2018年2月15日

コーギーのご先祖さま(諸説あり)


 諸説ある、って便利な言葉だな。いずれにせよウェールズ発祥の牧牛犬である。逆に言えばそれ以外のことは判明していないんだけど。
 体型も牧牛犬だからこそのもので、背が低いのは牛の足を噛んで誘導するため(かく言うぼくも散歩中にたまにくるぶしのあたりを甘噛みされるが、遺伝子レベルで刷り込まれている本能なのだ)、生後間も無くしっぽを切ってしまうのは踏んづけられてそのまま殺されたりしないため。ちなみにこの断尾、最近はかわいそうなので禁止になっているところも多いんだけど、元からしっぽが短いやつもいれば、しっぽ自体ないやつもいるらしい。なのでデフォルトで必ずしもしっぽがあるとは限らない。うちの子はどうなのかよくわからない。同じ犬舎の犬でもしっぽのあるやつはあるままなので、元から無いのではないかと思ってるんだけど、どうなんだろう。
 9世紀前後にはウェールズの記録に登場するんだけど、だいたいは大陸か前述のようにスカンジナビア側から持ち込まれたというところに落ち着いているらしく(ウェールズに元からいたとする説もあり、これが多分コーギー先祖説の根拠なのかな)、それらを折衷して、ヴァイキングやフランダースの織物屋(フラマン人)が連れてきた犬が先祖、みたいな紹介をされる。
 まあ、詳しいところはわからないままのほうがロマンを感じたりもする。発祥や先祖がはっきりしなくとも、コーギーは確かに今ここに存在するのだ。女王陛下万歳。

