2017年2月28日

日記:2017/02/08 - 15

2017/02/08 水

 下手に忙しいなどと口走ると、そんなの忙しい内に入らないだとか、どんなに忙しくってもメールの返事くらい打てるだとか、忙しいなんて言うのは100年早いだとか、まあそんなことを言ってくる大人は多いのだけれど、忙しいもんは忙しいのだから仕方ない。忙しさや疲労に基準はない。ぼくが忙しいと感じていればそれはぼくにとって忙しいということなのである。あと、メールの返事くらい打てるというのに対して言わせてもらえれば、たとえメールを打つくらいの時間的余裕があったとしても、メール一通打つだけの心の余裕がない場合もある。電車に乗ったとき、トイレに入ったときに携帯電話からでも返事が打てるはずだ、と言うひともいるかもしれないが、ぼくはそんな、全ての時間なにかしてなくてはいけないと強迫されながら生きるのはご免である。というわけで今とても忙しい。

2017/02/09 木

 この日は昼と夕方に試写を観ることにした。前日の項で忙しい忙しい言ってるのだけれど、この日に観ておいたほうがスケジュール上都合がいいからである。『レゴバットマン ザ・ムービー』と『ムーンライト』の二本。昼間に前者、夕方から後者だった。極限までデフォルメされたレゴという様式は、実はモチーフのキャラクターについて説明や批評をするのにすごく効果的ということがわかっておもしろかった。『ムーンライト』はアカデミー賞でも『ラ・ラ・ランド』の対抗馬といわれているくらいの作品だけあって、とても味わい深い。簡単に触れるのがためらわれるのでまた別の機会で。
 二つの試写の間の空いた時間は、雪がぱらぱらと降る中ひとり秋葉原を散策した。久しぶりにひとりでやってきた。ひとりということは時間が許す限り好きにまわれて、存分に迷いながら買い物もできるわけ。中古で老オビ=ワン・ケノービの12インチ・フィギュアがあって、1800円だったし、最近はオビ=ワンに気持ちが寄っているので欲しかったのだけれど、結局やめてしまった。非常にみみっちい話なのだが、現金が少し足りなかった。こんなことでやたらとカードを使うのもよくないような気がした。きりがなくなってしまう。かわりに1000円以下で転がっていたカイロ・レンのお面(ボイスチェンジャー機能付き)を買った。最近になってようやくジェダイに惹かれ始めたものの、やっぱりカイロ・レンは放っておけないのである。
 映画を見終えて家に帰ってから、妻にこうこうこういうふうにひとりで迷っていたのだという話をしたら、あっさりと「それくらいカード切ればいいのに」と言われた。なあんだ。ぼくはちょっとした金額でうじうじ悩みすぎなのかもなあ。
 ところで外に出ているときに空いた時間をチェーンのカフェなんかで過ごせるようにとオートチャージ式のICカードを持たされているのだけれど、結局電子マネーが使えるカフェを探して歩き回っているうちに時間が潰れてしまう。この日もそうだった。以前パスモやスイカが使える店舗に入ったことがあったとしても、どの店舗もそうというわけではないので、お店に入る前にiPhoneでわざわざ目の前に構えているお店でICカードを使えるのかどうかをネット検索して調べるようにしている。そうじゃないと怖くて入れない。そして、だいたいそんなことは検索したところで載ってない。ぼくも一応なんとか考えることはできるので、駅前の店舗であれば交通系ICカードが使えるのではないか、前に使えたお店も確か駅のそばだったはずだ、と思い至って意を決して駅前のスターバックスに入るのだけれど、結局そこも使えなくて、うちでは使えません、と優しく言われたにも関わらずひどくショックを受けて落ち込んでしまう。ショックくらいならいいが、ぼくはたまにそれをものすごく拒絶されたように感じてしまってパニックになりかけてしまうことがある。
 スターバックスは好きで、俗に言われているような注文システムの難しさなんでちっとも感じたことはないのだけれど、電子マネーが使えるかどうかを心配すると、どこのコーヒー店だろうと、とっても敷居が高いものに思えてくる。コーヒー店どころではない、お金には変わりないものの、使えるかどうかわからないものを頼りに街を行くのは、とても途方に暮れる感じがする。

