにとってCGは魔法というより、年々綺麗になっていくもの、という感じだった。年々本物に近づいているものという感じ。むしろ進歩しないほうがおかしいという頭だから、全然感動がないわけだ。
 しかし、故人が動いて話すのを新作のスクリーンで観られるとなれば別である。死者を蘇らせるという、人類の禁忌が破られたところでようやくぼくは映像の魔法というものがなんなのか理解した。かつてピーター・カッシングはシャーロック・ホームズを演じた際に「生きて呼吸するホームズ」と評されたらしいが、本作のターキン総督はまさに生きて呼吸するピーター・カッシングだった。よく見ればその表情の動きはどこかアニメーション的で、リアルなゲームのキャラという感じは確かにする。けれど、カメラが引いて初めてターキンの全身が映ったとき、思わず涙が出た。ターキンが、カッシングがそこに立っている。その佇まいを見て、大好きなひとと再会できたかのように思えたのだ。
 このターキン総督を描くにあたって、EP4だけではサンプルが少なかったと思う。EP4には全身が映って歩いたりするシーンはないから、他の作品から動きや佇まいを研究する必要があるし(正確にはこのターキンは丸ごとフルCGではなく、ガイ・ヘンリーという『ハリー・ポッター』シリーズへの出演でも知られる俳優が演じており、顔にCGを重ねているらしい)、顔にしてもEP4以外の作品を参照する必要があったろうと思う。自分のイメージするターキンの顔とは若干違って見えたという意見が希にあるのは、おそらくそのせいだと思う。ハマー作品など(それこそホームズもあったかな?)たくさんの他作品から引用して構成したカッシングなので、EP4のターキンとは違って見えてもおかしくない(もちろん実際にどういうプロセスで作られたのかまだわからないけれど)。でも、キャラクターとしてのターキンよりも、俳優としてのカッシングを追求したのなら、やっぱりそれはすごいことなんじゃないかな。CGの俳優に演技をさせるっていうのは、当のジョージ・ルーカスが繰り返しやりたいと言っていたことだ。ほかでもないSWで映像の魔法を体験できたのはとてもうれしい。ようやく「光と魔法の工房」という意味がわかった。

 土壇場になってかなりの部分が撮り直されたという騒動があって、トラブルも多かったみたいだし、最終的に再編集で今の形になったとは言え、画の中のことについてはやはりギャレス・エドワーズのセンスがものを言っているのではないかなと思う。『GODZILLA ゴジラ』のときにすでにミリタリー描写へのこだわりようは伝わってきたから、今度もSWの世界で軍隊描写にマニアックさを出してくるだろうなと思っていたけれど、想像以上だったと思う。武器の持ち方構え方、ディティールなどもそういうのが好きなひとなんだろうなあと思えたし、その趣味がSW世界を描く上で思いの外親和性が高いのだ。それにミリタリー趣味以上に、SWへの愛が強い人なんだなということがとても伝わってくる。センスだとかよりも、愛が一番重要なのかもしれない。
 今作ではシリーズにおけるアイコニックな超兵器デス・スターがテーマなのだけれど、その存在は自然とぼくらの世界における核兵器と重なってくる。マッツ・ミケルセンの演じるゲイレン・アーソは惑星を丸ごと破壊できるデス・スターのレーザーを開発する科学者で、ロバート・オッペンハイマーを意識していると言われているし、劇中でデス・スターが出力を弱めたレーザーで地表を攻撃すると、まるで原爆のような爆風が上空高く昇っていく。EP4のオルデラーンの破壊は一瞬で済んだけれど、これは一瞬では終わらない。本作では惑星はひとつも破壊されないけれど、地表にある都市や地形がじわじわと破壊されていく様はとても生々しくて恐ろしいし、現実の兵器にも通じる。ギャレス・エドワーズは『GODZILLA ゴジラ』で描ききれなかった核兵器の恐ろしさをも、本作に盛り込んだのかもしれない。スカリフという、モルディブで撮影された美しい海と点在する砂浜が特徴的な惑星で、デス・スターの放ったレーザーが炸裂して海の上に眩い光のドームが浮かび上がるシーンが、どこかビキニ環礁での核実験を彷彿とさせるのは偶然ではないと思う。