2018年2月12日

砂に墜ちた飛行士



 彼を取り囲んでいるのは乾燥と死の世界だった。
 外部との連絡手段はない。囚われていた敵の宇宙戦艦から逃げ出してきたままの格好だったので、武器などの装備も持っていなかった。ただ、脱走に使った敵の宇宙戦闘機の操縦席に備え付けられていた発煙筒や申し訳程度のサバイバル・キットは持っていた。これは座席ごと機体から放り出された彼にとって不幸中の幸いだった。座席から伸びたパラシュートと発煙筒を使って起こした焚き火で、なんとか夜の砂漠をやり過ごすことができたからだ。
 しかし、日が昇ってから役に立つものはほとんどなかった。パラシュートの残りでなんとか身体を覆って強い日差しを防げはしたが、サバイバル・キットはこんなもので本当に兵士が生き延びられるのかと疑問を抱きたくなる代物だった。あちらの指導者たちは、兵士には興奮剤さえ与えておけばいいと思っているらしい。
 この惑星に来たのはこれが初めてではない。もっとも、今もまだ最初の訪問の一部と言えるかもしれないが。彼が訪れていた集落が襲撃され、そこで捕まり、軌道上の敵艦に連行され、そこから逃げ出して今また地上に戻ってきただけなのだ。ともかく、この土地について丸っ切り知識がないわけではなかった。
 この星に送り出される前に上官からある程度の説明は受けていたし、到着したあとも例の集落の長老からいろいろ聞かされていた。あの温かい眼差しをした老人が自分の目の前で無残に殺されてからまだそう長くは経っていなかったが、老人のことはすでに懐かしく思えた。彼は急に苛立ち、拳で腿のあたりを叩いた。自分がついておきながら、老人だけでなく村人たちもみな殺されてしまった。
 理想的な正義に燃える彼の性格からして、それを必要な犠牲などという言葉で片付けることはできなかったが、しかしそのことで悲しみに暮れてばかりもいられない。彼らの死を無駄にしないためにも、自分は任務を全うして銀河を救わなければならない。
 その任務のために、彼は相棒と再会しなければならなかった。集落で捕まる間際、彼は機械の相棒に記録装置を託していた。それを将軍に届けることこそ、今回の任務である。そこには伝説の人物の居所が記されている。その人物はこの暗雲立ち込める銀河を、光へと導いてくれるはずだった。
 しかし、本当に人間ひとりの存在にそのようなことができるのだろうか。彼は時折この疑問と対峙しなければならなかった。ひとりきりで(正確には機械の相棒も一緒だったが)宇宙戦闘機の操縦席におさまって宇宙の暗闇を旅している間にも、何度かこの疑問と向き合うことになった。
 絶えない争いや憎しみの連鎖を、たったひとりの人間が断ち切れるのだろうか。この広い銀河全体に覆いかぶさっている分厚い黒い雲を、たったひとりで晴らすことができるのだろうか。
 それができるからこそ、その人物は伝説そのものとされているのかもしれない。実際に、その人物はかつて銀河を一度闇から救い出しているはずだ。少なくとも彼はそう聞かされて育った。ほかでもない彼の母親はその人物を間近で見てきたのだ。一緒に戦ったという話も聞いた。多くの子供たちにとってほとんど神話上の人物のようだったが、母親の体験談が彼にその実在を確信させていた。その数々の武勇伝も。
 大人になってからも尾ひれのついた話をいくらでも聞いたが、彼はその全てを本当だと信じている。実際はどうだったかなどこの際あまり重要ではない。全てが本当だったところでなんの不都合もない。どれだけ大げさで嘘くさい、現実離れした話であっても、その人物のエピソードとしては十分にあり得ることだ。それに、そう信じることで希望を抱けるような気がした。おそらく、そういったことを信じなくなったとき、希望は失われるのだろう。
 余計な疑問が浮かんできても、だいたいこうやって結論に達する。無理にでも前向きになれるのは彼の長所のひとつだった。前を向きすぎて足元に気づかないことは多々あるが。
 今もちょうど足を砂にすくわれてバランスを崩し、砂の上にうつ伏せに倒れこんだ。柔らかい砂の上をずっと歩いてきたからひどい疲労を覚えた。彼は倒れたままの格好で目を閉じたい気分になった。そのままじっとしているだけで、風で運ばれてきた砂がどんどん身体の上に積もっていく。
 てっきり自分は宇宙空間で死ぬのだとばかり思っていた。向こう見ずな飛行士として宇宙戦闘機を飛ばしに飛ばしまくってきた人生。もはや飛ばせない乗り物などないと断言できるほどの操縦技術を身につけ、仲間たちからも「銀河一のパイロット」などと、半ば冷やかしながらも尊敬を込めて呼ばれていた。
 もちろん彼はそんなことで鼻を高くしたいから飛んでいるわけではない。仲間たちからの信頼はうれしいが、彼はただ飛びたいから飛んでいるだけだった。才能や能力に恵まれた者の多くがそうであるように、彼もまた自分にとって至極当たり前のことをしているに過ぎなかった。飛ぶことも、自分が正義と信じているものに尽くすことも。
 そんなふうに、常日頃から宙を飛んで冒険を繰り広げてきたからこそ、自分が死ぬのはきっと、とうとう敵の光弾に追いつかれて機体が焼かれたときか、あるいは単に調子に乗りすぎてなにか誤操作をしたときだろうと思っていた。どちらにせよ、死に場所は宙だと思っていた。
 それが、こんな砂に埋もれて死ぬことになるとは。宙とは正反対の、地面で死ぬことになるとは。銀河一の飛行士が砂の上で死んだとなれば、大変な笑い話になるのではないだろうか。人からの評価などほとんど気にしたことはなかったが、しかし、自分がここで死ねば、人々がこの無様な死を笑うことのできる平和さえも脅かされてしまう。そう思うと、こんなところで、こんなことでは死ねないという気持ちが強くなった。
 あの伝説の人物のように、空を自由に駆け巡りそうな名前は、自分にはない。しかし、それでも彼は、伝説に負けないくらい精一杯生きてきたつもりだった。そして、その日々を今日ここで終わらせるつもりはなかった。
 そもそも、敵のミサイルが機体を吹き飛ばしても、自分はこうして砂漠に落っこちて生き延びたのだ。宙では死ななかった。だから彼はまだ死なない。
 拳を握りしめて、砂の地面を叩く。ずぶり、と拳は柔らかい砂に沈む。
 力を奮い起こす。もう一度飛ぶんだ、そう思うだけで自然と身体中にまだ残っていた力が行き渡っていく。
 がばっ、と上体を起こす。それまでに身体に積もっていた砂が一気に流れ落ちる。膝を曲げて地面に突き立てると、飛行士は再び完全に立ち上がった。優雅な離陸とまでは行かないが、立ち上がらなければリフトオフもできない。
 案外。
 彼はふと思う。
 案外、あの不気味な装甲服をまとった敵の兵士たちも、こうやって自分に暗示をかけて強くあろうとしているのかもしれない。
 結局兵士であることは同じか。
 そこで思い至るのは、やはりあの兵士だ。
 囚われの身だった彼を解放し、ともに脱走した敵の兵士。元敵の兵士。
 機体がやられて地表に墜落する際に、ふたりとも座席ごと放り出されたのだろう。きっと彼もこの砂漠のどこかに落ちたに違いない。
 彼にはあの兵士がいいやつだということが瞬時にわかった。終始緊張した表情で、顔はとても汗ばんでいた。緊張によって眼は少しおどおどしていたが、その瞳は澄んでいて、とても残虐な行為になど手は染められそうにない。あの兵士が例の集落への襲撃に参加したのかどうかは定かではないが、きっと村人たちの虐殺には加担できなかったはずだ。もしかすると、それが原因で離反を決意したのかもしれない。
 とにかく、あいつはいいやつだった。短い間だったが、すぐにふたりは意気投合した。狭い操縦席で背中合わせになり、ふたりは一緒にひとつの戦闘機を飛ばした。あの感覚を彼はまだ如実に覚えていた。自分が飛ばし、彼が撃つ。彼が命中させ歓声をあげると、自分もそれを褒め称えた。あんなに喜んでいるやつは久しぶりに見た。まるでふたりとも子供のようにはしゃいだ。意地悪な大人たちから宇宙船を盗み出した子供だ。
 あんなやつが敵の兵士の中にいるとは想像もしなかった。
 もっと完全に個性が抑圧され、ただひたすら命令を遂行するだけの殺人マシーンばかりだと思っていた。しかし、それもまた相手が自分たちに抱いているのと同じ種類の偏見でしかなかったのだろうか。
 あの白いヘルメットをひとつひとつ外していけば、多種多様な人間の顔があるはずだ。そして、彼らは決してマシーンではなく、人間だ。きっかけさえあれば、あの陽気な脱走兵のように、心を取り戻せるはずだ。
 そう。あの男は彼によって心を手に入れたも同然だ。名前が無く、無意味な識別番号しか持っていなかった男に、彼は素朴なものではあったが名前を与えたのだ。彼が新たな人生を与えたと言ってもよかった。そんなことで得意がったり、恩着せがましく思う彼ではなかったが、ひとりの人間を救い出せたのだと思うと、純粋にうれしかった。
 機械の相棒はもちろん、あの新しい相棒とも再会しなければならない。どうか無事であってほしい。