2017/02/10 金

 妻もああ言ってくれたので、用事のあとで昨日の秋葉原のお店に行ってみた。オビ=ワン・ケノービに夢中になったのは、多分オビ=ワンとレイの共通点をたくさん見出してその関係性を考えているうちに、オビ=ワンがシリーズの中心人物としての側面のあるということに気づいてからだと思う。いろいろと考えているうちにこの人物の魅力がわかってきた。今まで被り物をしたキャラクターにしか興味がなく、生身の人間キャラは主人公含め基本的に造形がつまらないものと決めつけていたのだが、年を取って初めてわかる魅力が出て来たりして、本当に飽きの来ない作品だなあ。
 ところがである。たった1日で老ケノービの90年代ハズブロ製12インチは姿を消していた。どこを探しても無い。ああなんということだ。昨日買えばよかったのだ。やはり見つけたときに買わないとだめなんだなあ。これでは気がすまないので、同じシリーズのボバ・フェットと、『ファントム・メナス』のときのクワイ=ガン・ジン仕様のライトセイバーを買った。
 こういうふうに買い物するのは楽しいけれど、なんの意味もない玩具を買い続けることに疑問を抱いている自分が背後にいたりもする。中古で、大した額にはなっていないのだけれど、それでも自分はこんなことをいつまで続けるんだろうとも思うのである。もちろん楽しい。ストレスも和らぐ。ただ、ぼくの中にある大人になりかかったもの、死に向かい始めている心、あるいはこんなことではだめだ、もっと高みへ行こうという気持ちが、冷めた視線を投げかけてくるのである。知識や客観性が素直さを殺し始めているのか。玩具を欲しがり続けるのと同じ貪欲さが、現状に甘んじてはいけないと警告してきているのか。なにを大切にすればいいのかわからなくなっている。自分がなにを大事にしたいのかがよくわからなくなっている。絵を描くこと、文章を書くこと、好きな映画やキャラクターを愛すること、品物を、造形を、形のあるものに愛着を持つこと。たぶんどれもぼくには重要なのだけれど、時折そのバランスが崩れてしまいそうで怖いのだ。自分で表現することができずに、買い物だけでしか愛情表現ができなくなるのではないか。物に依存しすぎているのではないかと。
 部屋にある物から圧迫感を覚えることは今もある。しかし、集めて来たものを、ほんの少し部屋を広く感じようとするために衝動的に手放す、なんていうことは、もうしないと思うし、したくもない。それはやっぱり、自分のいろいろなものを否定してしまうような気がする。ミニマリストには憧れる。彼らの生活はいかにすっきりしているだろうか。部屋は汎用的で均整が取れていて、無駄がない中にほんの少しの遊び心を残して趣味の良さを表現する。なんていう、それっぽいインテリアの本に載っているそれっぽい部屋の写真を思い浮かべる。でもさ、ぼくってそんながらんとした部屋に果たして住みたいだろうか?本当は本や品物で溢れかえった小さな図書室、私設博物館のような部屋で過ごしたいのでは?そこに集められているコレクションは、ぼくの気持ちを圧迫するものではなく、ぼくの知識や価値観の記録や記念と言えるんじゃないか。頭の中におさまりきらない、溢れんばかりのイメージや想いを、目に見えて手で触れられる形のあるものに託したからこそのコレクションなんじゃないか。なにより、ぼく自身も本来人間が生きていく上でそこまで重要じゃないものを作って暮らしているじゃないか。ぼくの仕事は装飾的だし、ぼくの作ったものもまた誰かのコレクションになり得る。そんなぼくが、ひとつひとつの物に価値を見出せないでどうする。一気に袋に詰めて捨てれば、そりゃあそのときはすっきりするだろうよ。でもね、あとできっと虚しい気持ちになるんじゃないかな。やっぱり、その必要がない限り、むやみに大事にしてたものを手放すべきではないんだな。持っていられる限り、物は持っていていいし、欲しいと思ったものは、素直に買ってもいいんだよ。忘れてはならないのは、このやや供給過多の世の中で、本当に自分が欲しいものを見極めることかもしれない。
 ボバ・フェットはこの時期のフィギュアにしてはわりとよく出来ているし、少し粗く見えるところは、レトロ・トイの魅力として見ることもできる。そしてクワイ=ガンのライトセイバー!緑色が綺麗で、サウンドや光も楽しい。持ってるだけでSWという感じがする。赤いライトセイバーよりも。そうそう、どうしてぼくが急に王道的なジェダイの騎士に意識が向き始めたか。それはまた改めて書くことにしよう。

