2017年3月23日

営業報告


 「SPUR」5月号ではロジャー・ロス・ウィリアムズ監督作『ぼくと魔法の言葉たち』を紹介させていただきました。自閉症により2歳で言葉を失った少年が、大好きなディズニー映画の台詞を通じて再び他者とコミュニケーションを取れるようになったという奇跡を追ったドキュメンタリー作品。
 彼、オーウェン・サスカインドがぼくと同い年であり、ぼくらの幼少時代はちょうどディズニー・ネオ・ルネサンス最盛期だったというところが今回のポイント。ぼく自身のノスタルジーやオーウェンを支えた魅力的なディズニー・キャラクターもまじえて思ったところをまとめています。

 連載での紹介のほかにも、公式広報に応援イラストも描かせていただきました。
 https://twitter.com/bokutomahou/status/844355143692943360

 4月8日公開。ディズニー・ファンはもちろんのこと、ネオ・ルネサンス世代のひとはぜひ。

2017年3月21日

フィン


 初めて主人公になったストームトルーパー、フィン。本来取るに足らないはずの人物がヒーローになったことも感慨深いけれど、演じているジョン・ボイエガが92年生まれでぼくとほとんど変わらない年であることもなんだかうれしい。同世代人の活躍をまるで世代全体の功績とするようなお馬鹿なことは考えちゃいないけれど、ただなんだかうれしいのだ。先日、3月17日に25歳になったばかりだという。10月にぼくが26歳になるまでは同い年だ。同い年がSWの主人公。元気が出る。
 ぼくも彼に負けないくらい、良い20代だったと思えるように過ごしたいと思う。

ドン・ルイージのゲーム代行


 どうして今Wii Uかというと、義兄が任天堂の新型機スイッチを購入したので、Wii Uを貸してもらったというわけ。実は「スーパーマリオ」でちゃんと遊んだのはこれが初めてである。任天堂の横スクロールは「ワリオランド2」しかやったことなかったので、敵に触れたら即終わるマリオのシステムはとても難しく感じる(「ワリオランド2」以降ワリオは基本的に敵に接触しても死なず、マリオのように残機やゲームオーバーの概念がない)。
 
 中間ボスを倒してひと区切りつくまでセーブができないので、どこか途中でゲームオーバーになるとその面をまた最初からやらねばならず、行き詰まって途方に暮れていると「おてほんプレイ」の存在に気づいた。同じステージで8回死ぬとこの機能が現れるらしい。全自動でルイージがステージをいちばん効率的と思しきやり方で進めてくれる上、それを自分で改めてプレイするか、それでクリアしたことにしてそのまま次の面に進むかを選ばせてくれるという親切な機能である。もちろん次に進むに決まっている。しかしながら、経験や実力が伴わないままより難易度の高いレベルへ進んでいくのでその先でほとんど毎回ドン・ルイージの力を頼らなければならなくなり、ことあるごとにドンに頼み事をしにいくリトル・イタリーの葬儀屋やレストラン店主にでもなった気分である。

 それにしても初心者や、このゲームでの遊び方をその歴史の長さゆえに忘れかけているひとのために、このような機能をつけたというのは素晴らしい考えだなと思う。ゲームが得意でないひとでもストーリーの行方を追ってエンディングを見届けたいはずだ。ぼくもそう。下手くそなくせにビデオゲームが好きなやつもいるのだ。
 
 ちなみにこの「おてほんプレイ」は、ルイージによる全自動代行の最中で手動のプレイに切り替えることもできるらしい。キャラクターはルイージのままになってしまうが、このおかげで自分が苦戦していた難所をルイージに乗り越えてもらって、そこから先を自分で進めるという理想的な、まさに横にいる友達にちょっとだけ代わってもらうというような遊び方が実現するのだ。なにを今更言ってるんだって?いいじゃないか、ぼくは昨日知ったのだ。