 お気に入りのキャラクターはたくさんいる。ベン・メンデルソーン演じる悪役クレニック長官、ディエゴ・ルナ扮するキャシアン・アンドー、ドニー・イェンのチアルート・イムウェ。スカリフ専属のスカリフ・トルーパーも、新鮮だがストームトルーパーの一種だとわかるデザインで好き。過去作からの登場はターキンやヴェイダーはもちろんだが、ドクター・エヴァザンとポンダ・バーバの二人組みの登場もうれしかったし、レイア姫の船ブラッケードランナーの船長であるレイマス・アンティリーズの姿も見られて良かった。このあたりはオタクへのサービスという感じかな。改めてお気に入り度が上がったのは、やっぱりブラッケードランナーの反乱軍兵士たち。白くて大きなヘルメットに襟付きシャツと黒いベストという、EP4の冒頭でばったばったと倒されてしまう名もなきヒーローたちが、実はダース・ヴェイダーの行く手を阻むために、「希望」を紡いでいくためにあれだけ犠牲になっていたとは(「犠牲」もまた本作の重要なテーマだろう)。
 
 第一作、EP4『新たなる希望』をよりドラマチックに深みあるものに補完するだけでなく、SWユニバースとはなんなのか、外伝映画になにができるのかを見せつけてくれた作品になっていると思う。今後も広がり、また深まっていくSW世界の行方が楽しみになった。なによりぼくの創作意欲が燃えてきたのがとてもうれしい。
 本筋エピソードの公開と外伝の公開を交互にやっていくいうのは、もしかすると作品を作品で補強してシリーズを掘り下げるだけでなく、誰でも楽しめる作品と、ファン向けの作品という二本の道を用意することでみんなが楽しめるようにするってことでもあるのかもしれないなあ。

2016年12月17日

日記:12/06 - 16

2016/12/06 火

 犬のポコの誕生日で、今日で7歳となる。犬としてももう折り返しだし、生まれつき腰を悪くする運命にあるコーギーにおいては残されている時間はより少ないと言っていい。とは言えまったく老い衰えている様子はない。脳腫瘍疑惑騒動以降ぴんぴんしている。散歩のときもリードを引っ張る力は前より強い気がする。誕生日なので公園に連れて行ったが死ぬほど寒いので早めに切り上げた。気が狂うような寒さで、ぼくは身体の冷えのせいで憂鬱になった。ポコが道端におとしたうんちを拾うとき、若干ゆげが立っていてとても暖かそうだった。ふところに入れたくなるが思いとどまった。

2016/12/07 水

 寒い中ポコのお誕生日リクエーションに付き合ったせいで妻が風邪をひき、一緒に病院に行った。平日の午前中の病院、待合室は老婆でいっぱいだった。老婆がより上の老婆に席をゆずったり「家庭画報」を読み聞かせたりしていた。妻は発熱してもアプリゲームの「ポケモンGO」をやめない。メタモンって、あんな適当な落書きみたいな見た目だけど、とても洗練されている気がする。波打った輪郭にも無駄がないし、ただでたらめにスライミーなわけではなくちゃんとメタモンとしての形がある。本当になんにでも変身できそうな、柔軟かつニュートラルな形状で説得力すらある。子供の頃からデザインにおいては一番好きなポケモンだったと思う。
 死ぬほど待たされたがインフルエンザではないとわかった妻と食料を買って家に帰ったら昼過ぎで、ぼくも出かけるのをやめて寝ることにした。妻が熱を出しているのだから出かけない理由は十分にある。眠いのだから寝てもいい理由も十分にある。目が覚めたら夕方だった。