 惑星の主な地域や集落の位置関係は、事前に頭に入れていたものの、墜落したのが一体どのあたりなのかまるで見当がつかなかったので、途方に暮れかかっていたが、すぐに天は彼に道を示した。文字通り天が示したのだ。
 真っ青の広大な空に、一筋の軌跡が浮かび上がっていた。彼の鋭い動体視力は、軌跡の先端、ずっと上方に殺人的な太陽光を受けて銀色に輝く物体を捉えたのだった。
 地上から宇宙船が飛び立ったのだ。
 それもあの大きさと軌跡のわかりやすさからして、そう遠くない場所から。
 銀河一の飛行士である彼は、宙から愛されているようだ。そう実感して砂を踏む足に少し力が加わる。この方向で間違いない。
 果たして、一体いくつ目になるかわからない砂丘をやっとのことで越えると、視界の先には平地が広がり、ずっと前方に人工物らしいものの影がいくつか見えた。近づいていくと予感は確信へと変わった。
 あれは集落に違いない。いや、あの規模は彼が訪れた村よりもずっと大きい。巨大な建造物も見受けられる。先ほど宇宙船が飛び立ったことを考えれば、ここはこの星で唯一の宇宙港だった。
 気づけば、周囲のいろいろな方角から人影がやってきていた。みな宇宙港を目指しているらしく、よく見るとなにやら大荷物を抱えたりひきずったりしている者ばかりだった。金属板の上に荷物を載せて砂の上を引いている者もいれば、単純な動力に網や袋や板をつけて物を運んでいる者もいた。入植地が近づいてくるにつれ、方々から集まっているその荷物や、それを運んでいる者の風貌がよく見えた。ボロをまとった者ばかりで、荷物は汚らしい機械の部品ばかりだった。
 廃品漁りについても、もちろん話に聞いていた。この惑星で唯一と言っていい生業。ここで生きていくには、砂漠にある戦場跡に埋もれている宇宙船や兵器の残骸から部品を集めるしかない。昔ここで繰り広げられた壮絶な戦いはその後の銀河の運命を決定づけたが、戦場となった惑星は忘れ去られたのだった。今も巨大な宇宙戦艦の残骸が砂に埋もれ、おびただしい兵士たちの骨が故郷を夢見て眠っていることだろう。
 飛行士たちも、大勢眠っているはずだ。彼らの脚となり翼となった、今や伝説的な機体として思い返される戦闘機の残骸がその墓標となって。
 いち飛行士として、彼もその戦場跡を一目見てみたいと思ったが、今はまず相棒たちと合流し、ここから脱出する手段を確保しなければならない。
 露店や廃品の集積所のようなものがもうすぐ目と鼻の先まで迫ってくると、久しぶりの人工物に妙な感動さえ覚えた。すれ違う廃品漁りたちは彼の持つ優しさを持ってしても少し不快に感じるほど汚く、悪臭を放っていたが、それでもひとであることに変わりはない。殺風景な砂漠を実際の時間よりも長く歩いてきたように感じていた彼は、どんなものであれ人工物や知的生命体の存在にありがたみを覚えた。
 そうしてあちこち物珍しげに見回していると、人工的に作られた池のようなものが目に入った。そこには巨大な豚のような動物がいて、大きな鼻面を池に突っ込んでばしゃばしゃと水を飲んでいた。
 そう、水だ。乾燥と死の世界を彷徨ってきたので、ほとんどその存在を忘れていたが、目にした途端急に身体の乾きを実感した。彼は一目散に池に駆け寄り、豚のような大型動物と並んで顔を突っ込んで飲んだ。急に飲みすぎたせいか、それとも汚水だったせいか、彼はすごい勢いでむせた。
 家畜の飲み水に顔を突っ込んでいる彼を、周囲にした廃品漁りや露天商たちが声を上げて笑う。
「昨日も同じことをしているやつを見たぞ」
 全く聞き慣れない言葉に混じって、銀河標準語が聞こえてきたので彼は顔を上げた。そしてすぐにその声の主を探し出す。
「今なんて?」
 久しぶりに出した声は思った以上にかすれていた。「同じことをしていたって?」
 彼の只ならぬ必死な表情に、標準語を話す廃品漁りは気圧されたが、
「いや、今のあんたと同じように、そこの水をがぶがぶ飲んでむせてるやつがいたってだけだよ」
 と答えた。「あんたの知り合いか?」
 仲間、という言葉に飛行士は考えを巡らせる。きっとあいつだ。
「どんな格好だった?男か?女か?」
 彼は廃品漁りに近づいて詰め寄る。見知らぬ土地で、見知らぬ相手に全く及び腰にならない。
「男だよ。格好なんざ覚えてねえよ。いや、洒落た上着を着てやがったな。それくらいだ。だいたい、あいつのせいでこのあたりは大迷惑したんだよ」
 廃品漁りはそう言って振り返り、背後のあちらこちらを指差した。露店の残骸のようなものがあちこちにあり、焼け焦げた部品のようなものも見られる。
「あいつが来たあと、おっかねえ兵隊も来てめちゃくちゃにしていった。空襲だってあったんだぜ。あの戦闘機、似たようなやつが墓場に埋まってるのを嫌っちゅうほど見てるから、きっとあれが新型なんだろうな。まあ古いやつのほうが俺あ好きだな」
 廃品漁りの話に衝撃を受けた飛行士はしばらく言葉が見つからなかった。
 ということは、ここまで追っ手が来たのだ。
「それで、そいつはどうなった?捕まったのか?」
「いんや、まんまと逃げたよ。それも地元の女と一緒にな。ああ、あの小娘のせいで俺たちの親分もカンカンよ。あいつら、親分の船を盗んで逃げてったんだぜ」
 新しい登場人物が出てきたので飛行士はやや混乱したが、なんとか頭の中で話を整理した。
 新しい相棒、元敵兵の彼はここまでたどり着いたが、追っ手がやってきた。 
 そしてここの女と一緒に船を盗んで逃げた。
 俺が砂漠で寝ている間にそんな大冒険をしていたのか。
 そこで彼は重大なことを思い出す。
「逃げたのはそいつらだけなのか?兵隊が追ってたのは」
「いや」
 廃品漁りは言う。「丸くて転がる機械のやつもいた。というか、兵隊はあれが欲しかったらしいな。いやあ、俺もあんなのが手に入ればもう食い物に困ることはないね」
 飛行士はまたしても言葉をなくす。当たりだ。
 脱走兵の彼は、機械の相棒を見つけて保護してくれたのだ。
 彼の相棒たちは、機械の方も人間の方も無事にこの星を脱出したのだ。
 それがわかっただけでもいくらか気持ちが楽になった。
 彼らだけで大事な地図をおさめた記録媒体を秘密基地に届けてくれるかもしれない。
「わかった、ありがとう」
 彼は感極まって廃品漁りの両肩に両手を置いて、ぽんぽん叩いた。相手はこれ以上ないほど怪訝な顔をして、彼から離れていった。
「おうい、もうひとつだけ」