2017年3月16日

『お嬢さん』(2016)感想



 原作はウェールズの作家によるヴィクトリア朝イギリスが舞台の物語なのだそう。莫大な遺産を相続する令嬢を結婚詐欺にかけるという詐欺師仲間の計画に乗ったスーザンは、侍女を装ってその屋敷に潜り込むが、騙すはずのお嬢様にだんだん情が移り……という筋書きはそのままに、舞台を日本統治時代の朝鮮半島に置き換えている。スーザンはスッキという少女に、令嬢は華族の秀子、彼女の後見人である叔父は朝鮮人でありながら日本人の貴族になろうとする書物蒐集家、という具合。

 原作の様子を知ってからだと、そのアレンジのおもしろさが際立ってくる。特に和洋折衷の屋敷の存在感はかなり印象的だし、支配者とその文化に憧れるあまり日本人そのものになろうとする叔父・上月の設定も興味深い。パク・チャヌク監督によれば、上月のような上流階級や知識層の一部が支配側に対して抱いていた憧れや信奉が、終戦によって今度はアメリカへと移っていったというような「人間の内面における植民地支配という課題」も重要なテーマであり、上月の建てた和洋折衷の屋敷はそれを象徴しているのだとか。令嬢と侍女の物語という原作と同じ主軸なのに、そういう別の世界観で肉付けすることで、独自の作品になっているところが良い。脚色やアレンジの可能性は底知れないなあ。
 もちろんそこにはヴィジュアル・センスも欠かせないと思う。ベタな仰々しさすらかっこいい。病院とガスマスクという組み合わせをこんなに自然にセンス良く描けるなんて。ああいうのは展開上自然に、わざとらしくしないところが大事なのかもしれない。

 ともあれ原作の「荊の城」、一度読んでみたいな。それからBBCのドラマ版も観ておきたい。スッキに当たる主人公スーザン役がサリー・ホーキンスというのだから気になる。

 よく言われている劇中の日本語について擁護しておくと、確かに学芸会っぽくて、ところどころ聞き取りづらいというか、明らかに書き言葉でしかない台詞が語られたりするので字面がまったく思い浮かべられなかったりするのだけれど(ぼくの頭の問題か)、人物たちの設定を考えれば、かえってたどたどしいながらも一生懸命日本語を話している、という様子が相応しいのではないだろうか。同じ国の人同士なのに外国語で会話しているという様もまた、チャヌク監督が言う「内面における植民地支配」を象徴していると思う。ヴィジュアルも相まって独特な持ち味になっていていいんじゃないかなあ。
 いずれにせよ外から描かれる「日本」はやっぱりぼくには魅力的だ。日本人には決して描くことのできない日本像がそこにはあるし、外国のひとの目を通して見ることに意義があるんじゃないかなとすら思う。
 

2017年3月14日

asta 2017年4月号


 ポプラ社「asta」4月号では長谷川町蔵さんの初の小説集「あたしたちの未来はきっと」(タバブックス・ウィッチンケア文庫)を紹介しております。
 東京町田を舞台にした「東京のローカル物語」ということで、先月号で紹介した山内マリコさんの「あのこは貴族」(集英社)とも通じるものがあります。先月末にはちょうど、下北沢の書店「B&B」にてこの2冊をテーマに山内さんと長谷川さんのトークショーもありましたので、連続で紹介できてよかったです。
 そして、2年以上やらせていただきました「秘密図書館 in asta*」は今号で最終回となります。いろいろな読書体験をさせてもらいましたが、「あのこは貴族」、「あたしたちの未来はきっと」という流れで締めくくることができてよかったです。外側からの目、あるいは内側からの目を通して描かれる都市圏の飽くことのない魅力や、生まれ育った街を振り返る重要さを改めて知ることができたと思います。ぼくもいつかひとりの上京者として、部外者から見た街、あるいは離れてから見えてきた地元の姿をスケッチできればいいなと思います。