2016/12/08 木

 通信アプリの別々のチャット欄で片や歴史好きの友達が真珠湾真珠湾と連呼して、片や音楽好きの友達がジョン・レノンジョン・レノンと連呼していた。AMラジオとFMラジオみたいなふたりから別々の話題を振られ続けてどちらもどうでもよくなった。でも来年こそはハワイに行ってみたい。
 『七人の侍』や『荒野の七人』の遺伝子を受け継ぐ『マグニフィセント・セブン』の試写に行った。やはり西部劇はおもしろい。娯楽として完成されている。銃声が恐ろしくない。イ・ビョンホンってかっこいいんだなあ。もうちょっと英語のできる日本人俳優がいっぱいいれば、ハリウッド映画の東洋人枠を分けてもらえそうな気がするんだけれど。いや、でもあそこはイ・ビョンホンが良い。
 閉店ぎりぎりだったけれど、六本木のレゴストアに初めて行った。先週末から来年の新作セットが先行発売となっていて、SWのYウィング(もちろん『ローグ・ワン』枠)がとても良かったので購入。これで今年のレゴも最後だろう。レゴおさめである。Yウィングはこれまで何度も発売されているけれど、今作は近頃のSWレゴの例に漏れずディティールが細かく出来が良い。それだけなら琴線には触れないけれど、このセットにはミニフィグが5体もついているから魅力的だ。パイロット、名称不明のアストロメク・ドロイド(ドーム状の頭が透明なのでR3系かな。最近はこのあたりの設定もめちゃくちゃだけれど。いずれにせよモブのドロイドは好き。画面のずっと奥の方で黙々と作業しているようなキャラクター)、新キャラでモン・カラマリのラダス提督(サーモン色のモン・カルのイメージをぶっ壊すような、非常に不健康でキモい色をしているが気になるキャラ)、それから氷獣ワンパをずっと知的にしてウーキーっぽくしたような新キャラのモロフ。さらにストームトルーパーが一体ついているというサービスの良さ。見事に脇役(というかほとんどモブ)しか入ってないセット(Yウィングそのものが脇役戦闘機だしね)。こういう地味なグッズがSWの醍醐味だよ。
 Yウィングって、爆撃機なのにボマーじゃなくてスターファイターなんだよなあ。ちなみにこのセットのYウィングはギアをまわすと爆弾(円筒形でかなり露骨な形状)が腹の穴からぽとりぽとりと落っこちる仕掛けがついている(こういうおもちゃのギミックを、この仕掛けは自分で組み立てたんだ、と思えるところがレゴの良いところ)。それを見た妻がかなり不快感を示していたが、確かにきゅうに戦争っぽい。ギャレス・エドワーズのリアルな軍隊描写にこだわる思想がレゴにまで波及しているのだろうか。SWの魚雷とか爆弾って、なんだかよくわからない光る玉ってイメージがあったけれど。
 子供の頃買えなかった大きなセットを買うのはとても楽しくうれしのだけれど、所持パーツが増えるに従って作れるものの幅が広がりそうなところが、逆に説明書通りに組み立てるくらいのことしか思いつかなくなっている。それはそれでいいのだけれど、限られた少ない部品を工夫していろいろ作っていた頃のことが懐かしいな。それも親の知り合いの家から引き取ったお古のレゴだったから、ブロックの角が欠けたり丸くなってしまっていたり、色が焼けていたり、接合部分がすかすかだったりした。お城を作ろうと思ったらもうお城をひとつ作って終わる。宇宙船を作ろうと思ったら宇宙船を一隻作って終わる、そんなかつかつな感じ。でもそのときは、SNSに載せてさまになるような、お洒落でかっこいいやつを作るぞーというような変な構えはなく、思いつくままに部品を組んで想像を膨らませたものだ。