2017年12月25日

「イヴの夜の物音」




 クリスマスのローストチキンに憧れていた。
  シャーロック・ホームズの短編でもお馴染みのようにヨーロッパではガチョウだし、合衆国では七面鳥なのだろうけれど、この際本場ではどうこうは関係ない。そもそもクリスマスの本場がどこかという話をはじめると僕の手には負えなくなる。ともかく自分の暮らす地域に馴染んだクリスマスとして、ローストチキンだ。
  クリスマスの魅力のひとつは、なんといっても冬の外の寒さと、家の中の暖かさとのコントラストにある。外が寒ければ寒いほど、家の中が暖かければ暖かいほど、幸せな感じが増すと思う。冬至の寒さの中、年末という、一年を一日としたときの「夜」を暖かく過ごしながら、その一年に想いを馳せるのが僕の思うクリスマスだ。
  家の中、食卓で暖かさと幸福感、そして豊かさを象徴するのが、鳥の丸焼きだ。鶏でも七面鳥でもガチョウでも、鳥の丸焼きのあの色合いやフォルムが食卓に幸福感をもたらす。いろいろあって大変な一年だったとしても、それさえ食卓に並べば一応は豊かな生活だと思える。
  妻と暮らし始めた最初の年のクリスマスを控えたある日、近所のスーパーで鶏がローストチキン用に丸々一羽売られているのを見てうれしくなり、買って帰った。インターネットで適当にレシピを調べ、リンゴとタマネギを炒めて中に詰めるベラルーシ風というのをやってみた。ベラルーシってどこだっけ。響きがベラ・ルゴシっぽいから東欧かどこかだろう。いや、ルゴシはハンガリーのひとだっけ。
  特別美味しくできたような印象はないけれど、鶏の丸焼きを食べられたということで満足だった。ともかくイヴにローストチキンを丸ごと食べるという夢はかなった。クリスマスのディナーはイヴの晩に食べるものなのか、25日当日の晩に食べるものなのかはよくわからないけれど。
  次の年、またローストチキンを食べようと思うも、ことに当たるのが遅かったせいか近所ではどこも売り切れていた。被害妄想が激しいのでなにかの嫌がらせかと思ったくらい途方に暮れてしまった。
  その次の年、今度は妻が最初のものよりも大きなチキンを買ってきてくれた。丸々としていて、頭のない、羽をむしられたボツボツの鳥肌を見て心が踊った。
  バターで炒めたお米が鶏のお腹の中に詰めこまれ、首の根元とお尻の穴がタコ糸と爪楊枝でもって閉じられた。鶏の周りにはタマネギとジャガイモとニンジンが添えられた。妻がやったほうが凝ったものになる。思えば僕のベラルーシ風はかなり簡単だった。
  最初の年もそうだったけれど、当然痩せ型のふたりでは食べきれず、少し食べてもういっぱいだった。残りはまた明日にしよう。しばらくこれだけ食べていられるくらいだろうと、愚かにもそのときは思った。
  1メートル足らずのツリーの電飾を点けっ放しにしたまま、ぼくら夫婦は寝床に入った。暗闇の中で暖色の電飾が一定のリズムで点滅し、あたりがうっすらオレンジ色に照らされる。そのそばに食卓があり、その上にはラップをかけられた食べかけのチキンの大皿が載っていた。この頃暮らしていた部屋はずいぶん小さく間取りが奇妙だったので、ベッドに寝ながらその様子が見えた。
  もちろん北極の良い子リストに載るような良い子ではないので、そんなすぐに眠りに落ちたりはしないけれど、それでもだんだん意識が暗闇の中にゆっくり沈んでいきそうになった頃、ふとゴンゴンという鈍い物音が聞こえた。
  どこか外ではない。その部屋はすぐ外側でのひとの出入りが激しく、同じ建物の住人であれ、前の通りを行き交うひとであれ、その気配は察知できるが、この音はそうではない。もっと近く、部屋の中から聞こえる。
  それはだんだん、コツンコツンという軽い感じのする音に変わっていた。
  白いファーの縁がついた真っ赤な毛皮の服を、黒い極太のベルトで締めた白ひげのファーザー・クリスマスのことを連想するほどには、素直さを忘れてしまったぼくだったけれど、その奇妙な音はイヴの真夜中に不思議に響いた。横では妻がすでに寝息を立てている。彼女は本当にすぐ眠ってしまう。そのくせなにかの拍子に突然眼をぎんと開き、大きく見開いたり瞬きしたりしてまた眠ったりするからびっくりする。眠りながら眼を開いて反応を示す現象にはなにか名前があるのだろうか。とにかくこの物音には全く気づいていないようだ。やすらかな寝顔はとても石炭などもらいそうにない。
  ツリーの電飾に照らされている中で、影らしきものが動いた。我が家で動くものといえばなんだろう。もちろん最初に物音がしたときから、ぼくはこのことを考えている。この小さな家でふたりの人間以外に動くもの、生きているもの。
  がばっと上体を起こして、掛け布団が弾かれる。このような冬場では一度布団に入れば翌日の午後まで起きる気が起きないけれど、このときは身体のどこか、頭のどこかが無理矢理それを促した。大急ぎでベッドから飛び出し、ツリーの灯りの方へ向かう。寝床から食卓が見える部屋だ、大股で数歩行けばたどり着く。
   暖色の灯りの中で、決して小さいとは言えない黒々とした影が、ソファの上から食卓の上へと覆いかぶさっていた。僕は大声を上げる。そいつの名前を呼ぶ。呼ぶというか、ほとんど怒鳴った。
  大した真相ではない。誰でも読めることだ。我が家の愛犬が食卓のローストチキンの皿を懸命につついていたのだ。ソファの上から、短い脚を精一杯伸ばして無我夢中。かけてあったラップがめくり上がり(どうやった?)、鶏の手前に添えてあった野菜がきれいに消えている。ジャガイモもニンジンも、犬が食べてはいけないと言われているタマネギまでもが、跡形もなく無くなっていた。手前の野菜を片付けて、さあチキンに取り掛かろうとしたところで、僕が駆けつけたというわけらしい。
  ゴンゴン、コツンコツンという音はサンタ・クロースのブーツやベルトの金具、赤と白のストライプのキャンディ・ステッキの立てた音ではない。犬が夢中になるあまり、その突き出た鼻面で皿をぐんぐん押していたのだ。彼はだから、どんどんソファから身を乗り出してとんでもない姿勢になっていた。
  僕の声で動きを止めたり、いたずらがバレて決まり悪そうになるわけでもなく、むしろ見つかってしまったから捕まるまでに少しでも多くチキンを食らおうと躍起になった。皿を遠ざけて犬の腹に手を入れてひょいと持ち上げる。実際はひょいというほど軽くない。
  思えばこいつは鶏肉が大好きだった。それは別に散歩中に鳩や雀を脅かして追っ払うのが大好きなのとは関係ないところで好きだった。先ほどまで僕たちが食事をしているのがさぞ気に入らなかったことだろう。せっかくチャンスがあったのに野菜しか食べられずふてくされた顔だった。チェッ、見つかっちまったか。
  チキンのラップをかけ直し、犬の届かないであろう場所に置いて、今度はちゃんと犬を連れてベッドに入る。妻は騒ぎで目を覚ましており、すごい剣幕で犬に起こったけれど、やがてコーギーは夫婦の間にすっぽりおさまり、ふたりと一匹は眠りについた。 
  その後三日ほどかけてチキンをたいらげようとしたけれど、途中で中のお米が傷んでしまった。