 こちらに背を向けて立ち去りかけている廃品漁りを、飛行士は呼び止める。「宇宙船にはどうしたら乗れる」
「そんなことできるわきゃねえ」
 廃品漁りは吐き捨てるように言った。「昨日のあいつらみたいに、盗みでもしなきゃここじゃ船には乗れねえよ」
 今度こそボロをまとった背中は遠ざかっていった。
 飛行士はその背中に向かって頷いた。
「もちろん、そのつもりだ」
 とにかく仲間たちは無事だ。無事にこの星から出ていった。自分のことを探してほしかったとも少し思ったが、きっと死んだと思ったのだろう。仕方がない。彼らはもっと重要なものを持っていて、それを届けなければならない。
 ちゃんと届けられるだろうかという不安は残るが、とにかくもうこの星で自分にやるべきことはない。早く仲間たちの後を追い、彼らとの合流を図るか、それができなければ基地に先回りして手を打たなければ。
 彼は周囲を見回し、その場所を宇宙港たらしめている唯一の要素、柵で囲まれた広い空間を見つける。あそこがきっとこの星でただひとつの宇宙船の発着場だ。
 飛行士は露店や廃品漁りたちの間を縫うように駆けていく。
 もとより出入りする船は少ない。ましてや一隻は盗まれ、一隻は先ほど彼が目にしたようにここを飛び立っていった。今、あの柵の向こうに何隻あるかはわからない。一隻だけでもあれば幸運と言えるだろう。
 と、背後に嫌な空気を感じた。飛行士の勘のようなものが、伝説の騎士たちが持っていたような特別な感覚ではないにせよ、危機を警告していた。
 というか、なんだか騒がしかった。
 走りながらも、ちらりと後ろを振り返ると、ずっと後ろの方でさっきの廃品漁りが彼を指差しており、武装した数人の男たちが彼を追いかけて来るところだった。
 彼は砂を蹴る脚を加速させた。
 家畜用の汚い飲み水であっても、飲んだおかげで少し体力が戻ったようだ。
 それとも、迫る危機が彼を走らせたのか。
 発着場の柵はもう目の前だ。見れば、ありがたいことにすぐ近くに一隻の船が見えるではないか。
 そこで彼はなにかに勢いよくぶつかった。
 硬く、大きなものに弾かれて彼は砂の上に仰向けに倒れこむ。見上げると、大柄な異星人が立っており、恐ろしげな形相で彼を見下ろしていた。顔つきからして飛行士の同僚にもいる、よく知る種族のようだったが、大変な大柄で、なによりも黄色い重機のような機械の両腕が目を引いた。その腕はちょうどなにかの大きな部品を掴んで引きずっているところだった。
 後ろから怒号が近づいてくる。
 巨体の廃品漁りにはどうやら敵意はないらしく、黙って彼を見下ろしているだけだ。彼はすぐに自分がその行く手の邪魔になっているだけであることを察し、急いで起き上がると道を譲った。思った通り相手はのっそりのっそりと歩き出した。
 飛行士は再び走り出し、とうとう柵に達した。ワイヤーを何本か横に張っているだけなので、その間をくぐって向こう側に行けた。
 一瞬振り返ると、追っ手たちが先ほどの巨体の廃品漁りに自分と同じようにぶつかっていた。追跡の手が緩んだその隙を彼は逃さなかった。目の前にある船に向かって一気に走る。
 その宇宙船は箱のようなシンプルな形で、操縦席と見られる前方部分は急な傾斜になっていた。彼はいろいろな宇宙船について知識があったが、これはその昔民間の星間旅行会社で使われていた船に似ている気がした。
 昇降路が開いていたので駆け上って中に入ると、思った通り、船内は座席がずらりと並んでいた。旅行用の船だ。前方の操縦席に向かうと、やはり予想した通り機械の飛行士が着いていた。星間旅行会社がよく使っていた、円筒型の身体に機能的な腕、ドーム型の頭部に親しみを持てる二つの丸い眼。
 彼が近寄ると、休止状態と見られた機械が自動的に起き上がった。駆動音から察するに、長い間使われていなかったらしい。
「ごきげんよう!私は当機の船長を務めるキャプテン・レッ――」
「時間がないんだ」
 彼は機械の顔に向かって指を立てて遮った。「俺に操縦を代わってくれ」
「申し訳ありませんがお客様、それはできません。当機は正規の訓練を積み、なおかつ当社が認可したパイロットでなければ――」
「追われてるんだ。やつらがここまで来たら、お前も分解されてしまうぞ」
 不本意ながら、彼は脅すような口調になった。「バラバラにされるだけならまだしも、溶鉱炉で溶かされて他の鉄くずと一緒にされるんだ」
 機械の飛行士は丸い視覚センサーを、まるで目を泳がせるように落ち着かなげに動かすと、頷いた。
「おっしゃりたいことはわかりました。私はこの船と、お客様の安全を確保せねばなりません。もちろん自分の身も守らなければなりません」
 言いながら金属の腕がせわしなく動き、船が振動した。エンジンが始動したのだ。「私が責任を持ってお客様を目的地にお運びしましょう」
 彼がそれに対して抗議する暇はなかった。船はなんの前触れもなく離陸し、あろうことか勢いよく後退した。突然のことで、彼はバランスを崩して倒れそうになった。
 船尾になにかがぶつかる。 
「おっと」
 機械が間の抜けた声を上げる。「いや、今のはなんでもありません、大丈夫大丈夫」
 飛行士が座席の背もたれを掴んで窓の外を見ると、前の方から追っ手たちが金属の棒を振り回しながら走ってくる。船が急に後退したので、急いでこっちに向かっている。
 彼は機械の飛行士に顔を向ける。
「早く発進してくれ、やつらが来る!」
「お待ちを」
 機械の腕がレバーを引く。
 今度は船がその場で滑るように一回転した。生きている方の飛行士は胃がひっくり返るような気分だった。
 このときばかりはしばらくなにも食べていないことに感謝した。
「一体なにをやっているんだ!」
 いち飛行士として、こんな操縦は許せなかった。「やっぱり俺がやる!」
 言って操縦桿を無理やり掴むと、機械の方は抵抗した。
「なにをするのです!お客様は席に着いて安全ベルトをお締めください!保安規約に反する場合は下船していただきますよ!」
 操縦桿を取り合っていると、船体が大きく傾いた。このままでは追っ手に攻撃される。
 騒ぎ立てる機械の飛行士をよそに、生きた飛行士は思い切り操縦桿を引き上げた。
 途端、船は急発進し、周囲を取り囲んでいた追っ手たちは風圧に吹き飛ばされた。一番近いところにあったいくつかの露店の屋根も巻き添えを食らった。
 砂塵が吹き上げられ、箱型の宇宙船は一気に空高く舞い上がった。
 小さな砂嵐が去ると、そこにはもう船の姿はなかった。