一度作り上げて飽きたらまだ破壊する。この破壊がまた楽しい。ぼくが暴力的な少年にならなかったのはきっとレゴブロックが異様なカタルシスを与えてくれたからだろう。宇宙船が墜落してバラバラになり、城が崩落する。ビルディングは核攻撃を受けたかのように一瞬で霧散し、船は大破してカーペットの海に沈没した。レゴはビルド&スクラップの精神を早い段階で教えてくれた。この地上では何度でも、果てしなく破壊と創造が繰り返されていて、それをめちゃくちゃ小さくした縮図がぼくの手の中にあるような気がした。 
 今は、それなりの値段のするモデルを一度組み立てると、その完成した状態をその値段で買ったんだという意識が強くなってなかなか壊したり前から持っている部品とまぜる気になれない。子供の頃は平気で買ったばかりのモデルもすぐばらして所持パーツに加えてたんだけれど。しかし、それは多分子供の頃はそこまでまとまった大きなセットを買えなかったから、あくまでちまちまと部品を補充するために小さなセットを買ってもらっていたから、ていうところもあるのかもしれない。「この部品があれば、家にあるあれと組み合わせて、ああいうのが作れるなあ」みたいなこと考えてレゴを選んでたのかもしれない。それもまた大きなセットに手が届かない子供なりの工夫だったのだろう。『レゴ・ムービー』に出てきた融通の利かないこだわり親父(お仕事社長、ウィル・フェレル演)みたいにはなりたくないから、できれば説明書やシリーズの区切りなどを完全に無視する「雲の上の楽園」的精神を大切にしたいから、あまり深く考えたりこだわったりしないようにしよう。そもそも新しく迎えたモデルを組み立てた状態で飾っていったらスペースがなくなる。レゴの利点とは、何度でもバラバラにして組み直せるところだ。怖がらずにちょうどよさそうなものはバラしてほかのものと組み合わせて、少しずつ子供の頃の感覚を取り戻したい。
 レゴだけでなく、おもちゃって、部屋にちょっとだけあるのがいちばんかっこいいんだろうなあ。そういうの、憧れるけれど、オタクにはどうしたって難しいよね。とは言え、蒐集趣味とミニマルな生活ってのは本当に相性が悪いものなのだろうか。ミニマルな蒐集というのもあるだろうと思う。で、今からミニマルな蒐集にシフトしていくには、少しずつ物を捨てなければならなくなる。以前、ぼくはたくさんコレクションを手放した。捨てるのは嫌だから、趣味の合う人にあげたり。でも、最近また少しずつ当時ほどの量ではないにせよ、コレクションは増えてきている(少なくとも無闇やたらに集めるって感じではなくなったかな)。なんでもかんでも捨てるってのも妙なものだと思う。それを推奨する、いわゆる片付けのプロなんていう人たちは、どうも物質主義的な考えを見下してる印象があって、ぼくは抵抗を覚えちゃう。参考になるところは実践するけれどね。しばらく着てない服は捨てちゃっていいとかなんとか(服をコレクションしているひとからしたらまた釈然としないところもあるだろうな)。
 なんでもほどほどが良いよね。ミニマルはかっこいいかもしれないけれど、そこまで追求しようとは思わない。最小限を追求していったら最後にはなにもない部屋になっちゃうし、そもそもぼくの生きがいや職業そのものはミニマル思想においては削減の対象なんじゃないだろうか。生きて行く上で本来必要ないものが、ぼくに喜びを与えてくれる。まあ、ミニマリストもなにも洞窟で暮らせと言っているわけではないと思うけれど……。余分なものは減らせってことだよね。ほどほどなコレクションを維持したい。