2017/02/11 土

 土曜日でもしっかり朝起きられた。このところ熱心なのは部屋の整理で、前日に物を買う自分を肯定しはしたが、部屋がごちゃごちゃ散らかるのはよくないので、なにをしまい、なにを飾るか、そのバランスを見極めたり、本棚の中を調整しているのだけれど、これはわりと楽しい。特に本棚の整理は、これだと思う形が見え始めるととても気持ちが良い。

2017/02/12 日

 月曜までと言われている仕事を昼間に仕上げたので、わりとのんびり過ごした。日曜はなにもせずに完全に休むぞと新年から意気込んでいたのだが、どうも世の中の方がそれを許してくれないというか、逆に金曜までに全て済ませなければならない、というほうが自分を圧迫することがわかり、結局そのあたり適当になってしまった。ぼくは自分で設定したルールに縛られて思い悩んでしまうタイプなのだけれど、まずはそれをどうにかしたい。いろいろな意味でぼくは時間を好きに使える環境下にあるのだから、自由にやればいいんだよね。もちろん、ある程度決めることでメリハリはつくんだろうけれど。乗れないときは本当に乗れないし、やれそうなときはやれるもので。とりあえず締め切りさえ守っていれば大丈夫だろう多分。

2017/02/13 月

 特に書けることはなし。ひたすら描いている。今週はなかなか大変そうだ。

2017/02/14 火

 妻から『スター・ウォーズ』のチョコレートをもらう。棒にカイロ・レンやR2-D2、BB-8の形のチョコレートがついている。お腹も減っていたのでぺろっと三本ともたいらげたら、妻が驚き、一本くらい食べたかったと言った。

2017/02/15 水

 思ったのだが、これ毎日メモしておく必要ある?ないよね。また自分で作ったルールに縛られていたわけだ。一年365日分記録をつけてみよう、とは思ったが、なんにもない日はなんにもないし、事細かに書いていく気力もこう忙しいとねえ。その日の寝る前に書ければいいのだけれど、なかなかその習慣もつかないし、この形式の利点が損なわれる。
 というようなその日の出来事となんの関係もないメモばかり増えている気がする。
 

営業報告


 「SPUR」4月号ではジャン=マルク・ヴァレ監督、ジェイク・ギレンホール主演『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』を紹介しています。西川美和監督作『永い言い訳』とあわせて観たくなる、妻の突然の事故死をきっかけに人生を見直す男の物語です。公開中。


 山内マリコさんの新刊「皿洗いするの、どっち? 目指せ、家庭内男女平等」(マガジンハウス)にて装画と挿絵を描いております。
「anan」で連載されている同棲・結婚生活エッセイをまとめた単行本となります。発売中です。
 https://www.amazon.co.jp/dp/483872909X
 

  こちらは3月2日発売の「今すぐ! 集中力をつくる技術――いつでもサクッと成果が出る50の行動」(祥伝社)という本。表紙に一点カットのみとなります。中の挿絵は違う方です。

2017年2月15日

日記:2017/02/01 - 07

2017/02/01 水

 前日の緊張がまだ続いているかのようで1日中落ち着かなかった。未だティム・バートン監督を目の前にしたという事実に実感がなく、短い時間だったがなにか失礼があったのではないかと急に思えてきて不安に襲われる。何度も何度も自分が質問をしたときのことを思い出して、自分がどんなふうにしゃべり、どんなふうにどぎまぎしたかを頭の中で再現して反芻しては、ああ、やっぱりよくなかったのではと、恥ずかしさとも情けなさともつかない、なんとも言えない気分になるのであった。
 それと、やはり会場で怒鳴り声を上げていたテレビ・マンがおっかなく、別にぼく自身はなにもされちゃいないのだが、なにかいけないものを見聞きしてしまった気がし、とにかく随分と自分が傷ついていたことがわかった。

