2017年7月26日

営業報告


 「SPUR」9月号(集英社)「銀幕リポート」第18回では、ジョン・リー・ハンコック監督、マイケル・キートン主演『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』(7月29日公開)を紹介しています。


 トット先生の表紙が眩しい「婦人公論」2017/8/8号(中央公論社)では、ジェーン・スーさん連載「スーダラ外伝」第18回の挿絵を描いています。離婚したあとの元夫婦の関係、子育ての行方などについて書かれております。

『ハクソー・リッジ』(2016)


 『沈黙 ーサイレンスー』に続き、祈りながら日本人から逃げるアンドリュー・ガーフィールド。ここでも信仰はテーマだが、キリシタン弾圧と同様戦争も善悪で捉えることはできない。日米戦が舞台なのでそのあたりのことに思考を巡らせたくなりがちなのだが、はっきり言ってどことどこがやった戦争なのかはあまり重要ではないように思う。なによりもまずデズモンド・ドスという人物だ。彼には戦場に行くより前に立ちはだかった障壁があり、本来なら味方である人々から理解を得る戦いに挑み、実際の戦場でも信条を貫き通して信頼を得ていくところにこそ注目したい。

『沈黙 ーサイレンスー』(2016)


 イッセー尾形扮する井上筑後守本人もまた、元キリシタンだったことが興味深い。原作を読んでもあまり詳しく掘り下げられていなかったけれど、信仰を捨てて弾圧する側にまわり、自らもそうだったからこそ知り尽くした信者たちを、狡猾に攻めていくその心理は気になる。
 憎まれ役、であって敵役や悪役という表現は避ける。まあ、主人公との関係上敵役といっても十分正しいと思うし、個人的には悪役と言いたいところなのだが、善悪で片付けられるものではないと思うからね。善いか悪いかではなく、もっとこう、人と人、というような構図としても捉えたい。ということで言葉のことにも注目した。

2017年7月2日

営業報告


 ファッション・エッセイがとても楽しい「SPUR」8月号(集英社)では、ジャック・ニコルソンがハリウッド・リメイク予定のマーレン・アデ監督作『ありがとう、トニ・エルドマン』(公開中)を紹介しています。


 「クイック・ジャパン」vol.132(太田出版)、P169(ピンク色のページ)にて有名な人たちの似顔絵を描いています。


 「婦人公論」7月11日号(中央公論新社)のジェーン・スーさん連載の挿絵を描いています。今回のお話はご自分の文章についての考察。自分の作っているものは果たしておもしろいのかどうかという不安には非常に共感します。そして、そんな悩みについてのお話でもやっぱりおもしろいので、スーさんはすごいです。

 ***


 そして今年も「FRAPBOIS」とのコラボレーションをやらせていただきます。まずは今季のブランド全体のテーマ、「シルクロード」に合わせた絵柄。シルクロードぽい動物がばらばらといるTシャツと、


羊と、


ラクダの一点プリントの三種類となっています。


 7月中の発売となっています。

「一九八四年 [新訳版]」感想


 迎えたくない未来を描くディストピアというものに、どうしてこうも人は(というよりぼくは)惹き寄せられてしまうのだろうか。現実が不穏で陰惨としているのには耐えられないのに、フィクションの世界では枢軸国が勝利したりロボットが人間を支配したり、核戦争後の荒廃な世界にわくわくしてしまう。
 
 本書はまずその世界観の設定や、独裁政治機構のディティールがおもしろい。イースタシア、ユーラシア、オセアニアという三つの超大国によって分割統治され、常に戦争が続いている世界。平和省、潤沢省、愛情省、真理省といった皮肉めいたネーミングの機関。いたるところに貼り出された指導者のポスターと、市民を監視する双方向テレビとも言うべき装置テレスクリーン。市民の思考を制限するために必要最低限の言葉しか使わせない新語法ニュースピーク。その思考様式の大前提となっている「二重思考」……。どれもこれも今ではディストピアを表現する上で定番の概念となっている。本当によくできていると思う。

 無表情な新語法であるニュースピークは、極端な略語や単純な言葉が語彙を奪うことで、思考の幅も狭まってしまうということを教えてくれる。ぼくもそれほど語彙が豊かな方ではないが、もっといろいろな言葉や表現を身につけてそれを大切しないといけないなあ。
 言葉を知らなければそれが言い表す意味について思考が及ぶこともない。知らないことは考えようがない。本書でニュースピークについて知るまで、そんなこと考えたこともなかった。当然のように行なっている思考というものが、自分の語彙に基づいているなどと。けれど、知ってからはそれについて考えることができる。素晴らしいことだ。

 主人公ウィンストンの仕事は過去の記録を改竄すること。誰かが粛清されればその人の存在の痕跡を抹消すべく、名前の載っている記録を全て修正する。半永久的な戦争における交戦相手と同盟相手が党の都合で突然入れ替わるが、それに関する記録も全て書き換えなければならない。そうすることで交戦相手と同盟相手は開戦以来ずっと同じままだという「事実」を維持するのだ。党が間違っているという事態を避けるために現実を歪め続けるというわけ。
 過去の記録を完全にコントロールすることは同時に現在と未来をも支配することにもなるのだ。
 ウィンストンは紙の新聞を修正する作業をしていたわけだが、今日ぼくたちの身近にはもっと簡単に編集できる百科事典がある。もちろん好き勝手に歴史を書き換えてそれを読む人に信じ込ませるのは簡単なことではないが、インターネットの宇宙的図書館にはすでに事実かそうでないか判断するのが難しいものがたくさんあり、それを真に受けてしまう人も少なくないということはもうわかっている。真理省の悪魔的な仕事はそう現実離れしたものではないかもしれない。材料はすでに揃っているように思う。

 そういえばアメリカで新しい大統領が生まれてから、この本が非常に売れたらしい。世の中が怪しげな方向に舵を取ったのを機会に、有名だがまだ読んだことがなかったこの名著を手に取ったのだろう。かく言うぼくもその流れでやっと読む機会を得たのだけれどね。
 オセアニアは1940年代末に想像された未来の社会主義国家なので、現実の未来を考える際に条件が全て一致するわけではないが、もっと広い意味で言うところの悪夢的な未来像として、手がかりのようなものは見出せるかもしれない。トマス・ピンチョンによる本書の解説でも、現実世界に息づいているオセアニア的要素について言及されていて興味深い。そう、このピンチョンの解説もとても読み応えがあっておもしろい。
 
 いずれにせよディストピアとは、迎えたくない未来を先取りすることでそれを反面教師にできる、素晴らしいエンターテインメントだと思う。

 さて、ぼくはもっと日記を書こう。