 星間旅行会社の旧式宇宙船は高度を上げていき、いよいよ空の終わりまで達そうとしていた。その先には星々の輝く宇宙が広がっている。
 彼は再び宙にやってきたのだ。
「私の経験の中でも、今回はスムーズな発進でした。引き続き快適な旅をお約束しますよ」
 機械の飛行士は調子のいい口調で言った。「ところでお客様、宇宙旅行は初めて?」
 彼は安堵とともにひどい疲れを覚え、くたびれ切っていたが、その言葉を聞いて頰を緩めずにはいられなかった。
「ああ」
 笑って、下唇を噛んで見せる。
「いつも初めての気分で飛んでるよ」
 窓の外に無数の星が煌めく。
 銀河一のパイロットはこうしてまた宇宙に飛び出した。
 自分の操縦ではなかったが。


 おしまい

2018年2月9日

雑記(7)

「ポケモンが楽しい」

 任天堂の過去作品をダウンロードして遊べるヴァーチャル・コンソールにゲームボーイ時代の『ポケットモンスター』が続々リリースしていて、懐かしの銀バージョンを遊ぼうと思っていたらクリスタルバージョンが出たので、これをダウンロードした。クリスタルは金銀バージョンに追加でリリースされたバージョンで、基本的なシナリオは同じだが、特定のポケモンの出現有無だったり、独自のイベントがあったりと、ところどころ違う点がある。銀バージョンはすでに遊んだことがあるので(と言っても小学生低学年の頃だが)、せっかくだからクリスタルにしたわけだ。
 今でこそ主人公の性別が選択可能なんて当たり前だけど、実はクリスタルが初だった。幅広く遊ばれている理由はこういう気遣いにあるだろう。戦闘画面でポケモンがアニメーションで動くのもこの作品が初めてだったらしい。その後ゲームボーイアドバンスやニンテンドーDSなど新機種で登場する後続の作品にも受け継がれる基本的なスタイルはだいたいここに原型があるのかもしれない。このあとに出たルビー&サファイアでのグラフィックの一新である程度スタイルが成熟したと思う。
 DSのソフトもそれまで少し遊んでいて、色数が多く奥行きの増した世界ももちろん楽しいんだけど、ゲームボーイカラー時代のレトロなグラフィックも今となっては洒脱さすら感じる。たった56色という少ない色数だが、工夫された配色で描かれたドット絵もかわいいし、なによりUIに無駄がない。別に後続作品に無駄が多いというわけではないし、意図してシンプルにしているというよりそれが当時の限度だったのだろうけれど、とにかく見やすい。操作する部分が少ない。簡潔。あまりにも記号化されている部分は自分で脳内補完する。これが楽しい。ゲームがシンプルだとかえってやり込み甲斐も出てくる。後の作品は戦闘や図鑑集め以外の要素が増えて、「やり込む」ということ自体が難しくなっているような気がする。
 最近のタイトルも含めてまだやっていない作品も多いので、ゆっくり全部遊んでいきたい。結局ぼくはポケモン世代だったか。


「うちの犬がお利口かどうか」

 諸事情で昨年の秋頃から妻の実家に預けていた犬。年明けからまたこちらに戻ってきていて、例の大雪の日も含めて毎日散歩に行く日々なんだけど、もう元気が有り余っていてすごい。綱を引く力がすごく手のひらが痛い。帰ってきてからは甘え方も凄まじく、寒いのもあってか家の中では人間にべったりだ。
 初めてのことだったけれど、その日散歩の途中で向こうから黒ラブラドールの盲導犬が主人を先導しているところに遭遇した。うちの犬は行き遭う犬のほとんどにテンションが上がってしまい、怒ってるんだか喜んでいるんだかわからないが、とにかく短い四肢を振り回してほえ声を上げるものだから、盲導犬の任務の妨げにならないものかと思って少し緊張した。
 道はちょうど一本道、住宅の塀が包んでいるだけで途中によけられる分かれ道もない。いっそのこと引き返そうとも思ったんだけど、なんだかそれも失礼な感じだなと思い、まあいざとなればこいつを小脇に抱きかかえればいいかとそのまま前に進んだ。さすがに真っ正面から向かっているわけではなく、お互いに道の中央を挟んだ両側を歩いていた。
 するとどうだろう。珍しいこともあるもので、普段なら感極まって飛びつこうとするラブラドールがすぐそばを歩いていたのに、ちっとも関心を示さずにコーギーは黙々と歩き続けた。こんなことがあるのか。相手がただの散歩ではなく、重要な任務を遂行している最中だということを察したのだろうか。
 と、普段は道ゆくひとからかわいいかわいいと声をかけられては、その声の主の方に愛想笑いを浮かべて、前を見て歩いていないからそのまま標識の支柱に顔をぶつけてしまうようなオトボケ犬なのに、お利口なこともあるものだ。いや、本当はとても頭のいい、優しい犬なのだと思っていたのもつかの間、すぐに別の可能性が思い浮かんだ。高度に訓練された盲導犬の方が、「面倒な絡み方をしてくる厄介な犬から自分の気配を消す技術」というのを身につけているのではないかと。
 まあ、たぶんそうだろうなあ。
 以前、専門施設で犬のMRIを撮ってもらったとき、彼の脳みそを見たことがある(その検査自体は具合が悪そうだったからしたんだけど、なんの異常も見られなかった)。映し出された頭蓋骨の中には、二つの眼球を合わせたのよりも小さな丸いものがあった。