2017/02/02 木

 スーパーでスターバックスのコーヒー豆を買えたので、久しぶりに朝コーヒーを淹れた。思えばスターバックスでは大抵お菓子のような限定ものか、お気に入りのホワイトモカばかり頼んでいて、普通のコーヒーを飲むことはないので、そこまで味はわからず、言われなければわからん。
 ようやく緊張が解け始め、かわりに「うわー、とうとう本物のティム・バートンを見ちゃったなあ」とじわじわ感動がやってきた。ぼくのこの時間差でやってくるリアクションはなんなのだろう。

2017/02/03 金

 特に節分らしいこともせず。あの太くて具のたくさん入った海苔巻きあまり好きじゃないしね。それにあれが節分の食べ物だっていう感覚まだ馴染まないな。やっぱり豆まきでしょう。それもしなかったが。
 試写を一本観た。ダウン症の少年がディズニー映画のセリフを通じて言葉を取り戻し、周囲とコミュニケーションを取って成長するドキュメンタリー。非常に良かった。ぼくと同い年ってところも来るものがある。

2017/02/04 土

 だいぶ日が経ってから書いているのでなにがあったか思い出せない。土曜日だった。このあたりからようやく午前中に起きられるようになった気がする。少し前にあった緊張のおかげか、何日か続けて日中に用事があったからか。最初に目が覚めたあたりですぐカーテンを開けると、新しい日差しが入ってきてどこか覚醒した気分になる。そうそう、この前の日寝るのが早かったんだよね。22時くらい。そしたらこの日は6時に目が覚めた。

2017/02/05 日

 寝るのが遅くても早めに目が覚めるようになった。これはいいのかよくないのか。専門学校に入りたての頃、課題をたくさん出すことで有名らしい古株の講師が「睡眠時間はたとえ2時間でも1時間でも、それが慣れればそれで平気になるから大丈夫」などというとんでもない持論を展開して、睡眠時間を削ってまで仕事をするべきだという世の中に蔓延するどうしようもない思想を、早くも若者たちに植え付けようとしていたのを思い出す。教えるべきはそういうことではなく、いかに睡眠時間が大切か、それをできるだけ多く確保するにはどういう風に作業をしていったらいいかというようなことだろうに。自分が経験した辛いことを後続のひとたちにもそのまま同じように経験させようとする必要なんかないのに。あいつ、まだ教えてるのかな。いや、そんなことはどうでもいい。その、睡眠時間が短いことに慣れてしまう、というのはわりと危険なことに思えてくるので、そうならないようにしたいところだ。とは言え、やはり決まった時間帯に目が覚める日が続くと、どこか身体の調子も良いような気がする。あとは寝る時間をできるだけ早く、毎日同じくらいにしていくことだなあ。
 ああいう、睡眠を軽んじる大人がひとりでも減りますように。

