2018年2月9日

雑記(7)

「ポケモンが楽しい」

 任天堂の過去作品をダウンロードして遊べるヴァーチャル・コンソールにゲームボーイ時代の『ポケットモンスター』が続々リリースしていて、懐かしの銀バージョンを遊ぼうと思っていたらクリスタルバージョンが出たので、これをダウンロードした。クリスタルは金銀バージョンに追加でリリースされたバージョンで、基本的なシナリオは同じだが、特定のポケモンの出現有無だったり、独自のイベントがあったりと、ところどころ違う点がある。銀バージョンはすでに遊んだことがあるので(と言っても小学生低学年の頃だが)、せっかくだからクリスタルにしたわけだ。
 今でこそ主人公の性別が選択可能なんて当たり前だけど、実はクリスタルが初だった。幅広く遊ばれている理由はこういう気遣いにあるだろう。戦闘画面でポケモンがアニメーションで動くのもこの作品が初めてだったらしい。その後ゲームボーイアドバンスやニンテンドーDSなど新機種で登場する後続の作品にも受け継がれる基本的なスタイルはだいたいここに原型があるのかもしれない。このあとに出たルビー&サファイアでのグラフィックの一新である程度スタイルが成熟したと思う。
 DSのソフトもそれまで少し遊んでいて、色数が多く奥行きの増した世界ももちろん楽しいんだけど、ゲームボーイカラー時代のレトロなグラフィックも今となっては洒脱さすら感じる。たった56色という少ない色数だが、工夫された配色で描かれたドット絵もかわいいし、なによりUIに無駄がない。別に後続作品に無駄が多いというわけではないし、意図してシンプルにしているというよりそれが当時の限度だったのだろうけれど、とにかく見やすい。操作する部分が少ない。簡潔。あまりにも記号化されている部分は自分で脳内補完する。これが楽しい。ゲームがシンプルだとかえってやり込み甲斐も出てくる。後の作品は戦闘や図鑑集め以外の要素が増えて、「やり込む」ということ自体が難しくなっているような気がする。
 最近のタイトルも含めてまだやっていない作品も多いので、ゆっくり全部遊んでいきたい。結局ぼくはポケモン世代だったか。


「うちの犬がお利口かどうか」

 諸事情で昨年の秋頃から妻の実家に預けていた犬。年明けからまたこちらに戻ってきていて、例の大雪の日も含めて毎日散歩に行く日々なんだけど、もう元気が有り余っていてすごい。綱を引く力がすごく手のひらが痛い。帰ってきてからは甘え方も凄まじく、寒いのもあってか家の中では人間にべったりだ。
 初めてのことだったけれど、その日散歩の途中で向こうから黒ラブラドールの盲導犬が主人を先導しているところに遭遇した。うちの犬は行き遭う犬のほとんどにテンションが上がってしまい、怒ってるんだか喜んでいるんだかわからないが、とにかく短い四肢を振り回してほえ声を上げるものだから、盲導犬の任務の妨げにならないものかと思って少し緊張した。
 道はちょうど一本道、住宅の塀が包んでいるだけで途中によけられる分かれ道もない。いっそのこと引き返そうとも思ったんだけど、なんだかそれも失礼な感じだなと思い、まあいざとなればこいつを小脇に抱きかかえればいいかとそのまま前に進んだ。さすがに真っ正面から向かっているわけではなく、お互いに道の中央を挟んだ両側を歩いていた。
 するとどうだろう。珍しいこともあるもので、普段なら感極まって飛びつこうとするラブラドールがすぐそばを歩いていたのに、ちっとも関心を示さずにコーギーは黙々と歩き続けた。こんなことがあるのか。相手がただの散歩ではなく、重要な任務を遂行している最中だということを察したのだろうか。
 と、普段は道ゆくひとからかわいいかわいいと声をかけられては、その声の主の方に愛想笑いを浮かべて、前を見て歩いていないからそのまま標識の支柱に顔をぶつけてしまうようなオトボケ犬なのに、お利口なこともあるものだ。いや、本当はとても頭のいい、優しい犬なのだと思っていたのもつかの間、すぐに別の可能性が思い浮かんだ。高度に訓練された盲導犬の方が、「面倒な絡み方をしてくる厄介な犬から自分の気配を消す技術」というのを身につけているのではないかと。
 まあ、たぶんそうだろうなあ。
 以前、専門施設で犬のMRIを撮ってもらったとき、彼の脳みそを見たことがある(その検査自体は具合が悪そうだったからしたんだけど、なんの異常も見られなかった)。映し出された頭蓋骨の中には、二つの眼球を合わせたのよりも小さな丸いものがあった。


「読む速度が上がった」

 単純に本を読む速度や集中力が増した気がする。
 おもしろい本、読みやすい本、肌に合う本を選べているということだろうか。しかし、それだとなかなか興味の範疇を超えたものに手を出せなくなるのだけれど。結局のところ「読み慣れているもの」を読んでいるというだけか。
 しかし乗れない本は本当に乗れないし。無理に読むことはできるだろうけど、それは好みに合わない映画を見続けるのよりもハードルが高い。映画はせいぜい2時間くらい我慢して座っていれば一応終わる。その作品からどれだけのものを読み取れるか、感じ取れるかはまた別の問題になって来るが、それでも一応2時間くらいじっとしていれば終わるのだ。それでも見たことになる。しかし、本は自分の目で追おうとしなければ読めない。黙って座っているだけでは読み終えたことにならない。全く興味を抱けない、言葉遣いが合わない、読んでいて全く自分の中でリズムが生まれてこない本を読み続けるのは辛い。まったく意思疎通が測れない相手との付き合いをだらだら続けるのと似たような疲労を感じる。
 少しずつ自分のペースで、見知らぬ本に手を伸ばしていけばいいと思う。偏ったジャンルであっても、とりあえずは読む習慣が大切だ。読むのをやめてしまうのが最も不幸なことだろう。