「読む速度が上がった」

 単純に本を読む速度や集中力が増した気がする。
 おもしろい本、読みやすい本、肌に合う本を選べているということだろうか。しかし、それだとなかなか興味の範疇を超えたものに手を出せなくなるのだけれど。結局のところ「読み慣れているもの」を読んでいるというだけか。
 しかし乗れない本は本当に乗れないし。無理に読むことはできるだろうけど、それは好みに合わない映画を見続けるのよりもハードルが高い。映画はせいぜい2時間くらい我慢して座っていれば一応終わる。その作品からどれだけのものを読み取れるか、感じ取れるかはまた別の問題になって来るが、それでも一応2時間くらいじっとしていれば終わるのだ。それでも見たことになる。しかし、本は自分の目で追おうとしなければ読めない。黙って座っているだけでは読み終えたことにならない。全く興味を抱けない、言葉遣いが合わない、読んでいて全く自分の中でリズムが生まれてこない本を読み続けるのは辛い。まったく意思疎通が測れない相手との付き合いをだらだら続けるのと似たような疲労を感じる。
 少しずつ自分のペースで、見知らぬ本に手を伸ばしていけばいいと思う。偏ったジャンルであっても、とりあえずは読む習慣が大切だ。読むのをやめてしまうのが最も不幸なことだろう。


2018年2月5日

『アドベンチャー・タイム』について思うこと


 カートゥーン ネットワークのアニメーション作品『アドベンチャー・タイム』を観ていていろいろ思うこと気づいたことがあるのでメモ。初期から視聴していたひとや、最新シーズン含めて全部追っているひとに比べればまだまだ浅いぼくだけれど、一応自分なりの考察を記しておく。
 ああいったデフォルメの度合いや自由度が高い作品についてあんまり考察するのもナンセンスかもしれないけれど、とにかく言葉にしておきたいくらい熱がたまっているので。語り合える相手がいたらいいんだけど、それが身近にいないのでこうして書くしかない。


どういう作品でどこがおもしろいのか
 
 不思議なウー大陸で人間の少年フィンと犬のジェイクの二人組が冒険をしたり、遊んだりするお話。基本的には剣と魔法の世界で、悪党や怪物と戦ってお姫様を助けるというRPG風。なんだけど、ただ単に剣と魔法の世界というだけではなく、ほとんどあらゆるものが擬人化されていたり、ロボットやコンピューターといったハイテクが登場したりして、ほとんどなんでもありの世界観である。もちろん一見かわいらしい絵柄の中で見せられる毒も魅力のひとつだ。

 だいたいその舞台からして実は核戦争で荒廃して1000年が経った地球なのである。あんなかわいらしい世界観の設定としてはかなりインパクトがある。ちょくちょく登場する現代文明の名残とも言うべき道具や、背景で地面に埋もれている戦闘機や自動車といった要素が、カラフルなファンタジーにスパイスを効かせているのだ。

 そういう、なんでもありのようでいてちゃんと設定がある、というのがポイントだろうと思う。ただ単にカオスというわけではない。ただ単にかわいらしいだけで、全くストーリーが進行しない1話完結ものというわけではない。確実に一本の軸があり、確実に主人公は成長していて、確実にその世界にはなにか謎がある。子供のような素敵で自由な発想が溢れる世界観と、そういった一筋の旅路のような面がバランスを取っているからこそ、ここまでおもしろいのだと思う。

 それからなんといっても絵柄がおもしろい。ここ最近のCNの作品は、『スティーブン・ユニバーズ』や『ぼくらベアベアーズ』などもそうなんだけど、それまでのアメリカのいわゆるカートゥーンっぽさとは一線を画しはじめている気がする。『パワーパフガールズ』や『デクスターラボ』といった、ハンナ・バーベラの雰囲気がまだ強く残っていた初期の作品(CNはもともと『原始家族フリントストーン』や『宇宙家族ジェットソン』などのハンナ・バーベラの子会社として設立され、その流れを継いでいる)に比べると、だいぶCNとしての独自性が確立されてきたというか。それで、その中でも『アドベンチャー・タイム』のタッチはおもしろい。美しいとさえ言える。

 デフォルメされているからこその線の自由さや、綺麗な色使い。絵を描く人間、それもデフォルメが好きな人間としては注視せずにはいられないセンスである。そしてそんなふうにじっくり見ていると、背景の描き込み具合も際立ってくる。隅から隅まで楽しい絵でいっぱいだ。


懐かしさと親しみやすさ

 最初に観たときからどこか懐かしい感じがした。絵柄はかなり新鮮なものなのに、そこかしこに懐かしさがあった。
 作者のペンデルトン・ウォードによればRPGゲーム、特にその元祖である『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の影響が強いらしく、だからこそゲームの郷愁みたいなものがあるのだと思う。それはずっと後続であるゲームボーイ世代のぼくですら感じられるもので(ゲームボーイの影響もかなり強いと思う)、限られた空間に没入して遊ぶ楽しさや、部屋で友達たちと寝転がって遊ぶ楽しさみたいなものが、作品のあちこちに込められているのだろう。