2017/02/06 月

 妻の誕生日である。何日か前に郵便局限定のドラえもん食器を誕生日に買っていいかと言うので、承諾して、それで一応誕生日プレゼントは済んでしまい、妻も別にこれ以上ケーキやなんやは面倒だろうから要らないと言って、出勤していってしまった。しかしさすがになにもしないわけにもいかないよなあ。どうしようかなあと思いながら、ぼくも打ち合わせのため都心に出て行った。
 帰りにケーキやちょっとしたお菓子を買って行って、帰ってから多少なにか飾りでも作ろうか、と考えていたら、妻から体調が悪いから早退するというメッセージが。ああ、前にもこういうことがあった気がする。あれは確か、そう、同棲を始めた年のクリスマスだった。妻が仕事から帰ってくるまでにチキンを用意して飾り付けをして、くたびれて帰ってきたところを出迎えようと、きゅうに張り切って準備をしていたら、突然昼間に帰ってきたのだ。そのときは帰ってくるなりすぐ布団に入って寝てしまったから、その間に大急ぎでいろいろやったのだが、まあ、帰宅したら部屋が暗くて……みたいなサプライズはできなかったよね。どうもぼくが張り切ってそういうことを計画すると彼女は早退してくるようになっているらしい。案の定この日もケーキやお菓子を選んでぐずぐずやっている間に妻のほうが先に帰宅してしまった。
 ケーキを抱えて帰ってくると、妻はやはり寝ていた。寝床から玄関や台所まわりが見えるようになっているので、ぼくが帰るとふと目を開けた妻が当然ケーキの箱を見ることになった。でも無反応。彼女はどうも寝ている間に突然目を開けて、一瞬目覚めたかのようになるもまた目を閉じて眠る、ということをよくする。目が開いても頭が起きていないのだろうけれど(眠る時に目が閉じ切らず、薄く白目が覗いてしまう体質と関係あるのだろうか)、そのときもそんな感じ。しめた、これは気づいていないかもしれないぞ。ケーキを冷蔵庫に詰めて(こんなの開けたら一発でバレる)、さあ、飾り付けや手紙でも書くのかと思いきや、ぼくもくたびれたので買ってきたパンを食べてだらだら過ごした。
 起きてきた妻が、不思議そうにして、「もしかしてケーキ買ってこなかった?」と聞くので、「いや?だって要らないと言っていたじゃん」とわざとできるだけ素っ気なく答えると、「なんか大きな袋を持ってるのを見た気がしたんだけどなあ」とどうやら寝ぼけ眼で見たものをなんとなく覚えていたらしいので、「買ってきてないよ。夢でも見ていたんじゃ?」と冷たく言ったら、「そうか」ととても寂しそうな顔をする。要らないと言っていたくせに。これでぼくが本当に買ってきてなかったら、どうせ気が利かないやつだと思われるのだろうなあ。でも、気は利くのである。買ってきてあるのだから。
「冷蔵庫を見てみな!」
 ぼくはあまりずっと隠しておくことができないたちなので、言った。妻は顔を輝かせて黒いモノリスのような冷蔵庫を開けて中を覗き、おほうむふふと笑うのだった。

2017/02/07 火

 この日も早起きできたのでふたりでランチを食べに行くことにした。最初は朝食を外で食べようと話していたのだが、話しているうちに昼間になった。途中で古本を漁った。すると、なんと『スター・ウォーズ』第1作の小説版、それも日本公開年の1978年、昭和53年初版の角川文庫版が出てきた。カバーは一作目のポスター、タイトルはまだシリーズ化する前なのでただの「スター・ウォーズ」(ただし、「ルーク・スカイウォーカーの冒険より」という記述がある)、カバーの袖にはスチール写真によるキャラクター紹介、そしてページ内にはモノクロの劇中写真が挿絵として入っている豪華さ。こんな文庫が当時は380円だったとはなあ。
 著者はジョージ・ルーカスとあるが、これはぼくの記憶と通説が正しければ、アラン・ディーン・フォスターというSF作家がゴーストで書いていたはず。フォスターはシリーズ初のスピンオフ小説である「侵略の惑星」の著者で、EP7『フォースの覚醒』のノベライズも彼が書いていた。
 第一作目のノベライズというだけあって、後年のノベライズやスピンオフ小説のように固有名詞がばんばん飛び交うということはなく、初めて銀河世界に触れる観客・読者を前提にしているので言葉や説明が丁寧である。なにより印象的なのは、「ストームトルーパー」や「サンドクローラー」というような用語をカタカナに変換するだけでなく、それぞれ「機動歩兵」「砂上車」というように日本語にあてて訳しているところ。これだけで今読むととても丁寧に思える。機動歩兵の装甲兜。巡航宇宙艦。このほうがどこか古めかしさがあってSWっぽいくらいだ。もちろんなんでもかんでも漢字をあてられているわけではないけれど、ところどころこういう言葉があるのを見ると、とても新鮮。
 物語上も、一作目の当初の世界観、シリーズ化される前でまだ広さや奥行きが描かれず、それゆえに想像力をかき立てられる、ある意味無垢な雰囲気があって楽しい。初めてこの世界に触れたひとの気持ちを追体験できるようだ。まだこの時点では帝国とそれに抵抗する共和主義者の戦争、くらいの世界観でしかないのだ。映画版のEP4そのものにおいてよりも、「共和国」の存在に焦点が当てられていたり、早くも「シスの暗黒卿」や「スカヴェンジャー(掃除屋)」といった言葉が出てくるあたり、一番最初のこの物語に、後のシリーズに登場する要素がたくさん詰まっているかのようだ。一作目にしてシリーズを包括しているとすら言える。そうして、よく知っている物語のはずなのに、細部が少しずつ違うこの小説を読むことで、ちょっと違うSWが見えてくるようで楽しい。お馴染みの映画とどこが異なるか、わずかな設定や用語、訳の違いなどメモにまとめたい。

