2017年11月14日

日記の構想

 日記を書くのも楽しいけれど、日記の付け方とか形式とかを考えるのも楽しい。
 このブログでのよりいい日記の形を考えていた。もうあまり日が空くことは気にしないということでストレスは消えたけれど、でもなんかいつなにがあったかを、ブログを書く余裕ができたときに思い返すのが面倒だったりする。いやそれくらい思い出せよとも思うし、そうならないように常にどこかに書き留める習慣を持ったらいいじゃないかとも思うのだけれど、それがもう面倒くさい。少しでも負担に感じる方法は避けたい。書くことがあまり楽しくなくなるんだよね。

 あと、具体的な日付がついていると、その日の出来事を固有名詞一切出さずに書いたとしても、読む人が読んだらあのことかこのことかと、察せてしまうのではないかという不安があったりする。そこまで心配することではないのだけれど、わりとひとの悪口も書きたかったりするのだ(おい)。たとえば、最近はわりと教習所での出来事を書くことがあるけれど、そのときに変な大学生とか、変な教官とかに遭遇するじゃん。で、そのことについて書きたくなるじゃん。そこに具体的な日付がついていたりした場合、かりにその変な大学生が偶然ぼくのツイッターを見つけて、このブログにたどり着いて日記を読んで、あれ、これ俺のことじゃんとか思って傷つかれたり苛立たれたりしたら悪いじゃん。嫌な気持ちにさせちゃうのも悪いし、怒りを買うのも嫌じゃん(なにより怒られるのが一番嫌である)。

 まあ、そんなことは恐らく稀だろうとは思うけれど。しかし、教習所に限らずいろいろな出来事について書くことがあるだろうと思う。誰かが嫌な気持ちになりそうな内容を書かなければいいじゃんとも思われるかもしれないけれど、日々の自分の苛立ちとか憤りとかを避けて書くと恐らく当たり障りのないつまらないものになると思う。当たり障りのないブログほどつまらないものはないと思う。それならただ新しく描いた絵や、仕事のお知らせだけ更新していればいい。それよりはぼくは自分の個人的な部分を少し、出したい。個人的な部分を出すからこそ、絵や文が見られるものになっている、というところもあるのではないかなと自己分析していたりもする。

 もちろんツイッターなどでよく見かける、読んでいてなんの得にもならないどうしようもない不平不満を垂れ流すつもりはなく、どうにか可笑しさというか、読み物として堪えられるものにしたいとは思っている。

 なにか特定の出来事があったとして、できるだけぼかすために日付をズラして書いたりすることもあったのだけれど、なんか、そんな小細工するくらいだったらはじめから日付なんかなくてもいいかなと思ったわけよ。というか、ブログはその記事自体に日付がつくので、だいたいそれくらいの時期のことだっていうのはわかるんだよね。

 そこで、日付のないいわゆる雑記が複数、ひとつの記事の中に無作為に並んでいれば、多少は不特定感が出るというか、11月15日に更新された記事だけれど、ひとつひとつの雑記が具体的にいつのことについてなのかはわからない、といった具合になんとなくぼやけるかなと。それでも記事が更新された日ははっきりしているので、だいたいの時期そのものはわかるので、記録としてはちょうどいい。

 出来事ならともかく、考えていること思っていることなどの思考の雑記については日付もなにもないんだよね。最近思っていること、くらいのものなので。なので、日付がない形のほうがそういうのも書きやすい。ひとつの出来事やテーマについてひとつの記事にすればいい場合もあるけれど、わざわざ独立した記事にするほどのことでもない、ほんのちょっと考えたこととかを書きたくなることもある。なんというか、たとえば3つくらい続けてツイートするようなことがらは、そのぶんこのブログに書くようにしたいのだ。それに、あまり記事数がかさんでも、ほかの絵とか仕事のお知らせとかが流れすぎてしまうのもよくない。
 とにかく、日付の生々しさを取り除き、もう少し「お話」感を出したい。なにかいい雑記の形式を考えよう。