2017年10月6日

違和感と偏り

 『スター・ウォーズ』とか『ゴーストバスターズ』とか、有名作品の主人公を女性に置き換える流れに反感を抱く男性諸氏が、やっぱり少なくない。ぼくの身近にもいて、大好きな作品たちが奪われてしまった、乗っ取られてしまったというような感覚すらあるらしい。なんとなくそのような話題になるたびに、うーん、どうにかわかってもらえないだろうかとぼくなりの考えを述べようとするのだが、実際の会話ではなかなか思っていることを言えないので、ここにちょっと書き留めておこうと思う。

 これまで男性の主人公ばっかりだったことに違和感を持ってみてはどうだろうか。これに尽きると思う。ぼくたちは男性なのでなかなか難しいかもしれないが、異性(女性)が主人公になることに違和感が持てるのであれば、異性(男性)の主人公が当たり前というこれまでの世界が偏っていたと思えるはずである。
 主人公が男性に設定されている場合、特に注目は集まらない。しかし、女性が主人公に設定された場合にはそのことが注目される。これも前者が当たり前で後者は特殊であるという価値観が根強い証拠だろうと思う。もちろん近頃はだんだん女性が主人公であることをわざわざ特筆する必要も無くなってきている。もとより特筆する必要はないのだ。
 今抱かれているであろう違和感は、これまでの偏りの大きさを表しているのだと思う。だから、その違和感自体は無理もないのかもしれない。ただ、それを反感や嫌悪へと展開させるのは、見当違いではないだろうか。
 別に、今日のこの流れは男性の主人公を駆逐しようというのではない。全ての主人公を女性にするのだったら、それは単に性別を入れ替えて同じことを繰り返すだけなので意味がないと思う。単に反動ではなく、バランスをよくしようという前向きさからこのような動きがあるのだと思う。 

 性別だけでなく、いろいろな人種のひとの登場が際立って見えるのも、これまでの作品にあまりにも登場しなかったためである。もしかしたら無理矢理なキャスティングに見えるかもしれない。それが無理矢理に見えるのも、これまでが無理矢理だったことの裏返しなんだけれど、今ここでちょっとくらい強引でも勢いをつけて変化を投じないと、大きく変われないのではないかと思う。それくらいこれまでの偏りは大きいのだ。変わっていく様子を、見守ってはどうだろうか。

 世の中にはそれはもうたくさんの人種がある。肌の色もたとえ同じ民族に数えられてもひとそれぞれ膨大な数がある。その全てのひとが共感できるよう配慮したキャスティングは不可能と言っていいだろう。しかし、それでもいろいろな人種が登場することで作品は厚みを増すと思う。カラフルになると思う。いろいろな地域でいろいろなひとが楽しめるものになるのではないか。ましてや広大な銀河系を舞台にした作品ならなおさらであろう。
 というか、ぼくとしては自分と同じか、近い人種のひとが大好きな作品に登場したらうれしいものなんだけれど。