2017年2月12日

映画『ナイスガイズ!』PRイラスト

ラッセル・クロウ&ライアン・ゴズリング主演、シェーン・ブラック監督作『ナイスガイズ!』に応援イラストを寄せています。
https://twitter.com/niceguys_movie/status/829265379100864514

ネオン、アメ車、ポルノに彩られた70年代を舞台に、いまひとつ冴えない探偵コンビが陰謀に巻き込まれるドタバタバディものです。
2月18日土曜日公開。
公式サイト

asta 2017年3月号


 ポプラ社「asta」最新号では山内マリコさんの「あのこは貴族」(集英社)を紹介しています。ローカル少女の物語を書かれてきた山内さんの新作は、東京出身女子が主人公。帝都の上流階級に属し何不自由なく生きてきた彼女が出会ったのは、地方生まれの「都会の女」だった……。東京が地元ってどういうことなのか、都会と地方の境界が曖昧になり、その本質が姿を現します。普段疑問に思ってもなかなか言語化できずもやもやすることに、明快な言葉で答えをくれるのが山内作品の魅力のひとつ。装丁の影響でソフィア・コッポラのあの映画が観たくなる……。

2017年2月5日

「通訳者・翻訳者になる本 2018」表紙イラスト


 ここのところ、映画の来日記者会見に行くことが多いですが、そういう場に欠かせないのが通訳のひと。日本人記者の日本語の質問を即座に英語に変えてゲストの耳に届けるすごいひとたちですが、そんな通訳者や翻訳者を目指す人のための本、その名も「通訳者・翻訳者になる本 2018」(イカロス出版)の表紙イラストを担当しています。「2018」ということで一年間通して書店に置かれる本なので、機会があったらご覧ください。
 洋画を観て、翻訳本を読むぼくにとって、トランスレーターの業界に少しでも貢献できるのは光栄なことです。

日記:2017/01/23 - 31

2017/01/23 月

 『ブレード・ランナー』の続編監督の最新作『メッセージ』の試写。おせんべいみたいなシルエットの宇宙船が世界各地に出現して地道に外宇宙の言語を翻訳する物語。とても良かったので原作の短編小説が読みたい。普段『スター・ウォーズ』ばかり吸って生きているぼく、SFというジャンルは本当にいろいろな形が、ほぼ無限の可能性があるんだなあと思い知った。

2017/01/24 火

 日付の上ではクリスマス・イブから一ヶ月しか経ってないのだが、年をまたいでいるせいか遠い昔に感じる。というか、一月がとても長く感じる。ようやく下旬に差し掛かったか。
 もっと文章や創作力を磨きたいということで連日小説っぽいものを書き散らしている。どうも肩に力が入ってしまい、少しは創作をブログやサイトに載せたいのでそれ前提で書こうとすると全くうまくいかない。絵と同じでたくさん落書きをしなきゃだめだよなと思いつく。思えば中学高校の頃は絵の落書きと同様に文章の落書きもしてたよなと。書けた先から当時よくインスタント・メッセンジャーでやり取りをしていた小説家志望の友達に見せたりしてたのだけれど、ああいう、書いた先から見せられる相手がいるっていうのはかなり良い環境だったんだなあ。ふたりともいきなり長編を書き始めようとするので、お互いに長編(になる予定のもの)の冒頭部分ばかり送り合っていた。だから互いの受信フォルダには「プロローグ」とか「第一章」と名付けられたテキスト・ファイルばかり山ほど溜まっていただろうと思う。
 この日記も文章を書く習慣を失わないためにやっているのだけれど、なんでもない話をどんどん書いて練習したい。
 ところで新年に設定した理想の生活、「深夜まで起きない」は全然実現できない。こんなこったろうと思ったよ。いいのいいの、抱負や目標じゃなくて、理想だもん。まあ、だからこそ実現できないのだろうけれど。