 そのほかにもウォードはインスピレーション元として、ポール・ルーベンス扮するキャラクター「ピーウィー・ハーマン」による子供番組『ピーウィーのプレイハウス』を挙げているのだが、そこもぼくが懐かしく感じるところだろう。アメリカ人でもなければ全然世代でもないのに、ぼくは子供の頃あれのVHSを死ぬほど見返していた。あのカオスで毒々しい、子供らしい暴走感や狂気は確かにATに通じるものがある。絵柄こそ従来のカートゥーンものとは違うが、しっかりアメリカ的な毒と明るさのカラーを受け継いでいるのである。思えばピーウィーのあの番組も、家具でもなんでもあらゆるものに目と口がついているもんなあ。冷蔵庫の中の食品まで擬人化されている発想には子供ながらに感動した。その冷蔵庫をはじめ、ストップモーション・アニメがふだんに盛り込まれているのがまたいいのだ。

 世代は限定されるものの、アメリカの子供たちがどういう世界を見ているのかというのを、あの番組を通して感じ取っていた気がする。実際はもっといろいろな側面があるのだろうけれど、紛れもなく『ピーウィーのプレイハウス』はぼくにとって合衆国を覗くひとつの窓だった(ちなみにプレイハウスでは窓枠もしゃべっていた)。『セサミ・ストリート』も好きだったが、かわいらしく綺麗に整えられたセサミの世界よりもピーウィーの素直な狂気の方が親しみを持てたものだ。少なくともピーウィーは子供たちにABCを教えたりはしない。

 あとは、ジャパ二メーション的演出が目立つ。これはもう製作側のコメンタリーを参照しなくとも、見ているだけでわかる。異様にキラキラ輝く瞳やレーザー光線が通り過ぎたあとに遅れて起こる爆発(マップ兵器)などは、国産アニメにあまり通じてないぼくでもわかりやすい。有名作品のわかりやすいパロディもあるけれど、きっと目の肥えたひとならもっとその特徴を見つけることができるだろう。日本アニメに限らず、他にもあらゆる作品のパロディやリスペクトが見られるわけだけれど、そういう作り手の好きなものの要素を遠慮なくどんどん取り入れている姿勢が、親しみやすさを生んでいるのだと思う。いろいろなカルチャーがごちゃごちゃになっているところもまたアメリカ的なんだよね。どこの国の影響が強いとかそういうことではなく、とにかくいろいろなもの、楽しいもの、好きなものが詰め込まれた世界観が作品を豊かにしているのだ。


ちょうどいい設定

 支離滅裂なようでいて、ちゃんと設定がある。それもかなり細かいというか、よく出来ている。同時に適度にゆるいのもすごい。創作とはかくありたいと思う。

 1話完結もののように見えてちゃんとストーリーを前回から引き継いでいる(主人公フィンがちゃんと年を取る)。それでいながら1話だけ見ても楽しめるように出来ているのがすごい(人物の相関図はある程度知っておく必要があるかもしれないけど、それも見ていればなんとなくわかるし、以前のエピソードと関連があるときはちゃんと登場人物が以前起きたことに言及してくれるからわかりやすい)。
 そもそもシーズン1の第1話からしていきなり途中から始まるからね。途中というか、とにかくなんの説明もなしに始まる。しかも、その世界独自の日常が描かれるならまだしも、ゾンビが大量発生してしまったという、まだデフォルトの日常を描いてもいないのにそれが壊される話で、とんでもない初回だったりする。
 それが前編で、後編では犬のジェイクがコブコブ星人のランピーに足を噛まれて(?)、コブコブ星人化してしまうというお話。コブコブってなんだよ。そもそもまだジェイクの紹介さえきちんとできていないのにそいつがいきなり異星人化してしまう話って。
 しかし、それがまさにあの世界独自の、普段の日常なのだ。なにも起こらない日常などウー大陸にはない。これがウー大陸のデフォルトなのだと有無を言わさずにどんどん展開していくので、こちらもそういう世界なのだとすんなり受け入れてしまう。
 『スター・ウォーズ』だっていきなり途中から始まって、有無を言わさず固有の世界が展開して、途中で終わるけど、見知らぬ世界の一部を切り取って見せられている感じが楽しいのだ。

 回を追うごとに付け足されていくバックグラウンドも、作品に厚みを出している。付け足し付け足しの設定なんだけど、それまでのものと矛盾しないよううまく付け足している感じもうまい。
 アイスキングがもともと人間で、吸血鬼マーセリンとともに1000年前の戦争直後の廃墟をサバイバルしていたとか(おじさんと少女の終末世界の旅てのはやっぱりトレンドなんだね)、プリンセス・バブルガムは明らかに見かけ以上に年を取っていて、ウー大陸の起源を知っているらしいとか、主人公フィンの出生の秘密と、彼の家族や他の人間たちがどこにいるのかとか、はちゃめちゃに見えていた世界観が、どうしてあの形になったのかがちゃんと解明していく。

 そういう掘り下げ方をすると、大抵は最初の楽しいイメージよりやや深刻なトーンに変わってしまいがちなのだけれど、ATのいいところはそこまでシリアスになりすぎないところで、秘密が明かされてこういう悲しいことがあったんだということがわかったとしても、それでも前向きさやナンセンスを忘れない。ATらしさをちゃんと保っているのである。
 

音楽

 絵柄やお話だけでなく、音楽もATの重要な要素で、魅力のひとつだと思う。キャラクターたちは本当に歌うことが好きで、ことあるごとに歌い出す。この歌がまた本当に即興っぽくて、それでいてちょっといい感じ。適当なんだけどエモい。アニメーターが作詞作曲していることが多いらしいんだけど、声優のひとも上手に歌おうとしない、即興っぽく自然に歌っていてとてもいい。上手でなくていい、そのときの気分で適当に口ずさんでいいんだ。歌ったり踊ったりすることの本来の楽しさを教えてくれる。
 音楽のくだりはカセットテープやウォークマンといったローテクが登場するのも楽しい。
 どの曲も好きだけれど、ジェイクとマーセリンの曲は特にどれも好きかな。特にジェイクの「ベーコンパンケーキの歌」が好き。ジェイクの歌は本当に思いつきで口ずさんだみたいな感じのものが多いんだけど(「ベーコンパンケーキの歌」なんて、フライパンでベーコン焼きながら一瞬歌うだけ)その短さがちょうどいい。それくらいでいい。
 マーセリンの曲はとにかくどれもエモい。ヴァンパイアというだけあってゴスパンクのスタイルなんだけど、曲は全然暗くてなくて、切なさとパワーを感じさせる。パパが自分のポテトフライを勝手に食べちゃって本当にありえないという歌や、バブルガムへの複雑な感情を歌ったものは特にテーマソングと言える。1000歳のヴァンパイア・クイーンだけど、いつまでも年頃のゴスなのだ。


