2017年10月27日

「フォースのライトサイド」は映画に出てこない

 ダークサイドに対立する概念ならライトサイドだろう、みたいな後付け感が半端ではないが、この言葉がわざわざ映画本編に登場しないのは、ジェダイが自分たちのフォース観こそ唯一無二の正しいものであるとしていたからだろうとも考えられる。ライトサイド、と自分たちの側をいち側面として呼ぶことは、対するダークサイドの存在を認めることにもなる。もっともこの用語が普及したのはガイドブックや設定資料によってではないかと個人的には思う。キャラクター相関図や世界観を説明する際に善悪や光と闇というような対立概念を提示するとわかりやすい。そこでダークサイドと対をなす概念としてライトサイドという語が普及したと。まさかガイドブックのために作られた概念ではないだろうと思うが、フォースの二面性も含めて、設定によって補強されていることは間違いないだろう。とにかく、本来映画にはフォースとダークサイドしか出てこない。

 ジェダイたちはもちろん善良に感じられるし、シスはやはり邪悪に感じられる。しかし、ジェダイはそれでも滅んでしまった。シスの策略によって滅んだのではあるが、そこには彼らの教義の限界や、時代や状況との合わなさもあったように思える。ぼくは以前融通の効かないジェダイの教義が好きじゃない、と書いたことがあるけれど、融通が効かなかったからこそ、ジェダイが滅ぶべくして滅んだという描写が成り立つ。理想を追い求めるあまり世界から見放されてしまったというのが、ジェダイなのであり、そこがまた魅力でもあろう。

 プリクエル三部作ではジェダイの滅亡や、帝国とダース・ヴェイダーの誕生をもって、オリジナル三部作で見られたような勧善懲悪的単純構造は一旦崩された。現実世界における価値観もどんどん変化、複雑化していき、単純な勧善懲悪が好まれる時代ではなくなった。『ローグ・ワン』ではそれまで正義一辺倒で描かれてきた反乱同盟軍の暗部や、その反乱軍と袂を分かったテロ集団の暴走などが描かれ、基本的には悪の帝国に立ち向かう物語でありながらも、「ウォーズ」の現実的な側面が盛り込まれたりもした。

 そうくれば、である。最新作『最後のジェダイ』でもやはり単純な善と悪の戦いでは済まないだろうと思う。年老いたルーク・スカイウォーカーは、もはやジェダイ=ライトサイド、ライトサイド=正義というような考えを持っていないのではないか。なんといっても、かつてのジェダイ騎士団はその教義とともに滅び去ったのだ。スクリーンの外にいるぼくたちがそうであるように、ルークも正義を自認するということに懐疑的になっているのかもしれない。フォースの二面性などという解釈はとうに捨てているかもしれない。あるいはその間に立つバランサーに徹している可能性もある。
 というのも老ルークの服装がグレーっぽいのだ。EP7のラストでは少し白っぽい気もしたが、EP8の予告編を観る限りだいぶ薄汚れた衣装ばかりである。EP7の白い衣装もよく見るとどこか灰色じみている気もする。
 SWはもはや光と闇という構造の中におさまってほしくない。鍵はやはりルークのスタンスだろうと思う。そして彼を挟んでカイロ・レンとレイという、不安定な若者ふたりが対峙する。EP8の主要人物たちは白黒はっきりしない。