2017/01/25 水

 特筆することなし。犬の顔がまた歪んでるように見える。今度は前とは反対側が麻痺しているのかもしれず、耳に力が入っておらず、まぶたの反応がにぶい。だからってまた同じ検査はできないし、たぶんする必要もないだろう。
 
2017/01/26 木

 ツイッターのトレンドの内容など覗くべきじゃなかったんだ。読みたくもない見知らぬ大勢の便所の落書きみたいなものを読んでいる場合じゃないんだ。まったく、本来自分とは絶対に仲良くならなそうなひとの書いたもの読むなんて、この世で最も不毛なことじゃないか。道徳や倫理より株価を大事にするひととか、病的な韓国アレルギーを発症して自家中毒に陥ってひたすら憎悪を増幅しているひととか(前者のほうがマシ)。インターネットは大好きなのだけれど、こういうところには気が滅入る。まあ、車を運転していて事故に遭うようなものだ。

2017/01/27 金
 
 『ラ・ラ・ランド』の記者会見だったので、見聞きしたものをイラスト・レポートにまとめていたが、ライアン・ゴズリングの表情は難しい。まゆげの雰囲気を描くのに何時間もかかって夜中の更新となった。でも、悩みながら時間をかけただけあって、顔の特徴をとらえられている、まゆげが特にいいというようなお褒めの言葉をもらった。伝わってよかった。
 
2017/01/28 土

 犬の体力が有り余っているらしいので、電車でふた駅くらいにある大きい公園に出かける。しかし犬を疲れさせるつもりが帰りにはぼくがへとへとになっていた。
 公園のそばには大きな団地群があったが、八百屋や雑貨店、保育園も揃っているところだった。昔の団地はこれ以上になんでも揃う環境で、完結したところだったと聞いたことがあるけれど、こういうことか。こりゃ外に出る必要がなさそうだ。ぼくの好みではないが。
 そういえばうちのばあばも団地っぽいところに住んでたことがあったな。例の金属の扉はばあばの家って感じ。

2017/01/29 日

 なにがあったか全然覚えてない。サザエさんの内容も覚えてない。

2017/01/30 月

 重要なイベントが翌日に控えていて神経がまいっていた。お腹が痛い。どうしよう。

2017/01/31 火

 『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』のティム・バートン監督来日記者会見だった日。この日に備えて原作も読んでいた(まだ上巻の途中だけれど)。
 子供の頃からの憧れの人物を直に見られたのはうれしかったけれど、この日の会場はずいぶんぴりぴりとしていた。不機嫌なおじさんたちがわざと聞こえるように不平不満を漏らしているかと思ったら怒鳴り声まで上げているおじさんもいた。どうやらテレビ等の映像を撮影するひとたちらしいのだが、撮影は陣取る場所が重要なので、そのことでもめているようだ。主催側の段取りが悪いだの、列に並ばせている意味がないだの、待ち時間が長いだの、席数が足りないだろ馬鹿野郎だのという言葉が、質問内容をまとめているぼくの頭上を飛び越えていく。この時点で緊張と不安でいっぱいだったのでもはやぼくは泣きそうである。どうしてこうも柄が悪いのか。態度が大きいのか。自分たちが撮ってテレビで流さなくてはこういった会見も意味がないと言わんばかりである。バートン監督が来てるんだぜ?頼むからやめてくれよ。
 こんなに緊張したのは去年の結婚式以来だった。もう、本当にあがり症が改善されなくて困る。自分が指されるまでの時間ずっと張り詰めているので、ほかの質問に対するコメントを聞き取るのも難しいくらい。そうして自分の番が来ると、今度は自分がなにをしゃべっているのかだんだんわからなくなってしまう始末。だいたい途中で言うべきことを最初に言ってしまうなど、話す順番が狂ったりして大変いびつな質問になった。よく考えればぼくの日本語は通訳のひとによって翻訳されるので、どれだけつっかえつっかえ、下手くそに話しても監督自身にはそこは伝わらないんだよな。そこまで焦らなくてもよかったのだが、そんなことを考える余裕もなかったってこと、ぼくを知っているひとならわかるよね?「ティム・バートンに向かって質問している」という状況にパンクしちゃってたんだから。
 でもちゃんと丁寧に話してくれてよかったなあ。恐らくは他の個別インタビューで何度も繰り返してきた同じコメントなのだろうけれど、ぼくの質問に答えてくれたことには変わりない。なによりティム・バートンという存在が、ぼくの中でちゃんと生きて実体を持つ人間になったことが大きい。映画のオープニングで流れるテロップの名前や、一生接することのない神様のような存在ではなく、ちゃんとそこにいる人間になったと思う。
 生きていれば、またどこかで同じような機会、あるいはたくさんいる記者のひとりではなく1対1で対面する機会が、あるかもしれない。思い上がっている?でもそう思いながら生きていったほうが楽しいよ。