2017年3月8日

『ラ・ラ・ランド』(2016) 感想


 映画館の暗い中でスクリーンを見ている間は非現実的だ。外が夜なのか昼なのかも忘れてしまう。映画が終わって外に出ると、案外とても明るくて不思議な気分になる。一気に現実にひき戻されるけれど、嫌な気はしない。寂しいけれど、映画は終わる。でも、自分の中ではなにかがふつふつと湧き上がっている気がする。ふわふわした夢から覚めるのとも似ているかもしれない。
 それこそ『ラ・ラ・ランド』の物語なんじゃないかな。夢のような時間とその終わり。映画は終わる。夢も覚める。恋も、もしかしたら終わってしまうことも。最終的に夢を叶えたはずのエマ・ストーンが、本当はこうだったかもしれない、本当はこうあってほしかったという夢を見て束の間現実から浮かび上がっていくとき、その様子が映画のセットやフィルムによって表現されているのも、映画館での体験の非現実性があってのこと。映画の都ハリウッドとそれを取り巻くロサンゼルス(LA)という街と、映画館での現実から浮遊するような時間、やがて帰っていかなければならない現実。"LA LA LAND"、なんてぴったりなタイトルでしょう。
 そしてやっぱりミュージカルは楽しい。音楽に乗って物語が進んでいくだけで楽しく、難しいことはなにひとつない。それに本作はミュージカルに馴染みの無いひとでも楽しめるんじゃないかという気がする。古典的な要素を取り入れながら決して古さや仰々しさを感じさせず、新しいものに、自然なものに更新されていてとてもポップだ。ハリウッドそのものへの敬意や映画への愛、それを次へ伝えようという意欲。こうして遺伝子は受け継がれていくんだな。ぼくも敬意を形にして作品を作っていきたい。「好き」を形にすることは素晴らしいと思う。
 ただひたすらに楽しく美しいものを人々は観たいのかもしれない。ぼくだって観たい。生きていると驚くほど嫌なことが多い。うまくいかないことの多いこと。できればずっと夢に浸っていたい。けれどこの映画は現実の苦さも忘れさせない。だから心を打たれるのだと思う。

日記の反省

 正直に言おう。結局のところ数日分をまとめていく日記のスタイルは行き詰まってしまった。この方法なら週に一度思い返すことで1日も欠かさずに記録をつけられるかと思ったけれど、どうしたって多忙な週というのがあってついつい振り返って書くことを忘れてしまうことがあり、また特筆することがないために何があったかほとんど思い出せない日なんかがあって、要するにぐだぐだになった。
 そもそもね、公開ブログに書けることってかなり制限があるんだよ。生活のあれこれを切り売りできるタイプのひとなら工夫次第でいくらでも赤裸々に書けそうだけれど、まずぼくは切り売りできるだけのおもしろい生活をおくっていないし、他人のことうまくぼかしながら書く工夫をするような余裕もなければ、仕事についても書けることが少ないのだ。今どこから依頼されたどんな絵を描いているかなんてのはもちろん書けない。映画の試写については何を観て、内容に触れることのない簡単な所感を書き留めたりもしていたが、それも連日となると試写日記になってしまう。今更読む人がおもしろいかどうかなんて気にしていないけれど(基本的に今時ブログの閲覧者はほとんどいないと自分では思うようにしている)、自分で書いていておもしろいかどうかは気にしている。ああ、まだ先週分もまとめていなければ先々週分もまとめられていない、などとだんだん日記を書けていないということがストレスになり、書かなければという謎のプレッシャーもやってきて、とてもじゃないが日記を書くことで考えや気持ちを整理して心の平穏を保つなんてことできる状態じゃなくなってしまった。
 日々のことを細かく書くのは、やはり自分自身のために書くプライベートなノートでなければいけないと思った。そこでなら誰と会ってどんな話をしたか、誰が憎たらしいとか、仕事で味わった嫌なことだとか、約束をすっぽかしてなにをしていたとか、そういうことが遠慮なく書けるわけだ。日記は愚痴を書くことでストレスが解消される面もあるけれど、それを公開ブログでやるととんでもないことになってしまう。読む人がおもしろいかどうかは気にしないけれど、不快にはなってもらいたくない。すっかりSNSの時代になってしまったが、ぼくはブログを書くということを大事にしたいし、紙のノートに万年筆で誰に見せることのない記録を書くという習慣も大切にしていきたいと思っている。
 そういうわけで、また以前のような不定期の日記に戻します。それにしても去年の11月上旬からおよそ4ヶ月くらいずっと記録をつけたことは褒めてあげたい。あれの続きは誰にも遠慮する必要のない自分のためのノートで。家族も読むことのないところで思い切り書くことにしよう。