2016/12/09 金

 ここのところせわしなさすぎてちっとも日記のメモができなかった。これを書いている現在はなんと20日である。いや大変な日々だった。というわけでこの9日の日になにしてたかなんてもはや覚えていない。試写に行って、前日買ったレゴを組み立てたくらいだろうか。12月に入ってからは毎日レゴSWアドベント・カレンダーを開けている。もっと前から毎年やっていればよかった。こんなに楽しいとは思わなかった。とは言えアドベント・カレンダーって別に曜日がついていたりする本物のカレンダーではない、ただ12月に入ってから24日分カウントダウンしていくだけのものなので、過去に発売されたものをいつの年に使ってもいいんだよね。

2016/12/10 土
 
 この日のことも書けるほど覚えていない。おそらく翌週前半までにやらなければならない仕事に取り組んでいたことだろう。金曜日に月曜日までの期限で依頼がくることもたまにあるのだ。そのかわり平日の好きな時間に寝られるけれどね。

2016/12/11 日

 同様に書くこと無し。作業して、サザエさんでも観ていただろう。

2016/12/12 月〜14 水

 かなりハードな日々だった。とてもまともに寝られなかったけれど、唯一の原動力は木曜の深夜に『ローグ・ワン』を観ること。それだけでなんとかがんばれた。来年はあまり真夜中まで仕事をしないでやっていきたい。夜中に送られてきたEメールにまず返事をしないようにしたい。。。正直言って命を削ってまで絵を描きたいとは思わないし、相手が昼もなく夜もなく働き通しなのは立派だけれど、それに合わせてぼくも生活するのはちょっときついものがある。来年はもう一人暮らしみたいな生活リズムをやめたい。
 なんにせよ徹夜明けでそのまま出かけてひとと話すと、ものすごくぼんやりしてしまって本当にいけない。こんなのは人間の生活じゃない。

2016/12/15 木

 『ローグ・ワン』公開は翌日なのだけれど、この日の深夜、日付が変わるときにはもう観られる。前に書いたように電車がなくても歩いて帰れるシアターで観た。非常に出来の悪いコスプレをしたひとが何人かいたが全然お祭りムードではなかったので、静かに観ることができた(映画館が手配したわけでもない、完全な有志なのに場所をとって撮影会を始めちゃう感じ、なんなんだろうね?)。妻いわく、ぼくは途中で何度も何度も身を乗り出して画面に見入っていたらしい。IMAXの大きなスクリーンだから、身を乗り出せばよりよく見えるかのような、景色でも見入るような感覚だった。いやあ良かった良かった。

2016/12/16 金
  
 明け方眠りについて、昼間までよく眠った。『ローグ・ワン』は本当に良かった。良かった良かったと友達と通信アプリでやり取りできてより楽しい。正式な公開日であるこの日は観に行かなかったけれど、ずっとローグ・ワンのことばかり考えていた。なによりも創作意欲が刺激されたのが良かった。創作がしたい。

2016年12月15日

「山と渓谷」2017年1月号



 「山と渓谷」2017年1月号にて、特集「山の新常識2017」の中で登山の安全対策についてのページでカットを複数担当しました。ぼく自身山登りはしませんが、その服装やギアには興味があります。バックパックなど。いろいろ描きたい装備、使いたい色でやらせていただきました。救助活動中のヘリコプターは長野県警仕様。

2016年12月14日

ディスクユニオンのフリーペーパー



 ディスクユニオンのメンバーズ限定フリーペーパー「いますぐ聴いてほしい2016年オールジャンル700」に、4月から毎月絵柄を担当している「集めたくなる栞」の出ている分がずらっと掲載されています。並べてみると綺麗ですね。この8枚に加え、残り4枚(今月分はもう出ているのであと3枚)が揃うとコンプリートです。
 毎月紹介していくべきだったのだけれど、載せそびれているのでまた今度まとめて紹介します。若干順番を忘れかけていたのでこのページ助かりました。
 「オールジャンル700」なので、それはもうたくさんのLP、CD、DVD等が紹介されています。見ているとだんだんCDとか、集めたくなるなあ。デジタル時代だからこそ、形のあるメディアの持つ魅力が際立つと思う。もちろんぼくは蒐集するものを限定したほうがよさそうだけれど。でも、欲しいものはやっぱり欲しい。それでいいと思う。 
 栞12枚のコレクションは、かさばらず場所も取らないからおすすめですよ。

2016年12月8日

日記:11/28 - 12/05

2016/11/28 月

 早朝の番組でデザインを担当したクリスマス・カードがお披露目される。テレビで自分の名前が読まれて音になるのにはまだ慣れないな。
 風邪はこの日がピークだった。幸いにも発熱まで行かなくてよかった。メディケイテッド・ドロップとポカリスエットだけで直した、というとなんだか根性馬鹿っぽいけれど。
 どうしようもなくだるいからかなり寝てしまった。取り掛かっている仕事についてはどれもラフ画を送ってオーケーが出ているので今週は清書版を描き上げるだけ。ところでイラストでも清書という言い方で合っているんだろうか。