2017年2月1日

『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』ティム・バートン監督来日会見


 ひとと違う、ひとよりも少し弱い、そういう立場のキャラクターたちにスポットをあてて、誰でも受け入れる懐の深さを見せてくれるのがバートン監督作品。『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』の物語はまさにそこに通じるし、子供が題材になった古いトリック写真から着想を得たという世界観そのものも、監督の世界観にぴったりで、相性が抜群だからこそ魔法のような映画が出来上がったと思う。
 原作には実在する古い写真が挿絵のように載っていて、著者ランサム・リグスがいかに写真から想像を膨らませてキャラクターをつくったかが伺えて、映画のキャラクターもその雰囲気をよく再現している。監督によれば、写真という静止画が持つ独特の雰囲気を映像の中で再現するのは簡単なことではなかったそう。それでも、原作者の協力もあって映像による映像なりのアプローチが実現できたそう。映画で大きく変更が加えられたところは多い。たとえば、いちばんはやはりヒロインの設定。映画ではエイサ・バターフィールドが宙に浮くエラ・パーネルをロープでおさえている絶妙なバランスのヴィジュアル(この構図はバートンの絵本『オイスター・ボーイの憂鬱な死』にある「いかりの赤ん坊」の挿絵に似ている。海底に沈んだいかりの赤ちゃんから鎖のへその緒が伸びていて、先に繋がっている母親がぷかぷか上に浮いている絵)が印象的だけれど、原作のヒロインは宙に浮かぶ女の子ではなく、手から火が出る女の子。そう、映画ではローレン・マクロスティが演じている発火少女と立ち位置が入れ替わっているのだ。前述したような女の子が宙に浮かんでいる絵のほうが、詩的なヴィジュアルをつくれると監督は思ったのだそう。その工夫は成功していると思う。あの図はすごく良いし、あれだけで物語の「奇妙さ」がよく伝わってくる。
 座っていて膝が震えるほど緊張した。ほんの4メートルにも満たない距離に彼が座っているから。虫が一度足を踏み入れたら出てこれなさそうな、鳥の巣のような、ゴッホの描く雲みたいな髪の毛の一本一本が見えるようだ。しゃべるたびに落ち着かなげに動き続ける手と、靴とズボンの裾の間に見える白と黒の縞模様。信じられない。目の前にこのひとが座っている。緊張のあまり質問は大変おぼつかなくて、途中で自分でもなにを言っているかわからなくなってしまうほどだったけれど、彼はちゃんとぼくの方を見てくれた。たぶんね。
「奇妙なことは良いことだ」
ほかにも聞きたいことはウーギー・ブギーの袋の蛆虫の数くらいあったけれど、彼の口からこの言葉を聞けただけで十分。それもぼくからの質問によって!もっとうまく言葉を組み立てて、綺麗に質問をすることができたら、すらすらと話すことができたら、ってすごく思い悩みながら家に帰ったけれど、ぼくはまずそんな自分を肯定することから始めたほうがいいのかもしれない。またこういう機会があったら、伝えたいことを伝えられるように。
 『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』は2月3日金曜日より公開。SPUR最新号ではイラストレビューも描いています。