「集めたくなる栞」最終回


 1年間毎月配布されていたブックユニオン店頭購入特典「集めたくなる栞」が今月で最終回です。本のジャンルを表す絵柄のシリーズで展開してきましたが、最終回は「POETRY」ということで「詩」です。ぼくのイメージする詩人っぽいひとを描いています。


 そんなわけで初回の「MYSTERY」から「POETRY」まで全12種類が揃いました。色とりどりになったかと思います。1年間ありがとうございました。
コレクションが前提のカード的なものをちゃんと作ったのは初めてだったけれど、自分のためにそういうのを作ってもいいかもね。対戦カードよりは、絵柄ありきの収集カードのほうが好きかな。子供の頃から対戦ものはルールが覚えられなかった。

2017年3月6日

日記:2017/02/16 - 25

2017/02/16 木 〜 21 火

 とりあえず忙しい時期だった、とひとくくりにしておく。忙しい忙しいの一点張りじゃ日記としてもつまらないと思うが。
 気分転換に上映が終わろうとしていた『ローグ・ワン』の見納めをしたのだけれど、やはり回数を重ねるごとに前半のくだりは非常に冗長に感じられてくる。回数といってもぼくはこのときを含めて4回なのだけれど、とてもツイッターで見かけるような10回以上の鑑賞はする気になれないし、そんなことなんの自慢にもならないと思っている。
 また別の機会にじっくり書きたいけれど、あの映画のテンポはどこか本を読んでいるときに似ている。というか、往年のSW小説によくある感じのテンポだと思う。前半から中盤までダルいが、終盤で一気に盛り上げていく感じ。
 電話を受けることが多くなった。電話が多いと、仕事をしているなという気分になるものだけれど、どうも近所の基地局かなにかの移転がされたらしく、部屋の電波が非常に悪い。まだ電波塔が裏の山に建つ前の実家並みに電波が悪く、通話中もわりと先方の声が途切れて困る。固定電話を引いた方がいいんじゃないか。ヴィンテージ玩具店で見かけるようなディズニーの古い電話とか置きたい。コードの繋がった大きな受話器を持って仕事の連絡を交わすという絵図に憧れもある。ドラマの「マッドメン」かなにかの影響だろうな。

2017/02/22 水

 ビデオ・ゲームがもとの映画を試写で観た。モーション・キャプチャーを多用して実際の俳優そのままのモデルにその本人が声を当てているというような「プレイする映画」とも言うべきゲームがたくさん出ている中、果たしてゲームを実写映画化する意味があるのかと疑問を思ったりもしていたが、ゲームにはプレイすることが前提に書かれた物語があり、そういったゲームでしか生まれ得ないタイプのストーリーを映画のネタに持ってくることでおもしろい化学反応が見られることもあるんだなあということがわかった。ゲームと映画は互いに刺激し合って進化していけるものなのかもしれない。

2017/02/24 金

 久しぶりによそのおうちに犬を連れていくことに。少し長い道のりだったが到着したときの犬のはしゃぎようは見ているこちらもうれしいくらい。おうちは素晴らしいところだった。何度も「素敵」を連発した。ひとの家に行くとあちこち真似したくなってしまうのは昔から変わらないが、うまく参考にできたためしはない。それでもやっぱりいろいろなところを見せてもらって、帰ったらぼくも自分の部屋をああしてこうしてと想像を膨らませた。とても楽しい時間だった。犬も楽しかったろうと思う。
 ちなみにこの日は結婚記念日で映画『ラ・ラ・ランド』の公開日だった。

2017/02/25 土

 沈むように寝ていた。夕方妻が仕事をあがるのに合わせて出かけて行き、一緒にビックカメラを覗いた。レゴ・ブロックでも買わせてくれるのかと思ってうきうきしていたが、帰り道のぼくが提げる紙袋にはフィリップス電動シェーバーがあった。生まれて初めて使ったのだけれど、綺麗に剃れる。T字では限界があった。ぼくはヒゲが濃いのだ。でも脱毛しようだなんて思わないな。年取ったらオビ=ワン・ケノービみたいに生やしたくなるかもしれない。シェーバーでヒゲを剃るのは楽しい。