2016/11/29 火

 風邪がだいぶマシになったので具合が悪そうな振る舞いで妻の気を引けなくなった。
 『ローグ・ワン』のチケットは木曜の正午から発売されるらしい。しかも最寄りの映画館で深夜にカウントダウン上映をするらしい。チケット争奪みたいなものが苦手なので競争を避けてフツーにのんびりと観たいとは思うものの、やはり気になるし「せっかくなら」という思いが湧いて来たりもする。「みんな」が「にぎやか」そうにしているのが見えてしまい胸をかき乱されるところは、SNSの苦手なところだ。ぼくもついていかなければ、なんてことをまだこの歳になっても思ってしまう。結局のところ自分抜きで人が集まって楽しんでいるということを知るのが嫌なのだ。
 とはいえ、イベントなんかに行ったって別にそこにオタク仲間がいるわけでもなし、基本ひとりで過ごすのだけれど。で、知っているひとと会うわけでもないのなら、自分自身の素直な部分に本当のところを問うと、やはりイベントは行かなくてもいいかなということになる。家で、今頃「みんな」は騒いでるんだろうなあとぼんやりと寂しい思いをするのか、現地に行って「みんな」が楽しんでいる中にいながらもなんとなく寂しい思いをするのか。どちらがいいだろうね。そうして、「みんな」ってなんなのだろう。わりと誰でもある経験だと思うんだけれど、友達がみんな持っているからと理由で玩具を買ってくれと親にせがんだ際に母から「みんなってだれとだれとだれよ!」と言われ、はて、だれとだれとだれなんだろう、と思うあの感じである。なんとなくの疎外感から来る「みんな」なのだ。ましてや今ではその「みんな」はとんでもなく不特定多数である。一体ぼくは誰達から疎外感を覚えているのだろう。楽しそうにやっているところに加わりたくて仕方がないのだ。けれど、実際にその場に行っても結局寂しさを感じてしまうことはわかってる。わかっているけれど、また楽しそうなのを羨ましがる。
 SNSで眺めている範囲がまるで全体のムーブメントであるように見えてしまうのも辛い。なぜだかそう見えてしまう。だから、SWが好きな人たちが盛り上がっているコミュニティの存在を知って、彼らがまるでファンの中心であるかのように感じて、まずい、あそこにいなきゃファンとしてダメでは?とか思っちゃう。あるいは、イラストレーターのひとが仲良くやっているコミュニティがあると知ると、やばい、あそこにいないってことはぼくイラストレーターじゃないんでは、とか思っちゃうわけ。馬鹿らしいことだというのは自分でもよくわかっている。ぼくはちゃんとSWのファンだし、イラストレーターである。文章だって書いている。創作もしている。ぼくは圧倒的に絶対的にぼくを構成しているのだけれど、人が集まっているのを見るとなにかが揺らぐ。ぼくが「個人性」を追求しすぎた結果、「集団」に対してコンプレックスがあるのか。そんなことで悩む暇があるなら自分の世界をもっと深めろと妻は言うし、このことを相談した友達はだいたいみんな呆れた感じで知らんわという具合だから、本当にはたから見たらくだらないことなんだろうなとは思う。こうなってくるとぼくも自分がなにに引っかかってるのかわからなくなる。単にSNSを使う上でよくある感覚なのだろうか。自分が通じてる分野において自分抜きでワイワイやっているひとたちへの嫉妬に尽きるのだろうか。
 他人のことはともかく、夜中の上映に行きたいか行きたくないか、で言えばやっぱりどこかに行きたいというのがある。というか、行かなかったらきっと行きゃよかったなあってなるよね。チケット購入、挑戦だけしてみよう。