英雄は右腕を失う

 勇者や英雄の典型がモチーフになっている主人公のフィンだが、基本的に彼は右腕を失う運命にあるらしい。
 並行世界のフィンや、夢の中で年を取ったフィン、さらには前世であるショウコなど、フィンの別パターンに当たるキャラクターは皆右腕が義手である。前世から義手というのはもはや宿命だろう。フィン自身は父親との出会いによって右腕を失うことになる。父親との出会いによってだ。
 ルーク・スカイウォーカーを連想するなという方が難しい。もしかすると古くから英雄の典型像として、隻腕というのがあるかもしれない。それについてはまた調べたいけれど、とにかく間接的にとは言えほとんどお父さんのせいで右腕が取れちゃう(本当に取れちゃう感じ)というのはルーク的である。その後取っ替え引っ替えいろいろな義手を試すものの、うまく日常生活を送れず「パパのせいなんだからなあ!」と怒ったりするのがかわいい。
 ちなみに吹き替え版で声を当てている声優さんと関連して『鋼の錬金術師』の主人公を連想したりもする。あちらも義手でブロンドだ。
 
 ぼくは元来英雄や勇者といったキャラクター像があまり好きじゃないというか、興味ないのだけれど、このフィンに関してはかなり好き。根がゲーム好きの少年みたいな感じで親しみが持てるからかもしれないけど、全然ハンサムじゃなくて、結構コンプレックスがありそうなところもいいのかな。ちょっとおデブなところと、動物の被り物をしているのもいい。
 それでいながら中身は本当に非の打ち所がないほど勇気と正義感でいっぱいである。そして基本的にめちゃくちゃ強い。このあたりはやはり勝ち続けることが前提のビデオゲームの主人公要素が強い気がする。たまに負けたり失敗するんだけど、大した努力もなしにすぐリベンジを果たしてしまう。この無敵感と、たまにうじうじ悩んだりするところのバランスが非常に魅力的な造形になっていると思う。
 フィンのような友達が欲しい。


わけありプリンセス

 プリンセス・バブルガムもまた、一見典型的なお姫様のようでいて、そうではない。前述の初回エピソードの時点からすでに科学者であることが示され、非常にオタク気質である。そのことが関係しているかわからないが、統治者としても管理欲が強く、自分の王国と国民を守るため強硬手段に出ることも多い。というか実質的にほとんど独裁者である。
 というのも、どうも王国の成り立ちからしてバブルガムは本当にひとりで全てを築き上げたらしい。国民であるキャンディ・ピープルたちもバブルガムの手によって生み出された、言わば彼女の子供たちである。それを守りたいという気持ちが強いのも頷けるというものだ。

 物語を追っていればわかる通り、ボニベル・バブルガムは19歳などではなく、実際にはマッシュルーム戦争後のおよそ1000年前(マーセリンと後のアイスキング、サイモンの冒険よりは少し後か)からウー大陸で活動している。最近の、ぼくがまだ見ていないエピソードの断片的な情報によれば、どうやら核戦争後の廃墟の中を『フォースの覚醒』のレイよろしく終末的装備でサバイバルしていたらしく、そこでキャンディ・ピープルを作り出し、王国の原型を築いたと見られる。
 フィンの前世であるショウコの冒険が描かれるエピソードでは、ショウコが王国建設中のバブルガムと出会っている。悪者に雇われていたショウコは不本意にも親しくなったバブルガムのお守りを盗むが、緑色のいかにも有害そうな川に転落して死んでしまう(跡形もなく溶ける)。バブルガムは城を建設しながらもこの、恐らくは核戦争によって出来た川を、ピンク色のキャンディの川へと浄化していた。彼女は荒廃した土地を自らの手でキャンディ王国に作り変えたのだ。
 「わたくしの王国ではもう誰も飢えたりしない」というセリフ(厳密には少し違ったかもしれないけど)も印象的だ。戦争後の廃墟を生き抜いてきた彼女にとってキャンディ王国はようやく手に入れた我が家であり、家族であり、二度と過酷な世界に戻すものかという強い意志があるのだろう。

 
バブルガムとマーセリン

 なんでもカップリングするひとはいるもので、当然ながらこのふたりの組み合わせも「バブリン」などと呼ばれていたりする。
 バブルガムが戦後からずっと生きてきたことがわかると、1000歳であるマーセリンとの関係もぐっと近いものになる。ほとんどふたりは年が変わらなかったのだ。
 ピンクと黒、光と闇というようにまるで対照的なふたりだけれど、バブルガムは一見明るくも実は暗い一面があり、マーセリンも実は見た目とは裏腹の優しさを持っている。とてもいいコンビだと思う。
 マーセリンのあげたバンドTを寝巻きにしているバブルガム、バブルガムのかわいいセーターをいつの間にか着こなしているマーセリンなど、服を交換しているバブリンはめちゃくちゃかわいい。


 とりあえずこんなところかな。なんとこの作品、今年終わってしまうらしい。なんでも続き続ける昨今、潔いにもほどがある。クライマックスを迎えていろいろなことが明らかになるかもしれないが、しかしやはりATらしい雰囲気は健在だろう。プライム・ビデオで見られる範囲しか見てないけど、応援していきたい。