2017年5月18日

『ムーンライト』(2016)感想


 『アデル、ブルーは熱い色』(2013)の感想のときにも書いたことだけれど、形が同性同士だというだけで(もちろんゆえに抱える問題もあるのだけれど)、そこで描かれることは誰の身にも起こりうる普遍的なものだと思う。『ムーンライト』はそれに加え、特定の人種とその生活圏、そこから連想されるものや生じてくる問題など、これでもかというくらいの要素がてんこもりである。それらのてんこもりはもちろん欠かせない重要な要素だけれど、先入観に惑わされずに見つめれば、そこには自分と同じように生きる人間がいる。

 三つのチャプターのうちの最終章では、それまで小柄だったりひょろかったりした主人公がめちゃくちゃごつい大人の男に成長している。いかついアメ車を転がしてブリンブリンを身につけた寡黙な売人。おまけに歯にも黄金のグリルズを装着しているくらいなのだが、子供の頃から想い続けてきた相手の前では、その小さな目が落ち着かなげになり大きな肩をすぼめてモジモジし出す。子供の頃からのうつむき癖(この仕草が特に別々の時期のシャロンを演じた三人の俳優たちを本当に同一人物かのように見せてくれる)も手伝って非常にかわいらしく感じる。ギャップ?そう、ギャップなのかもしれない。だがギャップってなんだ?こんなごついやつがモジモジなどするわけがないという前提があったなら、ぼくたちはその時点でなにかを決めつけてしまっていたのかもしれない。そんなことではティーンエイジャーのシャロンを、"逞しくなさ"、"男らしくなさ"といった理由で虐めていた連中と、変わらないのではないか。
 
 そんなにコアが普遍的ってんなら、なんの変哲も無い個人的な物語を観せられているってこと?なんて思うこともあるかもしれない。もちろん、そうではないと思う。他人の物語から感じることや学べることは多いし、自分との共通点を見つけられるからといって、その特別さが薄れるわけではない。そうやって親しみが持てて、美しくて、いろいろなことを考え想いたくなるから特別なのだ。
 特別であり、特殊ではない。特異な物語というわけではない。
 一見特異な予断を持ちやすい骨格は、ぼくたちへの試練でもあるのかもしれないな。

 なんだかどんどん思考が流れ出てきて自分の手には負えないような文章になってしまったけれど、ぼくにとっては、美しくてかわいらしい恋の物語で、そっと打ち明けられた人生のハイライトだ。
 誰かに恋をして、なにかに夢中になった人生の一時期をトリミングした『アデル〜』とは通じるところも多いと思う。とまあ、これも結局は同じ恋の形でカテゴライズしてしまうことになるのかもしれないけれど。でもやはり並べてみたくなる作品だ。
 なんといってもブルーというテーマカラーが共通している。
 色や空気感の美しさもこの映画の魅力のひとつだけれど、色の濃い肌が月光を浴びて青く輝くところなんか、身体の美しさってやつを思い知らされるね。