2016/11/30 水

 試写で『ネオン・デーモン』を観る。『ドライブ』の監督作で注目されているらしい。真っ暗闇にネオン・カラーというコントラストが好きなひとなのかもしれない。ぼくはキャリー・マリガンもエル・ファニングもあまりタイプじゃないけれど、観終わったらなんとなくエル・ファニング好きのひとが、どこが好きなのかわかったような気がする。なんとなくだけれどね。でもまあ、オーロラ姫って感じではないと思う。

2016/12/01 木

 仕事の打ち合わせに行く前に大急ぎでシネコンのサイトからチケットを買った。普通に買えた。余裕であった。ぼく以外誰もいなかったらどうしよう。
 用事のあとで前から狙っていたモレスキンのバックパックと、来年用の手帳を買った。手帳はいろいろ見て行くうちにどれにしたらいいかわからなくなったので、今年使ってきたモレスキンのウィークリーに決めた。紙の質感やインクの乗り具合は全く気に入らないが、ドラえもんのデザインに負けた。いろいろな手帳を試したいとも思うが、スケジュール管理がメインなので、今使っているもので不便がなければとりあえず同じものでいいかと思った。バックパックとお揃いになるからいいだろう。アイデアや落書き用には、いろいろなノートを使ってみよう。なかなか使い切れずに、新品のノートばかり増えて行くが。
 またしても持ち前の要領の良さでもってウィークデーの後半に作業が詰まってきている。それでも、結婚式の準備でだいぶキャパシティは増えたように思う。ひとつひとつの出来や精度を落とさないようにしなくてはならない。

2016/12/02 金

 結婚式からあっという間に一ヶ月経った。あっという間に感じると同時に、もっと前のような気もしてくる。今月は異様に長く感じたりもした。寒いときは感覚も鈍くなるし時間もゆっくりのような気がする。まるで時計の針が凍りついてしまったように。ぼくの身体にとって冷えは脅威かもしれない。
 試写で観た映画は『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』。ジェイク・ギレンホール主演。西川美和監督作『永い言い訳』に共通する作品で良かった。
 観ている最中から、家族の死が恐ろしくなった。災厄や悲劇はいろいろあるが家族の死は遠くない将来確実に自分に訪れるものだ。ぼくが誰よりも先に逝っちゃわない限り、両親の死に立ち会うのは確実だし、年上の妻も先に発ってしまうことになるかも。恐ろしい。ぼくは残されることに耐えられるだろうか?そうしてそんな家族の誰よりもまず確実に先にいなくなってしまうのは犬だ。このあと10年以内、いや5年から7年くらいの間に彼は寿命を迎える。そんなに先のことではない。彼は来週には7歳になる。確実にその日は近づいている。「もしかしたら」「いつか」ではない。絶対にそのときが来るのだ。次なる大震災や世界大戦よりも先に、確かに間違いなく絶対やってくる。考えるだけでも寂しい。そんなことを考えながら犬の顔をみると、「まだここにいるんだが?」というような目をしている。周囲にも犬や猫を失ったひとが少なくない。みんなどうやって向き合うんだろうか?
 この恐怖と関係しているのか、未来のことを考えるとクラッとする。2020年なんていう西暦を聞くたびにおっかなくなる。その年までぼくは元気だろうか?どうしても今日と変わらず暮らしていると確信できようか。それでいながら、ぼくは将来の自分の仕事について想像を巡らせたりもする(そこに正確な時期や日付は絡んでこないが)。未来は怖くもあり待ち遠しくもある。

2016/12/03 土

 模様替えは本棚として使っている食器棚を分解して運んだが、男性ひとりではもとに戻せない重量だったので弟に来てもらって全て完了させた。これで万事オーケー。部屋もすっきりした。
 弟は大学生なのだけれど、先日ファッション・スナップを撮られるも、全身ユニクロだったのでブランド記入用紙にそう書くほかなかったという話をしてくれて可笑しかった。可笑しい話だと思って笑い流したが後から思えば、すごいと言って欲しかったんだろうか。言ってあげればよかったな。でもそれ以上に同じページに載る子たちが可哀想だなと思ってね。
 12月に入ってからはレゴ・ブロックのアドベントカレンダーを1日ひとマスずつ開けられるので楽しい。三日間SWのなにかしらを組み立てている。あと21日分もある。こんなことなら毎年買えばよかった。来年もやろう。以前は小さい細々としたものがいっぱい入っているだけだと思って興味をひかれなかったんだよなあ。このかわいらしさがわかるまで数年かかったんだ。

2016/12/04 日
 
 この土日は仕事し通しで、特に月曜までに 作るものもあったのでだいぶがんばった。
 描きすぎてちょっと手が痛くなったけれど、そこでふと思ったのは、今の筆圧のままで描き続けていいものだろうかということ。このままこの筆圧で描き続ければ年を取ったときにとんでもない目にあうのでは。できれば生涯現役で描いていきたいのだけれど。ジブリの監督などはほとんど手に力を込めないで描いていると聞く。せっかくなら一生にできるだけたくさん描きたいよね。でも、自然と筆圧かかっちゃうし、それくらい力を入れないと思うように描けないというのもある。それからぼくの場合はやけに肩に力が入っていけない。描きながらも悩んでしまうくらい。
 そういえば結婚式直前に骨格矯正に行って以来、もともとは式に向けて姿勢を良くするために通っていたので、ひと区切りつけてしまっている。夏から二週に一度行っていたが、これで丸1ヶ月行ってない。どうりで身体の調子が悪いと思った。はやく骨を動かしてもらわないといけない。「皆さん式が終わると来なくなるんですよ。。。」とお姉さんが寂しそうに言っていた。ぼくはそんな連中とは違います、ちゃんとこれからは月1ペースで来ますよ!!と言っちゃったものの、いつ行こうか特に思いつかない。

2016/12/05 月

 午前中でとりあえず送るものは送った。徹夜したときは時間の流れが早い。さっきまで早朝だったのが正午となり午後になっている。新しく移った部屋はテレビから遠いのでまたラジオを聴く習慣がつきはじめている。朝昼のラジオっていろいろな話をしているなあ。
 今日は結婚式のアフター・パーティでも弾き語りをしてもらったアニー・ザ・クラムジーも出るクリスマスライブがあるので夜までに少し休んでおかないと、と思ったものの犬の散歩をしたりなんとなくなにかを食べたり、思いついたものを紙に描いて仕事中のフラストレーションを解消しているうちに日も傾き始めてしまった。さらにアニーちゃんへの差し入れにカードを描こうと思って筆を取っていたらもう出かける時間だった。本当はもっと遅くてよかったんだけれど、仕事あがりの妻と早めに渋谷で待ち合わせる予定だった。ロフトでお雑煮用のお椀とニワトリ(酉)の張り子を買った。張り子は破魔矢を加えているアホヅラのやつと、首が赤べこ構造でゆらゆら揺れるアホヅラのやつでとても迷ったが後者は動きがかわいいものの、大きさと色がかわいくないので破魔矢のやつにした。矢をくわえて焦点の合わない目で宙を見つめている。今思ったけれど、これ12年に一度しか飾らないんだよね。
 アニーちゃんのライブはとても楽しかった。こういうのんびり観て聴いてられるのは良いなあ。クリスマス・アルバムは結婚式のときにプレゼントでもらったのでずっと聴いていてお気に入りだったけれど、ライブはより良い。アニーちゃんは、その名の通り堂々とした不器用さがかっこいい。ぼくもうまく描けないところはうまく描けないなりに堂々としよう。
 長谷川町蔵先生と山崎まどか先生にも会えた。まどか先生に、レナ・ダナムの『ありがちな女じゃない』にサインをお願いすればよかった。新しいバックパックに入っていたのに。せっかく会えたけれど、いよいよ眠気で頭がぼうっとしていたからお見苦しいところを見せてしまったかもしれない。ありがちな失敗。
 もちろん帰宅してすぐ寝た。アドベントカレンダーも開けずに。でも、あんなに素敵なクリスマス・ソングを聴いて、毎日アドベントカレンダーを開けられるって、良いクリスマスだなあ。